第72話 裏組織の後始末

 ●○●


「愚か者が……」


 ランブルック・タチが意図的に感情を排した声音で、部下を叱責する。その鉄面皮の下に押し込んだ感情は、果たして失望か怒りか、あるいは哀惜か……。

 そんなタチの前で項垂れている部下は、意図してあの【客殺し】を姉弟の元に運んだそうだ。ショーン・ハリューの警告で避難した我々と入れ違うように、別ルートから【客殺し】が現れたとき、タチはそれが己の部下の仕業であると覚ったらしい。

 それが別段悪手というわけでもない。姉弟と教会が揉めるように仕向け、その仲裁をする形で双方に恩を売るという立ち回りが出来れば、彼らにとって最大の利が得られるのだから。

 ただし、やはりこの立ち回りは功利に過ぎて印象が悪い。また、あのショーン・ハリューの提案は、帝国にとっては垂涎の代物だ。ここで彼に臍を曲げられては困る帝国陣営にとって、いまのこの状況はあまり好ましいものではないだろう。

 幸か不幸か、俺も一緒に逃げてきてるしな。にしても、あの話はホント、どういうつもりなんだか……。


「ドルスト、耳を貸せ……」

「は……」


 タチは俺を見ながら、失態を演じた部下を手招く。どうやら俺に聞かせられない類の話らしい。

――と思った。俺もそうだし、そのドルストとかいう部下もそう思ったのだろう。

 コキュッという軽い音とともに、ドルストの体が頽れる。なにが起きたかは問うまでもない。タチは寄せられた部下の頭を掴み、一気に頸椎を捩じり折ったのだ。

 あまりの早業に、俺とタチの部下たちは、誰もが一瞬状況を呑み込めなかった。その手際の良さもあいまって、死んだドルストは痛みもなかっただろう。もしかすれば、自分が死んだ事、あるいはこれから死ぬ事にすら気付かず、事切れたのかも知れない。

 これは流石に驚いた。たしかにそいつが姉弟に対して与えた不利益は、両者の関係に横たわる、深い轍となり得ただろう。少なくとも、好材料とはならない。だが、必ずしも取り返せない瑕疵ではない。今後の誠意次第では、良好な協力関係を築く事は不可能ではない。

 なんとなれば、多少風下に立つ事になろうとも、タチとしては問題がなかったはずだ。必要なのはハリュー姉弟との協力関係であり、相手が優位な立場にあるという事は、関係継続という観点からすれば、実をいえば悪くはないのだ。向こうがその優位性を維持したいと考えている間は、必然的にその関係が維持されるはずなのだから。


「……ドルスト、お前は実に優秀な間諜だった。嘘偽りなく、私の後継として十分な資質を有し、たしかな実力も備えていた。あとは経験だけだった……」


 床に横たわる、物言わぬ部下に向かって、タチはぽつりぽつりと手向けの言葉を送る。まるで塗り潰したかのように感情の乗らぬ声音が、逆に彼の心理状態を如実に物語っているようだ。


「経験だけだったのだ……。それさえ……――お前をここで失うのは、我が国にとって多大なる損失だ……。だがそれでも、私はここでお前を手に掛けねばならなかった。挽回の機会を与えてやれぬは、私の不徳の至りだ。許せとは言わぬ。存分に恨み、呪え。だが決してその妄念、帝国に向けてくれるな」


 他の間諜たちも、タチの言葉を粛々と聞き入りつつ、黙祷するように目を伏せている。中には、感情を押し殺すように口を引き結んでいる者もいる。


「我らは元より、故国の礎として果てるが定め。決して帝国の弱点となってはならぬ。害を与えてはならぬ。故に、死してなお帝国に仇成すなかれ。恨むなら私を恨み、呪うならこの命一つで満足せよ」


 そこまで言ったタチが、そこでふっと口元を緩めたような気がした。それまでは部下に対する命令だったものが、まるで仲間に対するように彼は死者に語る。


「我らは所詮、影の手。騎士と違い、死して得られる名誉もなし。だからせめて、我々だけはお前という傑物が帝国の為に働き、散っていったと覚えていよう。さらばだドルスト。楽しかったぞ」


 顔を上げたときには、もうそこに部下に優し気に語り掛けていたタチはおらず、厳めしい顔付きに、一切の感情が窺えない鉄面皮を貼り付けていた。


「よし。ドルストの首を刈って包んでおけ」

「――はッ!」


 タチの命令に数拍の間をおいて、部下が応答する。端から、この首を姉弟に差し出して詫びの形とする腹積もりだったのだろう。部下とて、それは織り込み済みだっただろうが、流石にすぐにそこまで覚悟を決めれはしなかったようだ。

 それでも、タチの部下たちも既に表情は鉄仮面のそれだ。感情というものを押し殺す事に長けているのだろう。


「教会関係の間諜どもはどうしている?」

「どうにも足並みに乱れがあります。そのせいで、退路の確保程度の補助しかしていない様子です」

「大方、いつもの派閥争いだろう。好都合だ。大公の手の者は?」

「チューバから、ショーン・ハリューの武装を受け取り、ダンジョンからの脱出を試みているようです」

「よし、好都合だな。現在このダンジョン内にいる、ヴェルヴェルデ大公及び教会の間諜どもを一掃し、ショーン・ハリューの武装を回収せよ」


 タチのその命令に、辣腕の間諜たちの鉄面皮にも動揺が走る。あるいは、まだ動揺が胸の内に蟠っていたのだろうか。


「ラ、ランブルック隊長。よろしいでしょうか?」

「ああ。質問の内容は予想できるが、言ってみろ」

「いま、あえて教会と揉める必要はあるのでしょうか? 始末するのは大公の手の者だけでよろしいのでは?」


 たしかに。ハリュー弟の武器を持っていったのは、大公側の者だ。ここでわざわざ、教会側の連中にまでちょっかいをかけるのは、無駄に事を荒立てるだけではないか?

 そんな一同の疑問はお見通しとばかりに、タチは一つ頷いてから答える。


「我々とハリュー姉弟が接触したという情報は、できる限り秘匿すべきものだ。いまなら、大公の連中との混戦に見せかけ、連中が情報を持ち帰るのを阻止できる」

「で、ですが、教会とは対ナベニポリスにおいては協調しているのでは?」


 そういえば、【扇動者騒動】の際にグランジとそんな話をしたな。俺が使った連中には、帝国のヤツも法国のヤツもいた。やはり両者は、ナベニポリス侵攻という名目で協力していたようだ。

 部下のそんな問いに、タチはフッと短く嘆息する。あるいは、一笑に付したのかも知れない。表情が変わらな過ぎて、ため息を吐いたように見えたが……。


「教会は帝国にとって、潜在的な敵だ。その影響下にあるスティヴァーレ圏も、また然り。我々がナベニポリスを得たならば、早晩関係は悪化する」



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