第6話 グラのお勉強
「聖杯とはなんだろう? それが、以前本家を大騒がせしたガラス製品なのだろうか?」
「聖杯仕様で酒杯を作るなら、その料金は妖精金貨で一万枚。期間は五年です。料金も製作期間も、一切妥協はできません」
ポーラ様からの問いには答えず、僕は法外な料金と長期の製作期間を提示する。その口調も、ぴしゃりとした物言いを心掛けたつもりだ。
だからだろう。ポーラ様も神妙な面持ちで、探りを入れるような事を聞いてきた。
「……私は、本家の動きについて詳しくない。あまりこちらから探りを入れて、面倒な政治問題に首を突っ込みたくないからな。だから、恥ずかしながら本家の事情に疎いのだ。その聖杯とやら、そこまでの代物なのか?」
「僕の口からは申せません。そして恐らくですが、ご領主様に手紙を出しても、文面で明確なお答えが返ってくる事はないでしょう」
滅多な内容を手紙に
ただでさえ忙しく、心労の絶えない立場にあるゲラッシ伯が、そのような迂闊な真似はすまい。
「ううむ……。わかった、その件はいずれ、本家に赴いた際に父上の口からお聞きするとしよう。私の酒杯は、普通のガラス製のものでいい。流石に、そのような大金をポンと支払えるような立場にはないからな」
そう言われて、ホッと胸を撫でおろす。少々迂闊だったかもしれないが、妖精金貨一万枚というのは、払える人には払える金額だ。酒杯一つにそれだけの金を費やすかと考えると、信じられない思いもあるが。
わかりやすくいうと、妖精金貨一万枚の価値は、この高級宿『ニュンパイの泉』全体を買い取れるかどうかという値段だと思う。まぁ、あくまでもこの町の現状を踏まえたうえでの値段設定だが……。
それをたかだかグラス一つに払うというのは、豪気を通り越して金満もいいところだろう。期間が五年というのも、普通に考えれば長すぎる。
とはいえ、それでリュクルゴスの聖杯と同じものを手に入れられるとすれば、喜んで支払う人はいるだろう。第二王国なら、王家や各選帝侯家は金に糸目を付けず、買い求めてくるかも知れない。この国の権力構造は、トップがハッキリしないので、順番だの値段だので絶対揉めるのが火を見るよりも明らかだ。なので、もう聖杯仕様のガラス細工は作りたくないのが、正直なところである。
ここで値段設定をしてしまったのは、多少迂闊だったかも知れないが、これ以上に無礼なやり方で断れば、流石に角が立つ。まぁ、この件はあとでポーラ様を口止めしておこう。
「しかし君は、歳の割にはしっかりとした物言いをする子供だな? 分別を弁えていないならともかく、それを承知の上でこちらに脅しをかけてくるとは、なかなかどうして興味深い」
まぁ、実質高校生だからね。見た目程、若くはないんですよ。たぶん、ポーラ様と年齢的にはタメくらいだろう。そう考えると、代官という職に就き、過不足なくその仕事をこなしている彼女の方が、僕なんかより余程しっかりしている。
そんなしっかり者の彼女に、僕は悪びれつつ頭を下げて謝った。
「失礼いたしました。件の聖杯に関しましては、我ら姉弟の秘術にも通じる代物なれば、軽々に外部に知られるわけには参りませぬので……」
「ふぅむ。秘術か……。魔術師の秘術……。興味はあるが……」
チラリと流し目を向けてくるポーラ様を、努めて無視する。別に製法自体は漏らしても構わない。それを再現できる属性術師など、皆無だろうからね。あれは、グラだからできた所業だ。
もしも、他のダンジョンコアに製法を伝えても、再現できないんじゃないかと、個人的には思っている。まぁ、そこら辺は身内贔屓でない自信はないが、それでも確実に、バスガルには不可能だっただろうと確信している。
とはいえ、情報は力であり宝である。みだりに他所に漏らすつもりはない。
「……まぁ、興味本位で聞いて、教えてくれるものでもないよな」
代官騎士はそう言って苦笑する。先程からの態度を見るにこのポーラ様、【魔術】そのものに随分と興味があるようだ。
まぁ、実質同年代の僕にも、その気持ちはわからないでもない。ただ不思議なのは、そこまで興味があるなら、自分で学べば良いだけのように思うのだが……。
【魔術】は学問だ。多少の素養は必要とはいえ、学びさえすれば優劣こそあれ、【魔術】を使う事そのものは難しくはない。
フェイヴなんかは、基礎をすっ飛ばして、一つの術式を丸暗記して使っている程だ。これは応用がまるでできない使い方なので、あまり褒められた学び方ではないが、それでも【魔術】はそれ程敷居の高い学問ではないという証左でもある。
ましてポーラ様は貴族。学ぶ伝手などいくらでもあるはずなのに……。
それからも、挨拶というには長々と、アルタンの町の状況や【
勿論、ポーラ様だって父親のゲラッシ伯や、独自の伝手で調べてはいるのだろうが、僕らはいわば当事者だ。誰よりも一次情報に近いところにおり、その情報の価値は、彼女のような為政者側からすればそれなりに高いのだろう。
通り一遍のところを話し終えたタイミングで、ポーラ様は席を立つ。
「さて、あまり長居をするものでもないな。私はこれにて失礼させてもらう」
「そうですか。名残惜しくはございますが、ゲラッシ様もお忙しいでしょう。お引止めしてはご迷惑になりますね」
僕がそう言うと、ポーラ様は帰り支度の手を止めて逡巡すると、僕の顔を見返しながら口を開く。
「私の事はポーラで良い。ショーン殿は父とも面識があるし、その内兄上たちとも交流を持つだろう。その全員をゲラッシと呼んでいては、面倒であろう?」
「それは、まぁ、たしかに……」
ゲラッシ伯はゲラッシ伯爵なのでいいのだが、それ以外は基本的には無位無官の、立場としてはゲラッシ伯爵の家臣でしかない。つまり、呼ぶとしたら全員が『ゲラッシ様』になる。たしかにそれでは、呼び分けが面倒ではある。そう呼ぶ機会があるのかは別にして。
その内の一人は、次代のゲラッシ伯になるのだろうが、それ以外の者は以降も『ゲラッシ様』のままだ。である以上、ある程度親しい相手にならば、こうしてファーストネームで呼ぶのを許すという場合もあるだろう。だが、今日会ったばかりでそれを許すか、普通?
「それではポーラ様と」
「うむ。私も君たちを、ショーン殿、グラ殿と呼ばせてもらう。構わないかね?」
「はい、勿論」
グラが『ノー』と言い出す可能性もあるので、間髪入れずにポーラ様の言葉を了承する。既にずっとショーン殿と呼ばれていたような気もするが、その辺は無視する方向で。僕らの場合も、ハリュー殿とか呼ばれても、どっちがどっちかわからないしね。
ロビーまでの見送りを辞して、ポーラ様は僕らの部屋から退室していった。勿論僕は彼女を部屋の出入り口まで見送ったが、グラもまた当然のようにお見送りなどしなかった。
いい加減、彼女にも社会常識を教え込もうか……。流石に、貴族相手にあの態度は余計な火種になりかねない。
ついでに、漏らしていい情報と、悪い情報の再確認もしておこう。
なお、その日の内にさらに四件のアポが舞い込んだ。……休みにならない……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます