episodeⅩⅦ 悪役の醍醐味

「――――」


 スタンクがなにを言ったのか、私は認識できなかった。響き渡った轟音と、頑丈であるダンジョンが軋む振動に気を取られて、認識したその言葉が次の瞬間にはどうでもいいゴミ記憶として処理されてしまったからだ。

 そんなものがどうでも良くなる程に、眼前で起こった出来事の情報処理にリソースを要求されてしまったからだ。

 それは、いってしまえばただの打ち下ろし、というよりも、まるで床を這う虫を手のひらで叩き潰すような動きだった。バチンと、上から下へ振り下ろした腕が、スタンクに向けて放たれただけだ。

 スタンクもまた、攻撃の気配に振り返り、身を躱した。その身のこなしにはかなりの余裕があった。それはそうだろう。それは技でもなんでもない、ただの叩きおろしだ。一定以上の武芸者であれば、鼻で笑いながら回避できる、素人並みの暴力でしかない。

――だが、スタンクの表情に一切の余裕はなく、驚愕と焦燥が貼り付いている。

 それもまたむべなるかな。それはまるで巨人の手。幅一メートルはあろうかという、大きな手のひらが降ってきたのだから。


「な、なんだッ!?」


 慌てるスタンクの視線の先には、その巨大な手の持ち主がいる。だが、そこにいるのは、巨大な掌には不釣り合いな程華奢な少年――ショーンだ。

 スタンクとの戦闘中に目の端で捉えていた双子との戦闘は、終始ショーンの優勢に事が運んでいた。だからここで、ショーンが割り込んでくるとは思わなかった。それはスタンクも同様だろう。


「な、なんだ、弟の方か……。どうした? お姉ちゃんが心配で駆けつけてきたのか? それとも、あっちが怖くて逃げてきたのかなぁ?」

「…………」


 スタンクの嘲弄にも、ショーンは答えない。二の腕から不自然に太くなり始める巨人の腕を持ち上げ、拳を握ってなんの感情も窺えない暗い瞳でスタンクを見詰めている。


「へ、へッ! さっきは不意打ちだったから避けちまったが、んなバカみてぇな幻術があるかよ!?」


 たしかに、その光景はあまりにも現実離れしている。人が一定の部位から巨大化する? そのような術理は、魔力の理にも生命力の理にも存在しない。だが、これは……――


「……お前、グラになに言った……?」


 地の底から唸るような声を発し、ショーンはスタンクに躍りかかる。

 そこに技はなく、当然動きに冴えもない。ただの子供が駄々をこねるような動作だ。対するスタンクの動きはまるで逆。身のこなし一つ、足の動かし方一つとっても、洗練された武術のそれである。

 そして二人は対峙し、衝撃が走る。


「――がはッ!?」


 吹き飛ばされたのは、筋骨隆々の小男だ。透明な壁に叩き付けられ、盛大に呻くスタンク。


「ちょ、ど、どういうこった!? なんで幻術なのに、フッ飛ばされんだ!?」


 即座に体勢を立て直すスタンクだったが、混乱は計り知れないだろう。それはそうだ。いくら感触を再現する幻術もあるといっても、実際に衝撃を与えるような幻術というものはない。

 あって【監禁】のような、被術者自身の精神作用を利用して自滅を誘う類のものだ。だが、スタンクが慌てているところを見るに、そういった幻術モノ抵抗レジストしていたのだろう。

 あるいは、他の【魔術】と併用する事で、ダメージを与える事は可能だが、いまのスタンクにそれに気付けるだけの余裕はなさそうだ。実際に、幻術師と対峙した経験も乏しいのだろう。

 まぁ、実際これはので、あながち間違いでもないのだが。


「【地獄は地獄を呼ぶアビュッススアビュッスムインウォカト】」

「は?」


 ショーンが詠唱した途端、彼の背中から腕二本の腕が飛び出す。一瞬、呆気にとられたスタンクだったが、すぐに気を取り直して気勢を吐く。


「し、知ってんぞ! お前は幻の腕を生やすらしいな! だが、それは脅し以外、ものを持たせるくらいしか役に立たねえって聞いてるぜ」


 それは【便利な手アドホック】の事だ。たしかにあれは、強度的には人を殴れば自壊してしまう程度の代物だ。風の属性術を骨子に、外側を幻術で覆っただけの術式だ。

 実のところ、スタンクの言う通り、そのグロテスクな見た目で相手に恐怖や嫌悪感を抱かせ、幻術の呼び水に使う以外は、なにかを持ってくれる程度の役にしか立たない。……まぁ、それはそれで便利なのだが……。

 だが、いまあの子の背に生えた腕は、その便利な手ではない。正真正銘の、化け物の手だ。第一、いままさに幻術にしか見えない腕に殴られた直後だというのに、どうしてあれを夢幻の代物だと楽観できるのか。


「……痛い……、……痛い……、……痛い……」


 まるで感情の乗らない声で、ショーンがボソボソと呟きながらスタンクに歩み寄る。左腕は巨人のように大きく、右腕は三本もあるせいで、酷くバランスの悪い姿でよろよろ歩く様は、なんというかまるで生命を冒涜しているようであり、根源的な嫌悪と恐怖を煽られる。

 流石のスタンクもその姿に臆したのか、近付くショーンの姿に一、二歩後退った。心底から、その大小の腕がただの幻だと信じられなかったのだろう。だが、その躊躇こそが恐怖の表れであり、眼前に迫る私の愛しい弟の大好物でしかない。


「はぁぁぁ……っ」


 獲物を前にした獣のような、生臭い吐息。あるいは、情事を思わせるような熱い吐息。無表情だったショーンは笑った途端、地を蹴りスタンクに迫る。右側の三本の腕は即座に伸び、いくつもの関節で折れ曲がり、哀れな獲物であるスタンクへと迫る。

 あれが本当に【便利な手アドホック】であるなら、それは威嚇以上の意味を持たない。無視しようと実害はない。

 それはスタンクもわかっていただろう。だが、どうしても無視できなかったのか、彼は大きく飛び退き、三本の腕を避ける。そこへ、左の巨人の腕が迫る。


「うぉ――!? くっそ……がッ!」


 こちらは先程ダメージを受けたばかりであり、より警戒が強かったようで、スタンクは形振り構わず床を転がり、四つん這いでショーンから距離を取ろうとする。だが、そんなスタンクを、まるで虫ピンで刺すように、三本の右腕が頭上から押さえ付けた。

 背中の中心を二本の腕で、頭を一本の腕で押さえ付けられ、藻掻くスタンク。その様をニヤニヤと暗い笑みを浮かべていたショーンが、なおもボソボソと詠唱する。


「【地獄は地獄を呼ぶアビュッススアビュッスムインウォカト】」


 うわぁ……。

 途端。まるでショーンの右半身が爆ぜたかと思った。それ程までに、その光景は凄惨極まりないものだった。

 ショーンの右肩から右足の先までの肉体から、数えるのも億劫になる程の腕が飛び出していた。そして、これはもう明白な事実として、あの腕は幻などではない。

 それは、ショーンが【神聖術】対策の戦法として提案した、二つの内の一つ。一つは幻術と属性術、ついでにその他の術を織り交ぜて、幻術と幻術以外の幻を駆使し敵対者を翻弄する【影塵術】。

 そしてもう一つが、疑似ダンジョンコアが依代の肉体を構成する理を利用した、人間離れした状態を作り、相手を混乱させて戦うというコンセプトの【怪人術かいじんじゅつ】だ。

 これは完全に【魔術】の幻術とは別物の術式である為、【神聖術】でも解く事はできない。また、これまでの経験からも、依代を構成している理は【神聖術】の【正道標】でも解く事はできないとわかっている。これをただの幻術だと誤認して、対策を講じたとしても、墓穴にしかならないだろう。


 ただ問題は、この術式は未だの代物だという点だ。


 ショーンも構想の段階で、私もまた【影塵術】の完成を優先した。また、ショーンも言っていたが、疑似ダンジョンコアに関しては私が先駆者パイオニアだ。【怪人術】の開発は、完全に私に任されていたはず。

 よもや、いくら努力家のショーンといえども、【影塵術】を修得しつつ【怪人術】も編み出していたなどという事はあるまい。それは流石に、いくらなんでも不可能だろう。

 しかし、だとしたら、眼前のこの状況はいったいどういう……。



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