第10話 悪魔と呼ばれるにたる少年
「へぇ、それが【神聖術】ですか。初めて見ました」
心底感心するように、パチパチと手を叩きながら、ショーン少年は膝をついて荒い息を吐く拙を称賛する。ぽたぽたと顎を伝った汗が、上等な絨毯に落ちて染みを作っていた。
ほんの数秒体感しただけで、この有り様だ。なるほど、これが群衆相手に使われたりしたら、混乱は必至だろう。半数が死傷というのも、わからなくはない。
「……そちらこそ、随分と悍ましい幻術ですね……」
なんとか息を整えつつ、拙は当て擦りのようにそう返した。
「まぁ、生きたまま痛みもなくバラバラのサイコロステーキにされる感覚ってのは、気持ち悪いですよね。それを空間ごとルービックキューブにするとか、我ながら随分なものを作ってしまったと思いますよ。反省はしませんが」
「……」
信じられない……。バラバラにされたのは拙だけではない。ショーン少年とて、あの感覚を味わったはずだ。ルービックキューブとやらがなにかはわからないが、恐らくはあの、空間内の立方体をぐちゃぐちゃにする現象を言っているのだろう。あんなものが、『随分なもの』程度で収まるものか!?
だというのに、平然と笑いながらそんな事を嘯ける精神の方が、よっぽど気持ちが悪い。
この少年の精神性は、ハッキリ言って化け物じみている。たしかに痛みこそなかったものの、感覚的には本当にバラバラにされたのだ。気持ち悪いとか、そういうレベルのものではない。まさしく、正気の沙汰ではない。
あの空間は、まさしく悪意の
しかもそれを、相手にのみ効果を発揮するようなものならともかく、自分すらも巻き込む形で使っているのだ。イカれている。拙だって、未だにちょっと怖くて涙が出てくる程なのだ。それを……――
もう嫌だ。こんな子供と、もう一秒だって一緒にいたくない。次は絶対、別の人に交渉役を押し付けよう。
「わ、わざわざ披露していただき、あ――かたじけない……。それでは拙はこの辺りで、失礼させていただきます」
「そうですか。またお会いできる事を、楽しみにしていますよ」
「……そうですね……」
なんとかそれだけ告げて、そそくさと部屋を辞した。あんなものを体験させられて、とても「ありがとう」と礼を述べる気にはならなかったし、できる事なら二度と会いたくはない。
一つだけ、間違いのない事は、あの少年は――悪魔と呼ばれるだけの素養が、十二分に備わっていたという事だ。ああ、神よ……っ。どうかあの悪魔から、拙をお守りください……っ。
●○●
ふぅむ……。
僕はオーカー司祭の出て行った扉を見やりつつ、一人ぽつんと取り残された室内で考える。思い起こされるのは、オーカー司祭の容姿だ。
藤色の髪に、黄色がかった明るい茶色の瞳。僕より頭一つ分程高い身長に、ダボッとした神官服のような装い。アクセサリーなどは身に付けていなかったが、首にはロザリオがかけられていた。勿論、ロザリオだからといって、メダイは十字架ではなかったが。
「ふぅむ……」
僕は悩む。正直、子供の使いのような真似をやらされ、挙句の果てには【曼殊沙華】の効果の実験台にまでされたあの人に同情はするが、反省そのものは一切ない。ここで舐められては、その後も相手はズケズケとこちらの領分に踏み込んでくるだろう。
そのような関係は、いずれ破綻する。そうなる前に、ぴしゃりと釘を刺せたのは、悪くはあるまい。譲歩すればするだけ、踏み込まれてはたまったものではないのだ。
まぁ、【聖戦】だなんだと言っていたが、大丈夫だろう。教会が好き勝手をやるには、この地はあまりにも政治的に難しすぎる。下手な手の出し方をすれば、教会が発端となった騒乱が巻き起こる可能性すらある。そうなれば、ポンパーニャ法国は勿論、神聖教――ひいては【神聖術】にまで悪影響が生じかねない。
僕ら姉弟の為だけに、そんなリスクは犯せまい。精々、嫌がらせが関の山だろう。
「むむぅ……」
だが、そんな事よりも、いま僕を悩ませている問題は、なかなかに深刻だ……。いまさら確認のしようがないというのが痛い。
「なにを唸っているのです?」
「うん? ああ、グラか」
見れば、ミルとクルを連れたグラが部屋に戻ってきていた。まぁ、交渉事でグラがいても、マイナスになる事はあってもプラスになる事はないと、今回は待機してもらっていた。下手な言質を取られると良くないし、逆に失礼な態度で相手に口実を与えたくもなかったのだ。
そんなグラが、客が帰ったのを察したのだろう、天邪鬼の【曼殊沙華】を使う際に避難させた使用人二人を連れて、応接用に使っているサロンに戻ってきていた。
「それで? なにを唸っていたのです?」
「ああ。うん、別に大した事じゃないんだけどさ……」
「大した事でなくとも、我々の間に隠し事などあり得ません。須く詳らかにするべきです」
「ああ、まぁ、そうか。いや、本当に大した事じゃないんだけれどね。グラがそう言うなら……」
正直、実際にオーカー司祭を目にしていないグラには、詳らかにしたってどうしようもない話だとは思うが、それでも不和の種になるくらいなら言ってしまおう。
「いや、あのオーカー司祭って、男の人だったのかな? 女の人だったのかな?」
僕の疑問に対し、グラは心底どうでも良さそうに「はぁ?」と首を傾げ、ミルとクルは呆れたように嘆息した。
いやだってさ。どっちだったとしても、性別を聞くなんて失礼じゃないか。男性ですかと聞けば、相手が男であれば女々しいと言っているようなものだし、女性であれば女性らしくないと言っているようなものだ。逆もまた然り。
だったら聞けないだろう?
「いや、グラは見てないからわかんないだろうけど、オーカー司祭が男性か女性かって、外見からじゃあんまりわかんないんだよ」
「はぁ……、まぁ、どちらでも構わないのでは?」
「それはまぁ、そうだけれど……」
だけど、もしも次回顔を合わせる機会があって、その際に性別を知らないと困るような事態もあり得るかも知れない。もしも教会との関係改善を図るならば、あのオーカー司祭に贈り物をする事もあり得る。だが、一度顔を合わせているのに、性別に合わない贈り物をするというのは、ある意味で侮辱的だろう。
いやまぁ、どちらの性別にも合うようなものを贈ればいいし、僕らの場合は【鉄幻爪】という手もあるので、問題ないといえば、たしかに問題はない。
「それよりも、その【曼殊沙華】を使ったのでしょう? どうでした?」
「うん。まぁ、予想通り実戦用としてはイマイチだったかな。やっぱり、キーワードが長すぎる」
「でしょうね」
「まぁ、そもそもコレ、別に実戦用じゃないしね」
「そうなのですか?」
僕の発言に、不思議そうな顔で首を傾げるグラ。
実際に体験してみればわかるが、【天邪鬼】は空間を切り取ってそれをバラバラに配置するだけの、疑似ルービックキューブ体験みたいな幻術だ。根底となっているのは【
だが、これで死を実感するかといわれると、まずしないだろう。サイコロステーキにされたときに、もしかしたらという程度だが、【
「実戦用ではないというのなら、どうして作ったんです?」
「うん? だから、今回みたいなときに、相手に見せる為だよ」
「ああ、なるほど」
グラは感心するようにポンと手を叩く。その姿が、どこか人間臭くて、ついつい笑ってしまう。
そもそも、天邪鬼って死神じゃないし、ネーミングとして【曼殊沙華】のコンセプトから外れてるもんね。その他の【曼殊沙華】のラインナップを思えば、流石に天邪鬼では役者が不足し過ぎている。せめて
まぁ、その辺りは
「つまり、相手を油断させる為のものという事ですね?」
「油断とも違うけれど、まぁ大過ないね」
ぶっちゃけ、【
まぁ、油断させるって思惑も、ないではない。天邪鬼を経験したオーカー司祭の口から、僕らの『神を僭称する幻術は、こういうものだ』と伝われば、実際に【
「ただ、ここにきて【曼殊沙華】の問題点が発覚した」
「問題ですか?」
そうだ。オーカー司祭の用いた【神聖術】は、僕の【天邪鬼】を一発で無効化した。これは、生命力の理で
これは結構由々しき事態だ。今後、【神聖術】を使える相手と戦う際には【
対抗策を模索しようにも、実際の術が使える人が近くにいないと、実験もままならないしうえ、正しい知識がなければ、間違った対策を立てかねない。そういう意味で、やはり初めて出会った【神聖術】の使い手たるオーカー司祭とは、もう少し関係を深めたい。
……んだけど、ちょっとビビらせ過ぎちゃったかなぁ……。嫌われてなきゃいいけど……。
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