第54話 客殺しのチューバ
●○●
俺がゴルディスケイルの海中ダンジョンに辿り着いたところでは、まだフェレンツィからの報告は届いていなかった。とはいえ、ここで時間を無駄にするのは悪手だろう。
「姉弟の追跡はできてんだな?」
「はい……。ですが、わざわざダンジョン内の動向まで、調べる必要があったのですか?」
大公の使いが不本意そうな顔で問い返してくるのを、虫を払うように手を振って無視する。フェレンツィは、あいつの本来の性質――俺と同類の匂いを嗅ぎ取って言いくるめられたが、誰も彼もが俺たちのように性根の腐っているわけではない。こいつもまた、姉弟殺しの話になど乗らないだろう。
「案内しろ」
「お待ちください、チューバ殿。ハリュー姉弟との交渉では、いまだにあなたの出番は――」
仕方がないので、俺はそいつの鳩尾を殴って悶絶させる。その後、首を極めて意識を刈り取る。殺してもいいのだが、今後も大公の世話になるなら、その手下を死なせるわけにはいかない。
この辺り、俺も大人になったもんだ。昔なら、面倒になったら普通にぶっ殺していた。
「……ふぅ。ま、行ってみて、そこにいる隠密に聞けばいいだろ」
俺は埃っぽい、胡乱な町を歩く。実に居心地のいい町だ。小奇麗なだけの、何重にも辺幅で飾り立てだけの町なんぞよりも、人間らしい薄汚さがありありと窺えるこんな町の方が、よっぽどわかりやすく素直でいい。
力と悪意が渦巻き、騙し騙され、騙された、ぼったくられた、舐められたと思えば、当然の権利として暴力という名の交渉手段に及ぶ。力の優劣こそが法である町。本当に、素直な人間らしい、いい町だ。
ゴルディスケイルの海中ダンジョンには、案の定大公の暗部がいた。それ以外の間諜もいて、正直見分けが付かなかったのだが、向こうから話しかけてきたので助かった。
しかも、さっきのヤツとは違い、姉弟の居所を聞いたら素直に案内してくれるという。
「少々お待ちください。持ち場を離れる事を、他の仲間に報告しないといけません。それ程お時間は取らせません」
「そうか。できるだけ早く頼む」
「はい。失礼します……」
そう言った男は、懐から手のひらに余る皿のようなマジックアイテムを取り出すと、自らの顔の側面にあてる。
「ドルスト様。これから、チューバ殿を姉弟の元まで案内をする為、持ち場を離れます。彼の存在を認知した他勢力からの介入がないよう、周囲の警戒をお願いします」
他勢力? まぁ、俺も腕っ節ではそこそこ名を馳せてはいる。他所の諜報連中が警戒して、妨害してくるかもって話か。
仲間と手短に連絡を取り終えた男が、作り笑いでない笑みを湛えつつ、俺に向き直る。
「お待たせしました。それでは、姉弟のところまで案内いたしましょう」
「おう、よろしく頼まぁ」
男は驚く程手際良くダンジョン内を進み、呆気ない程早々に、姉弟のいるという四層に到着した。まるで、ゴルディスケイル島の冒険者のごとく、このダンジョンの探索に慣れているようだ。さっき連絡した通り、ダンジョン内に人影こそ確認したものの、特にちょっかいをかけられる事もなく、無事にここまで辿り着けた。
「あん? あっちの道には、人がいるな……。なんか、慌ててこっちに向かってきているみてぇだな」
あの慌てようは、背後に脅威があるときのもんだ。強大なモンスターか、あるいはなんらかの罠にかかったか……。まぁ、冒険者やってりゃ、良くあるこった。
「ええ。かち合って面倒が起こっても面白くありません。我々が掴んでいる、別のルートから行きましょう」
「ほう、別ルートか」
そんなもんまで把握しているとは、やはり手際がいい。いささか良過ぎる程だが、特に不都合ではないので、細けぇ事ぁ気にしないようにした。
「あの黒いのはなんだ?」
進行方向の通路、というよりも部屋のようになったところは、このあちこち透明なダンジョンにあって、異質な空間と化していた。全面がインクでもぶちまけたかのように、真っ黒になっている場所だ。
「どうやら、あそこに姉弟がいるようですね。なんでも、姉弟を襲撃してきた者がいたらしいです」
「ほう、襲撃とは……」
どうやら、姉弟に攻撃を仕掛けようとしていたのは、俺だけではなかったらしい。まぁ、敵の多い姉弟のようだからな。
「んで? 結局あの黒いのはなんなんだ?」
「どうやら、ハリュー姉弟の弟の方の幻術のようですね。詳しくはわかりません」
「チッ、それじゃあ迂闊に近付けねえじゃねえかよ……」
流石に、得体の知れない幻術の中に飛び込む程、馬鹿でも向う見ずでもねえ。特に、ハリュー弟の幻術はダンジョンの主をも討ったという話だ。その噂が誇張だったとしても、軽く考えるなど愚かにすぎる。
「で? 姉弟はどこにいるんだ?」
「どうも、あの中にいるようですね」
「あの中に?」
だとすれば、一定以上の安全は保障されているって事か? まぁ、幻術なんて生命力の理で
「我々の案内はここまでです。流石に、姉弟に視認されては今後の仕事がやりづらいですから」
ここまで案内をしてくれた男が、足を止めて振り向きつつそう言う。まぁ、こっから先は、迷うような事もないだろう。分かれ道こそあるが、黒い空間までそう遠くないので、目視しながら近付ける。男が言うには、罠もないようだし、見える限りモンスターもいない。
「ああ、案内はここまでで十分だ。助かったぜ」
「いえいえ。それでは、我々は本来の仕事に戻ります」
「ああ。大公によろしく」
「はい」
離れていく男の背を見送り、十分に距離が空いた事を確認してから、俺は目的の場所まで近付いていく。見れば見る程不気味だな。まるで空間ごと切り取られ、そこだけ深夜にでもなったかのような、完全な闇の空間がそこにある。
ホントに、こんなトコに突っ込むのか?
さっきの考えが、早くも揺らぐ。とはいえ、これは単なる怯えから、日和っているだけだ。パシンと一発、自らの頬を張って、俺は足を踏み出した。
薄暗く、不気味な海中の光景に、ぽっかりと空いた真っ暗な空間に向かって、一歩、また一歩と近付く。迫る闇の壁。ごくりと、勝手に喉が鳴る。
ビビっているのは自覚しているが、だからといって足は止めない。こういうもんは、度胸がものをいう。こちらが『近付けない』と思っている場所は、得てして敵も『近付かない』と思っているものだ。そういう場所に、唐突に外敵が現れると、相手は動揺して隙を見せるもんだ。
いよいよ眼前に迫る暗黒の壁。もしかしたらこの壁は、石の壁のように俺を阻むのかも知れない。そのときはそのときだ。
俺は意識して、足を止めずに、むしろ少し早めながら歩く。そうすると、早々に闇との距離は縮まる。そして――とぷん、とでも音がしそうな感覚で、俺の体はその壁を越えた。
そこには、荒涼とした大地と黄金の橋があり、巨大な川が流れている。そしてそんな事はどうでもいいくらいに、クッッッソ寒い!!
思わず、生命力の理を使った。一応は、川はそれなりに温かそうで、多少湯気が立っている。あれがなければ、この辺りはもっと寒かったのだろう。
遠目には、バカみてえにデカい犬と洞窟があり、豆粒のような人間が戦っているのが窺える。
おかしい。海中ダンジョンの通路に、これだけの広さなどない。果ての見えない大地に、流れる大河、そこに架かる橋と、人が豆粒に思える程の巨躯の黒犬。そんなものが、外から見れば狭い通路に押し込められているのだ。
――が、そんな一切合切は、この際どうでもいい!
いままさに、目の前の地面に、件の姉弟たちが空から舞い降り立とうとしていた。姉弟は驚愕をその顔に表し、まさに俺の登場に意表を突かれたという感じだ。それこそ、俺の狙い通りってヤツだ。
俺はすぐさま拳を構えると、いまだ地に足のつかぬ二人に殴りかかった。
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