第9話 神聖術

「無理、ですか?」

「ええ」


 淡々と述べるショーン少年に、拙は問う。


「本当に最悪の場合、我々教会と争うという事ですか?」

「まぁ、最悪の場合はそうなるかと。僕らとしては望まぬ結末ではありますが」

「望まぬというのなら、どうして無理などと……」


 拙の問いに、わかっているだろうとばかりにショーン少年は、そのあどけない顔から、一切の表情を消して、ずばりと核心を突いた。


「だってあなた、僕らにメリットを一切提示していないでしょう?」

「…………」


 その通り。だが、それも仕方がないだろう。拙に、教会の分限を裁量する権限などない。結局、拙に任された交渉とは、【聖戦】という言葉で脅し、その恐怖に臆した相手に『そうなりたくなければ、こちらの要求を呑め』という、マフィアも同然の脅し透かしでしかない。

 つまりは、教会は彼ら姉弟を『所詮は子供』と舐めてかかったのである。だが、こうして対峙してみればわかる。ショーン少年は脅しには刃を、論には理を、礼には礼を返す人物だ。

 彼は、単純な脅しに屈して、こちらの意のままに操れるような、ただの子供ではない。


「僕らにとって、あの幻術は切り札の一つです。それを使うなといわれるのであれば、僕らの安全は教会が守ってくれるのでしょうか?」

「それは……」

「それはどの範囲で? 僕らがゲラッシ伯爵と揉めた際には、僕らの代わりに戦ってくれるのでしょうか? 王冠領とは? 第二王国とは?」

「…………」


 当然、拙にはそんな契約を結ぶ権限もない。というか、どんな権限をもってしても、そんな契約など結べるわけがないだろう。たった二人の姉弟の為に、領主貴族や国家を相手に、教会が矢面に立つなどできるはずもない。

 だが、逆にハリュー姉弟の立場に立ってみれば、それは当然の要求でもある。わざわざ時間も労力も資金もかけて開発した術式を、教会の勝手な思惑で封印するのだから、それに伴う代償がなければ、とても呑めた話ではあるまい。

 単純に、術式を失う事に対する安全面での手当てに加え、術式開発に充てた資金や時間の補償。そしてなにより、先の騒動のような事態における、教会側からの全面的なバックアップ。最低でも、そのくらいの交換条件がなければ、こちらの話になど聞く耳持つまい。


「…………」

「無理ですよね? では、この話はここまでという事で」

「待ってください」


 ショーン少年が話を切り上げようとするのを、なんとか引きとめる。だが、それ以上の言葉が続かない。


「…………」

「オーカー司祭、あなたがなんの交渉材料も持たされずに、こちらに遣わされたのはわかりました。恐らくは、あなたの意図ではないのでしょう。ですが、教会がこちらを舐めている姿勢は、十二分に伝わりました。あえて糖衣を脱いだ言葉で申し上げるならば、実に不愉快です」

「…………」

「その苦渋の表情から、あなたの誠実なお人柄はわかります。ですのでどうか、次回があるのなら、このような諍い紛いの交渉にならぬよう、ご準備をされてからテーブルに着かれる事をお勧めいたします」


 そう言って、ショーン少年は身振りで部屋の出入り口を示す。そのまま「お帰りください」という意味だ。つまりは、交渉は決裂である。

 自分よりも歳下であろう少年に、道理を諭されるこの身の不甲斐なさよ……。しかしながら、その言いちいちもっともであり、汗顔の至りである。

 だが、この問題はいう程簡単でもない。ハリュー姉弟の安全を保障すると言って、それがどこまで適用される? 先に彼が述べた通り、王冠領、第二王国が相手であれば

 最悪なのは、ハリュー姉弟が王国人として、他国との戦争に参加した際、教会が無条件で第二王国側に付かねばならない状況というのが、起こり得るという点だ。ハリュー姉弟の存在が、ダイレクトに外交的な立ち位置にまで波及するというのは、いくらなんでも針小棒大に過ぎると思わるかも知れない。だが、事はそれくらいに厄介なのだ。

 ハリュー姉弟が戦争に参加するのが困るというのなら、彼らを戦争に参加させないという契約にするしかない。しかし、もはやハリュー姉弟は第二王国、王冠領、ゲラッシ伯爵領にとって、軍事的に無視し得ぬ戦力なのだ。

 それを教会の都合で無力化するなど、第二王国に対する政治及び軍事介入もいいところだ。当然そこには、国家間での交渉も必要になってくる。ハリュー姉弟という戦力を漸減させる以上、教会は今度はその穴埋めをしなければならない。それは他国から見れば、教会が、ひいてはポンパーニャ法国が、第二王国側に付いているようにしか見えないのだ。

 改めて、ハリュー姉弟に対する話が、大袈裟でなくダイレクトに外交問題に直結するのだという事を、認識せざるを得ない。


「……あの、もしよろしければなのですが――」


 最後に拙は、少々厚かましい事ではあるが、ショーン少年にお願いをする。


「――件の、神の名を冠す幻術というものを、実際に見せてはいただけないでしょうか?」


 正直、教会関係者にこの術式の実態を観測した者がいないというのは、今後の交渉においても、良くない事態である。どこかに『幻術程度で大袈裟な……』という考えが、拙も含めて心の片隅にでも残っていれば、これからもおざなりな交渉が繰り返されかねない。

 代価の話をするならば、我々はその商品を確認する権利があるはずだ。でなければ、大金を払ってガラクタを買う惧れとてある。


「ふむ……」


 拙の願いに、ショーン少年はしばし考え込む。

 たしかに我々にはそれを拝見する権利があるといえるだろうが、それはあくまでも、ショーン少年にそれを売る気がある場合だ。売りたくもないものを、こちらの都合で勝手に売れと言っているのだから、ここで彼が拙の要求に応じないという事も、往々にしてあり得るだろう。

 だがショーン少年は、一つ頷くと屈託ない笑顔で拙の要求に応じる。


「わかりました。いいですよ」


 それから彼は、二人の使用人に声をかける。


「ミル、クル、ちょっとこの部屋から出て行ってくれるかい? そうだな。一応、グラのいる寝室の方まで避難しておいて」

「かしこまりました」

「はぁい」


 二人の使用人が素直に頭を下げ、そそくさと部屋を出ていく。それはまるで、大型の肉食獣を目の当たりにした小動物が、一目散に逃げだすようだった。もしかして拙、早まった……?

 たしかに、一〇〇〇人近くもの人間を死傷させた幻術を見せてくれというのは、いささか迂闊だったかも知れない……。で、でも、やっぱり実際の情報がないと、判断も交渉もままならないのも事実……。


「それではいきますよ?」


 そう言って彼は、こちらに手を差し出す。そこには――黒々とした木肌に、まるで縞瑪瑙のような木目が特徴的なフィレトワの木で作られた腕輪がある。赤い苦礬柘榴石パイロープがあしらわれた大きめの腕輪が、ショーン少年の華奢な腕に嵌っている。苦礬柘榴石パイロープはたしかにこの王冠領における特産だが、木材と合わせるというのは、流石に勿体ないのではと思ってしまう。とはいえ、細工物に重宝されるフィレトワだけに、どこかエキゾチックな魅力のあるるアクセサリーだ。

 そんな拙の感想を他所に、少年の唇はそのマジックアイテムを発動させる為の調べを紡ぐ。


「【羅針の万障ばんしょうり合わせ、無理を通して道理をくじく。しかして紡ぐは泥縄の世界はこ】――さぁ、おおいなる悪意のたなごころにて、一緒に玩弄されようか――天邪鬼アマノジャク


 途端、世界が細切れにされた。

 室内の遍くすべてが、サイコロ状の立方体に分断される。それは豪華な家具や壁、天井、床――そして当然、我々人間すらも。

――ぐるん。

 立方体に分割された一列が、回転する。そこにあったものが、ぐるぐると引っ張られて、配置を変える。そこにあった拙の左腕と、ショーン少年の右腕もまた、遥か後方へといってしまう。

――ぐるん。

 今度は横だ。拙の首とショーン少年の頭が、室内のどこかへと飛んでいった。不思議な事に痛みはない。だが、それが逆に認知の不協和を呼び、気持ち悪い……。

――ぐるん。ぐるん。ぐるん。

 縦横無尽の回転に、拙たちの体はバラバラにされる。部屋のあちこちに散在する自分のパーツ。そして、ショーン少年のパーツ。もはやどこが天井で、どこが床なのか。どれがテーブルで、どれが椅子なのか。どこが手足で、どこが胴なのか。どれが拙の目玉で、どちらがショーン少年の口なのか。

 少年が幻術を発動させたものの数秒で、拙は限界に達した。


「【天道てんとう、蒼穹、無辺の野ををく者よ。しるべを持つ者は幸いである】【正伝三章一節・正道標せいどうひょう】ッ!!」


 拙は【神聖術】の【正道標】を行使し、ショーン少年の幻術を破る。それまでの姿を取り戻し、当然バラバラになっていない体で拙は、膝をついて荒い息を吐いた。



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