第73話 限界

 タチは厳めしい表情のまま、淡々と言葉を続ける。


「いずれ確実に生じる軋轢を憂慮し、帝国の大願たるナベニポリス侵攻の蹉跌とするのは愚行の極みだ。いまの帝国にとって、重要なのは教会ではなく姉弟なのだ」

「…………」


 一国、あるいは北大陸で最大の宗教よりも、ハリュー姉弟を重視するというタチの発言に、俺は息を呑む。

 そもそも帝国は、ゲッザルト平野の遊牧民に対する包囲網から興った国だ。それだけを見れば教会と敵対する理由はないように思えるが、意図的に海のない版図、塩という戦略物資を他国に依存するように整えられた環境に、帝国は耐えられなかった。そのせいで、帝国と周辺国との関係は良好とは言い難い。当然、包囲網の旗振り役となった教会とも、先の【扇動者騒動】までは間柄がいいという噂は聞かなかった。

 姉弟がダンジョン側の勢力であると知っているだけに、彼らが一国よりも重視されるという状況の良し悪しが、流石の俺でも判断がつかない。これでも、人間社会に潜入して長いし、情報屋もやっているので、ダンジョン勢の中ではトップレベルで人間に詳しいと自負していたんだが……。

 少なくとも、これでは他のダンジョンに危ぶまれても仕方のない立ち回りだと思う。ウチばかりじゃなく、他所のダンジョンからちょっかいをかけられかねないと、あとで注意しておこう。まぁ、他所のダンジョンに興味を持っているダンジョンコア様が、そうそういるとも思えないが……。


「しかし、それでもここでわざわざ教会と揉める必要がありますか? 手に掛けるのは大公の手の者だけに限り、教会の勢力は放置しても良いのでは?」


 タチの部下が、なおも質問を重ねる。まぁ、いまの話では、教会と揉める必要があるとまでは言えないわな。関係悪化を招きかねない相手だからこそ、慎重に対処すべきだというその部下の言には、一理あるだろう。

 だがタチは、そんな部下の判断を即座に首を振って却下する。


「我々と姉弟との繋がりを、できるだけ秘しておきたい。教会もスティヴァーレ勢力であり、現状でどちらに転ぶかわかったものではないという点を忘れるな。もしも本当に、姉弟の坑道が開通、維持可能な代物であり、帝国が難なくナベニポリス周辺を統治できると教会側に知られれば、彼らは手の平を返してナベニポリス側に付くかも知れない。ナベニポリス侵攻は、帝国の興亡にも関わってくる重大事。ここで適当な仕事をすれば、それが巡り巡って帝国の支障となりかねないのだ」


 タチはそう言って、いま一度首を落とされた部下の骸を見やる。なるほど。この部下を殺したのも、徹底して姉弟との関係を悪化させるかのうせいを潰しているのか。それだけ、いまの姉弟は帝国にとって重要な存在だという判断なのだろう。

 あの話が嘘だったりしたら、どうするつもりなんだろう……。いやまぁ、妖精金貨で十万枚と大見得を切ったあの態度を見れば、相当に成算は高いと見ているのだろう。これで「やっぱできませんでしたぁ。てへっ☆」なんて言おうものなら、タチはあの姉弟の暗殺に着手するかも知れない。


「大公の手の者も同様だ。生かしておいて、姉弟に讒言ざんげんを弄されても困る。なんとなれば、姉弟にとって我々は必ずしも必要な存在ではない」


 まぁ、あの姉は勿論、ショーン・ハリューもまた、厄介な性格をしているからな。目の前で、言った言わないの水掛け論や、どちらがより悪いかなんて悪罵合戦でも始めようものなら、彼らを見限ってあっさりと距離を取りかねない。

 あの話は帝国の貴族に伝わればいいのであって、その相手はタチらやその上のタルボ侯爵である必要はないのだ。それだけ、帝国にとっては垂涎の話であり、下手をすれば皇室が直接、姉弟に働きかけてくる事すらあり得るような話なのだ。

……しかし、本当にどういうつもりなんだか。ダンジョン側の存在であるとバレる危険もあるってのに……。


「わかったか?」

「はッ」


 タチが問い返すと、それまで質問を重ねていた部下が背筋を正して応答する。部下一人を目の前で手に掛けた直後だというのに、その統率に一糸の乱れもないというのは、流石は【暗がりの手ドゥンケルハイト】といったところか。


「その他の間諜はいかがしましょうか?」


 別の部下がタチに問う。彼はそれにおざなりに手を振ると、興味もなさそうに答える。


「適当に間引いておけ。我々が、意図的に教会の手の者を狙ったとわからん程度には、首を揃えておく必要もある。ただ、徒に被害を大きくして、第二王国内の耳目を西に向けられるのは面白くない。大公や教会の連中と違い、そちらは全滅させぬようにだけ気を配れ」

「はッ」

「姉弟の方はどうします? 支援をしますか?」

「ふむ……。そうだな……」


 その質問には、流石のタチも即答できなかったのか、顎に手をおいて考え込む。これだけ姉弟に入れ込んでいるのだから、即頷くと思ったのだが違うらしい。

 だがすぐに結論に至ったのか、数秒で顔を起こした彼は部下に告げる。


「【客殺し】と【甘い罰フルットプロイビート】が生き残りそうであれば、適宜対処し、始末しろ。ただし、双方ともに実力はたしかな者らだ。ないとは思うが、ダメージが軽微であるようならば放置していい。我々の手に余る」

「はッ。直接的な支援は必要ないと?」

「要らん。いや、厳命する。いまのショーン・ハリューには、必要以上に近付くな」

「は、はぁ……」


 流石に命令の意図を量りかねた部下の返答が曖昧になったのを、見咎めてか、タチが出来の悪い我が子にでも向けるかのように嘆息する。


「いまのアレは、限界までなにかを溜め込んだ皮袋のようなものだ。なにかがあれば、破裂してその内容物が噴き出すだろう。近くにいては、巻き添えを食うぞ?」

「なぁ、それってどういう意味だ?」


 俺はここにきて初めて、タチに声をかけた。流石にこれは、問わずにはいられなかった。タチはそんな俺を一瞥すると、姉弟がいるであろう通路の先を窺う。流石に四階層の薄暗さと、海水を間に挟んでいる為に、その視界に彼らの存在は捉えられない。


「ショーン・ハリューは、どちらかといえば抑圧的な人間だ。それなのに、その性格は内向的ではなく社交的な面を有している。経験上、こういう人間は限界までストレスをため込み、どこかで限界がきて爆発する。ショーン・ハリューがなにに悩んでいるのかまでは知らないが、あの様子では決壊は近いだろう。今回でなくとも、近い内に限界は来ると、私は見ている」

「…………」


 グラがダンジョンコアであるという言葉が真であろうと偽であろうと、ショーンはあくまで、俺と同じダンジョンのモンスターのはずだ。それを人間と同列に考えるのは、間違っているはずだ。

 けれど、どうしてかタチのそのセリフに、俺は半ば納得していた。それは、俺も無意識の内に、それを感じ取っていたからかも知れない。


「ただでさえ規格外な彼が、感情の箍が外れて暴れ出す事を思えば――……少なくとも私はそこに部下を近付けたくはない……」


 最後にそう、しみじみと付け加えたタチの言葉にも、俺はついつい根拠もなく納得するのだった。



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