第55話 異端を罰する為の不法行為は許される

 ●○●


 ティナとボクは、アホみたいにデカい、そしてバカみたいに硬い黒犬との戦いに、消耗を強いられていた。正直、勝てる気がしない……。

 まるで攻撃が効いている気がしないのだ。だというのに、その巨体から繰り出される攻撃は、当たれば確実に僕らの事をミンチどころか粉微塵にするだろう威力である。あまりにも一方的な戦況は、まるでこの犬がダンジョンの主だと言われても信じてしまいそうな程だ。

 黒犬の攻撃を斧槍ハルバードで防ぐが、殺しきれなかった威力にゴロゴロと地面を転がる。ティナが追撃を阻むべく、双剣で黒犬に襲い掛かるが、ただでさえ硬い相手に、低威力で手数が真骨頂の短剣では、ろくにダメージは期待できない。当然、黒犬からの警戒度も低い。

……いやまぁ、斧槍ハルバードでもダメージを与えられている気なんてしないのだが。本来ダメージソースとなるべきボクがこの体たらくでは、勝利のビジョンが見えないのも仕方のない話だ。


「メラ! 大丈夫か!?」

「問題ない」


 ティナの問いに、端的に答える。その言葉は嘘でも強がりでもなく、あの黒犬の攻撃は上手い事いなせた。だが、ボクの本来の能力であれば、これ程吹き飛ばされる事もなかっただろう。

 ボクは己の肢体を見下ろす。そこにあるのは、十分に成熟した大人の肉体。どういう理屈かはわからないが、このわけのわからない空間に閉じ込められてから、姉弟を含むボクらの体は成長を続けている。

 たぶん三十代を迎えたボクらの身体能力は、全盛期であった当初よりも劣ってきている。さらに年齢を重ね、最終的に黒犬の動きについていけなくなるのも、時間の問題だ。

 ここは、勝負に出るべき局面だ……っ!


「ティナ! 三〇秒だけ時間を稼いで!」

「三〇秒ッ!? そんな莫大な時間を、このバカ犬から捻り出させろってのかッ!? クソがよぉ! 咬合しろ――【双牙】!」


 ティナは泣き言こそ吐いたものの、すぐさま黒犬の正面を取り、注意を惹くように攻撃を始める。ついでに、マジックアイテムの五指短剣チンクエディアの刀身に風の刃が纏わりつき、攻撃範囲を伸長させる。

 割とありがちな性能だが、やはり武器の攻撃範囲を、戦況に応じて変えられるというのは、かなり有益な能力だ。

 具体的にいえば、ボクとティナとの役割を交代できるという点だ。ボクだって、近接用の湾短刀シカを持っている。役割を交代するときは、それを使っていつでも前後衛を入れ替えられる。これによって、相手の意表を突いたり、長時間の戦闘も可能になる。

 そうしてボクは、黒犬の相手を完全にティナに任せると、その湾短刀シカを抜く。大きく波打つように湾曲した刀身には、聖伝の一文が刻まれており、まるで聖遺物のような趣きである。

 そう。ティナの五指短剣チンクエディアがマジックアイテムであるのと同様に、この湾短刀シカも特別な代物だ。といっても、かつてマグナム・ラキアにあったダンジョンから得られたこの短剣を、【神聖術】を用いて祭具として聖別したものである。

 つまりこれは、為の道具なのだ。

 ボクは強く強く、神へと嘆願する。敬虔なるボクらに、神のご加護がないわけがない。この篤い信仰心と、強い祈りさえあれば、必ずや成功する。そう自分に言い聞かせ、口を開く。


「【天道てんとう、蒼穹、無辺の野をく者よ。しるべを持つ者は幸いである】【正伝三章一節・正道標せいどうひょう】」


【正道標】を唱えると、黒犬はまるで陽炎のように揺らぎ、ティナの剣技が霞を斬り付けたかのように空を切る。それは勿論、黒犬の新たな能力の発露などではなく、文字通りの意味での幻のように、その姿は次第に薄れていった。周囲の景色もまた、揺らぎ、薄れと、不安定なものに変わりつつあり、あの弟の幻術が維持できなくなりつつあるのは明白だった。

……まぁ、まだ幻術そのものは解けていないし、ボクらの体も育ったままだ。胸とかすごい邪魔で、動き辛いんだよ……。


「勝手に【神聖術】を使うのは、教義に反するだろ……。異端審問にかけんぞ……」


 疲れたような様子のティナが、風の刃を納めた五指短剣チンクエディアを納刀しつつそう言ってきた。神聖教において、認められていない者が【神聖術】を行使するのはご法度だ。だからいまのボクの行いは、教義的にも法的にも、完全に違法になる。


「……異端を排除する為のものであれば、どんな行為も肯定される、だろ?」


 そう嘯くが、自分でもわかる程にその語調は弱い。現状を鑑みるに、やはりその掟は正しかったのだと、実感せざるを得ないのだから。

 ティナもそれがわかっているのだろう、ボクの発言を鼻で笑いつつ、周囲を見回すと再び悪態を吐く。


「あのウィステリアって司祭だったら、このクソったれな幻術も一発で打ち消せたんだろうな」

「まぁ、そうだね……」


 あの司祭であれば、もっと上手く【神聖術】を行使できただろう。ボクはいまだに【神聖術】を使う事を許されていない、修行中の身だ。当然、使える術の効果にも違いが出てくる。


「この幻術が、ショーン・ハリューのオリジナルで、ほとんど目撃者もいないような、新しいものだったのも危なかったね……」

「ああ、そうだな……。もしここに、姉弟以外の目撃者がいたら、殺して口封じしなけりゃならなかったぜ……」


 ボクの言葉に、ウンザリとした表情でティナが頷く。【神聖術】の性質上、信徒たちの『認識』というものは、良くも悪くもその効果に大きな影響を与える。まして、あまり人の目に晒されていない、姉弟のオリジナルの術に対して【神聖術】が効きづらいなどという話になれば、それが本当になってしまうのが【神聖術】なのだ。

 さらにそれが、異教の神を顕現させるような幻術だったりすれば、今度は神聖教そのものの信仰に、疑義が生じかねない。

 そうなればもう、あの姉弟は本当の意味で、我々神聖教徒にとっての悪魔になるだろう。


「本来の【正道標】だったら、幻術なんぞキレイさっぱり払拭できたはずだろ。どうしてできなかったんだ?」

「……ボクの心が、この幻術に呑まれていたせいだね……」


 信徒たちの祈りの結実から、僕の信仰心というを用いて効果を引き出す都合上、その鍵に問題があれば正しく効果を引き出せない。そして、その低い効果が一般的な認識になれば【神聖術】全体の効果が低迷する事もある。

 ホント、【神聖術】ってのはコントロールが難しくて嫌になる。


「だっさ……」

「うるさい。ティナだって、あの幻術にまったく影響されなかったわけじゃないだろ?」

「…………」


 ボクのセリフに、ティナは不貞腐れたようにそっぽを向く。そんな子供のような姿に呆れつつ、さっさと姉弟の後を追おうとティナの背を叩く。老化も、これまでよりは遅いものの、まだ続いている気がするしね。


「――おい、なんか姉弟、別のヤツに襲われてんぞ?」


 少し走り、黄金の橋のたもとにさしかかったところで聞こえたティナの声にそちらを見れば、見知らぬ男と姉弟が戦闘を繰り広げているところだった。それとほぼ同時に、橋から女の巨人が走り寄ってくるのも見えた。

 まぁ、その姿は黒犬と同じく、揺らいでいたが。



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