第7話 神の僕
〈2〉
ハリュー姉弟に関する資料を眺めつつ、
なんだ地獄を作るって? なんだ死神を召喚って……?
しかし、放置するわけにもいかないというのも、至極残念ながら理解できてしまう。神の名を僭称する幻術を用い、天使や悪魔を名乗る姉弟など、教会に喧嘩を売っているのかと聞きたくなる振る舞いではないか。最悪、教会と姉弟とで真正面からの対立に陥りかねない。
流石に、たった二人の姉弟との諍いに教会が屈するとは思えないが、さりとて確実に悪評が立つ。
「でもだからって、なんだって拙が出向いて、その
黒の法衣で手に滲んだ汗を拭う。何度目になるかわかったものではない。式典用の白い法衣を着てきていたら、汗染みが目立っていただろう。洗濯も面倒だったに違いない。黒の方を着てきて良かった……。
普段着で会いに行くのは失礼にあたるのかも知れないが、まぁ、相手は貴族でもないし、大丈夫だろう。
ヴィラモラ様式の、落ち着いた雰囲気の宿に辿り着く。慣れ親しんだスティヴァーレ様式とは違うが、やはり外国というのはこういう異文化の様式美を堪能できるのがいい。
二人のメイドに案内され、拙は姉弟が泊まっている部屋へと通された。拙などでは到底宿泊などできるはずもない、この宿一番の部屋にその少年はいた。
なにやら中空に、半透明の板のようなものを浮かべては、それに対して真剣になにかを思考している。
「またですか……」
ミルと名乗ったメイドさんが、その姿を見て呆れたようにこぼした。たしかに、客を迎えるような態度ではない。単に拙が舐められているだけかも知れないが……。
「旦那様! おーい、旦那様ぁ!」
クルというメイドさんも声をかけるが、ハリュー姉弟の――恐らくは弟の方は、一向にその半透明の板から視線を外さず、応答もない。
拙としては、その半透明の板はなんなのか、そして時折なにかを弄るように指を動かしている意味はなんなのか、質問してみたい。とはいえ、まったく相手にされていない現状では、それも能わないだろうが。
「ショーン様! もう司祭様がいらっしゃってますよ! いい加減、そうやって少しの待ち時間とかに研究始める癖、やめてくださいよぉ!」
「そうそう。いっつも夢中になって、お客さんを通しても気付かないんだからぁ!」
しかしこのメイドたちも、主人に対して随分と気安い。彼が貴族ではないというのもあるのだろうが、相手はあの【白昼夢の悪魔】だろう? 使用人などいても、もっとおっかなびっくり仕えているものだと思っていた。
「うん? ああ、またやってしまったか……」
そこでようやく、少年は二人のメイドと拙の存在に気付いたようだ。バツの悪い表情を浮かべつつ、慌てて宙に浮かべていた半透明の板をフッと消し去ると、少年は拙に対して頭を下げてきた。
「大変失礼いたしました、オーカー司祭。僕はショーン・ハリューと申します」
「初めましてウィステリア・オーカーと申します。この度は、わざわざお時間をいただき、誠にありがとうございます」
拙もまた、噂の【白昼夢の悪魔】に対して、頭を下げる。聖職者としては悪魔と称されている者に頭を下げるのもどうかと思うが、調べる限りこの悪魔というのも、別に自ら名乗ったわけではないらしい。それでも、他者から悪魔などと呼ばれる人物と、交流を持ちたくはないが……。
「旦那様! いい加減にしてください!」
「あとあとザカリー様に叱られるのは、私たちなんですよ!」
「ごめんごめん。ザカリーには、君たちに失態はなかった事、悪いのは僕だったって事を言い含めておくから……」
二人の使用人に責められて、たじたじになっている悪魔……。うーん、本当にこの少年が、あのショーン・ハリューなのか? とても、悪魔と恐れられているような人物には思えないのだが……。
「それでも怒られるんです! お客様に対して、主人の恥を晒したって!」
「そうそう。そう簡単には許してあげません!」
「悪かったよ。そうだ。これ、黄銅で悪いけど、僕の試作品の指輪。付与されているのは、僕のオリジナルの【
なんと、ショーン少年は使用人のご機嫌取りの為に、マジックアイテムを渡そうとしているではないか。黄銅、つまり真鍮製とはいえ、己の腕を安売りするような真似だ。しかもオリジナルの術式が付与された指輪をだと? それが他者の手に渡れば、己の研究成果を横取りされてしまうような真似だ。
普通の魔術師なら、まずしない愚行である。しかも、見ればその真鍮の指輪、品質はそれなりながら、宝石である
「えっと……、流石にいただけませんよ、そんな高級な品……」
「いいんですかっ! やったぁ! 可愛い指輪ゲットぉ~」
片や遠慮する者、気にせず大喜びする者に分かれた使用人。遠慮したのがミル、さっさと主人から指輪を受け取って、嬉しそうに眺めているのがクルだった。
「失礼。それではこちらへどうぞ」
使用人と主人が言い合いをするという、結局はマナー的にどうなんだろうという光景を十分に見せ付けてから、ショーン少年は何事もなかったかのように、拙を応接用の席へと案内した。
「改めて初めまして、オーカー司祭。本日は、どのようなご用件でお越しにになられたのでしょう?」
席につき、使用人にお茶を出されてから、ショーン少年はニコニコと柔和な笑みを湛えて問いかけてきた。その姿からは、やはり巷の噂で聞くような恐ろしさは感じられない。
「はい。実を申しますと、ハリュー姉弟のお二人に対しまして、教会に所属する聖職者の幾人かが、懸念を表しておりまして……。信徒からも、少なくない数の疑惑の意見が呈されております。我々、教会の主だった意見としては、そこまで気にするような事態ではないと考えておりますが、さりとて敬虔な信徒たちの意見を、確認もせず退けるわけにも参りません。ですので、こうして拙が遣わされたのです」
「なるほど」
拙の言葉に苦笑するショーン少年。恐らくは、想定済みの回答だったのだろう。あるいは、我々が事態を深刻に受けていないという意味で、想定よりもいい状況だと思っているのかも知れない。
「たしかに【白昼夢の悪魔】に【陽炎の天使】ですからね……。おまけに先の騒動もありました。教会の方々が心配なさるのも、当然といえば当然でしょう」
「はい。我々も、その異名はハリュー姉弟のお二人が自称したものではないと、既に確認は取れているのですが……」
信徒の中には、悪魔や天使を自称する不届きな輩がいると過剰に反応する者もいる。また、ハリュー姉弟の為した事に対して、単純にその力を恐れて掣肘を加えようとする節すらある。
どう考えても、それは悪手だ。ハリュー姉弟は、既に上級冒険者であり、将来三級は確実視されている程の実力者だ。そのうえ、二級、一級すら視野に入っている有望株。そんな人材と、みだりに関係を悪化させるなど、あまりにも愚かな選択である。
人類の敵は外国でも、そこに所属する有能な冒険者でもなく――ダンジョンなのだ。
将来、共にダンジョンを相手に戦う一級冒険者候補と、他者から勝手に付けられた異名などに拘泥して、その関係に蹉跌を生じさせるわけにはいかない。それは、神聖教としての総意といっていい。
ただ……――
「わかりました。異名につきましては、ハリュー姉弟様の方でも、望んで名乗っているわけではないと、そういう認識でよろしいですね?」
「勿論ですよ。そもそも、自称したりは……、たぶん自嘲以外ではないと思いますよ。姉に至っては、天使などと自称した事は絶対にありませんね」
「わかりました。拙の調べでも、お二方が自ら悪魔天使と名乗っているという情報は掴めませんでした。異名についてはそれでいいでしょう。ですが……」
拙は言い淀みつつ、ショーン少年の顔を覗き込む。だが彼は、ニコニコと湛える笑みを淀ませる様子はない。これからなにを言われるか、わかっていない訳ではなかろうに……。
「――神を僭称する術式に関しましては、我々といたしましても看過する事はできません。最悪、【神聖術】の効果にすら悪影響を及ぼしかねないという危惧すらあります。本当の本当に最悪の場合、我々神聖教会はお二人に対し、【神聖術】の保全を目的とした【聖戦】を敢行せねばなりません」
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