第8話 あからさまな脅し
【聖戦】
言葉だけならば美しく、輝かしく、正しさに満ちたそれは、しかし歴史を知る者にとっては眉を顰めざるを得ない言葉だ。
これまでに異教徒、ダンジョン、そして国を相手に発動されたそれらは、結局のところ成功したという例の方が少ない。異教徒たちはいまだ健在であり、ダンジョンは上級冒険者たちが主に攻略し、国に対して興した【聖戦】など、完全に政治の産物だ。
それでも、こういう先鋭的な言葉は大衆を煽るのに度々用いられ、その煽られた人間の数が、教会の力であるというのもまた、事実ではあるのだ。だが、そういったやり方で信徒を煽った場合、確実に十年、二〇年後には揺り返しが来る。
そしてその揺り返しの度に、我々の根幹たる【神聖術】が揺れてしまう。これは、実に由々しき事態なのだ。
「【聖戦】ですか……」
ショーン少年はニコニコとした笑みを湛えたままに、しかしその目だけは冷徹に拙を見据え、飴玉でも転がすように口の中で呟いた。その姿は、どこか事態の推移を面白がっているようですらある。
「それが自分たちに向けられると思うと、とても恐ろしいですね。ですがお恥ずかしながら、僕はその【聖戦】というのがどのようなものか、とんと存ぜぬのです。もしよろしければ、オーカー司祭からお教え願えないでしょうか?」
「別に、わかりづらい事などなにもありませんよ。単にお二人が、神聖教全体から敵認定をされ、攻撃を受けるというだけの話です。しかしながら、当然今後の人生において、神聖教からの恩恵は受けられなくなりますし、国というものに縛られない教会信徒からの攻撃というものに、終生悩まされ続ける身となるでしょう」
拙の精一杯の脅しにも、ショーン少年は一向に表情を変えない。普通に考えれば、病気や怪我の際に治療を受けられなくなり、国という枠組みに縛られない不特定多数の人間に狙われるという事態は、あまりにも巨大なデメリットであるはずだ。
だというのに眼前の少年は、まるでそんな事は既に織り込み済みだとでも言わんばかりの態度である。
「それは恐ろしい」
白々しくもそう嘯きつつ、ショーン少年は肩をすくめる。微塵もそんな危機感は覚えていないのだろう。
「しかしながら、神聖教会全体が僕ら姉弟にそこまでご執心であるとは、いやはや驚きですね。あまつさえ、教徒全員でのリンチまで考えておられるとは」
「リンチなどと、人聞きの悪い……」
抗弁したが、たった二人に対して数万数十万、北大陸全土で見るなら百万を超える神聖教徒のすべてが敵に回ると言ったのだから、あながちそれも間違いではない。だが、眼前のショーン少年は、そんな数字にも怯える様子を見せない。まぁ、当然か。
いかに神聖教の教徒が多かろうと、わざわざ二人の姉弟を嬲る為に、外国まで足を運ぶような酔狂な者はそうそうおるまい。いかに国教といえど、他国との関係を悪化させてまで、ゲラッシ伯爵領に乗り込もうとする支配者も、まずおるまい。
それがわかっているのだろう、ショーン少年は余裕の態度を崩さない。我々が、自分に手出しができないと、高を括っているのだろうか。
「まぁ、アルタンの町の住人が、再び僕らに害意をもって立ちあがる事は、まずないでしょうね」
「…………」
ショーン少年の言葉に、拙はなにも言い返せない。先の暴動騒ぎによって、彼ら姉弟はその力をまざまざと見せ付けた。今回、命が助かった町の住人たちですら、それはヒシヒシと実感している事だろう。
彼らが再び、ハリュー姉弟に立ち向かえるかといえば……。まぁ、望み薄だろう。
「そうなると、近隣の町や帝国、ベルトルッチ平野から信徒を集めるのでしょうか? 大変ですね。第二王国や王冠領のお歴々との折衝、頑張ってください」
「…………」
このゲラッシ伯爵領というのは、政治的に非常に不安定な領邦だ。王冠領に属し、王国に属し、帝国やナベニ共和圏にとっての要衝である。だからこそ、先の間諜たちもアルタンの町を狙ったのだろうが、それ故にここに手を出せば確実に反感を買う。
実際、先の騒動にポンパーニャの間諜が携わっていたのではないかという疑いもあり、教会上層部は、第二王国と王冠領との間に小なりとはいえ火種を抱え込んでしまったという話も、小耳に挟んではいる。
そんな状況で、帝国やベルトルッチの信徒を、ゲラッシ伯爵領に入れる? 受け入れられるわけががない。ゲラッシ伯爵領はたしかに難しい立ち位置にはあるが、第二王国にとっても王冠領にとっても、必要な領邦なのだ。それを、自分たちの支配下にはない、他国の信徒たちにいいようにさせるなど、座視する理由が微塵もない。
そしてなにより、ゲラッシ伯爵領を帝国や法国に押さえられては困る勢力がある。ナベニ共和圏だ。安全な陸路で帝国が攻め込んでくれば、ナベニポリスを筆頭とした、ベルトルッチ平野東端部であるナベニ共和圏は、その侵攻に抗い切れない。
彼らにとって、パティパティアの峠道は、王冠領であってくれなければ困るのだ。
まず間違いなく、ベルトルッチ平野を抜けて信徒を移動させる際には、抵抗してくるだろう。そうなると本当に、動かせる人員は限られてしまう……。
それを見透かしたように、ショーン少年は口を開く。
「それで集まるのは何人でしょう? 一万人かな? 二万人かな? 恐ろしいですね」
ニコニコニコニコと、胡散臭く貼り付けた笑顔でショーン少年は嘯く。まず間違いなく、そんな人数にはならないとわかっているのだろう。五〇〇〇人集められれば御の字といったところか。ここがポンパーニャであれば話は違ったのだろうが、外国ではな……。
いや、これも希望的観測に過ぎる……。彼ら敬虔な信徒は、日々己の糧を得るべく、朝な夕なと寸暇を惜しんで働いているのだ。そんな信徒たちに、たった二人の子供を相手に【聖戦】だなどと言って、どれだけの人数が集まるというのか。
精々、先の騒動と同程度の、二〇〇〇人程と見るべきだろう。だがそうなれば、結局は先の騒動の二の舞でしかない。そして、そんな
やはり、教会としては彼らに関わるのは、厄種に自ら突っ込むが如き所業でしかない。
「教会としては、あなたたちハリュー姉弟の使う幻術が、神の名を僭称する事を問題視しているのであって、必ずしもお二人と事を構えたいわけではありません」
「それはありがたい。僕も同じ思いです」
「ですが、やはり我々神聖教の神ではない、別の神を模した幻が畏怖を集めるというのは、ハッキリといえば迷惑極まりない行為になるわけです。そこは、ご理解いただけているでしょうか?」
「まぁ、それはわからなくはありません」
それまでの笑顔を潜め、神妙に頷くショーン少年。脅しには屈しないようだが、どうやらこちらに歩み寄る意思がないわけではなさそうだ。
結局のところ、我々の懸念はそこであり、それ以上でもそれ以下でもない。
「ですのでどうか、事を穏便に治める為にも、最低でも術式の名称を変えて使ってはいただけませんか? 【聖戦】などになれば、我々もデメリットが大きいですが、お二方にとってもデメリットは甚大なはず」
そう。先程はことさらに教会、神聖教側のデメリットを論って現状を鑑みたが、別段姉弟にデメリットがないわけではない。いや、やはり大きなデメリットが生じるのだ。それはさながら、たった一つの家で、国家に叛逆を企てるが如き所業であり、下手をすれば日々の糧にすら事欠く有り様に陥りかねない。
つまりは、共倒れの道なのだ。正直、こんなバカな案を出す上層部も上層部だが、そんなものを脅しとして使えという、直属の上司も上司だ。アホらしい。交渉相手にバカだと思われるから言いたくなかったのだが、教会としての姿勢はきちんと伝えておかねば、後々齟齬を生みかねないので仕方がなかった。
「ふむ。そうですね……」
暫時逡巡するように、目を伏せ黙考したショーン少年は、しかしすぐに拙に向きなおると、肩をすくめて苦笑した。
「申し訳ありません。無理ですね」
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