episodeⅩⅧ 【魔法】
カランカランと、甲高い音が海底の通路に響き渡る。ショーンの炭化ホウ素の鎧が、人型を大きく逸脱した姿に耐え切れずに弾けたのだ。その下の、私の編んだ衣服すらも、ショーンの変化に耐え切れず引き裂かれてしまっている……。
「キヒヒ……――」
まるで引き裂かれたような笑みを浮かべるショーン。それはさながら彼の決意が形になったかのような、異形の化け物の姿。なのに、どういうわけか痛々しいと感じてしまう。――私が望んだ
「こ、この……ッ!! 化け物がぁぁぁぁァァァアァァアアアア!!」
スタンクが雄叫びを発し、無数の腕で完全に押さえ込まれる前に抜け出そうと藻掻く。その力はそれまでの比ではなかったのか、異形の三本腕は呆気なくも振り払われてしまう。温存を考慮する余裕もなく、生命力の理を用いたのだろう。
ショーンから離れ、体勢を立て直したスタンクが拳を構えるも、どうしていいのかわからず戸惑っているのが窺える。このまま徒手空拳で戦うには、ショーンの姿はあまりにも化け物じみており、スタンクからすれば戦い辛いのだろう。
この男は、おそらく冒険者ではない。もしくは、冒険者の資格を得ていても、本業ではない可能性が高い。対人戦闘能力であれば、それこそエルナト並ではあるが、ならば前回上級冒険者であれば倒せると判明してしまったオニイソメちゃんを、難なく倒せるかと問えば、かなり難しい。
エルナトは対人戦闘向きの技をモンスター相手にも使う事で、その能力を活かしきれていなかったが、この男の場合は対人戦闘能力を対人用に特化させすぎており、応用の幅が狭いのだ。単純な戦闘能力だけを、人間基準だけで量れば、たしかにエルナトと同等だろう。だが、対ダンジョン用戦力として考えるなら、この男は上級冒険者どころか、その他の能力次第では五、六級程度の中級冒険者レベルである。他のダンジョンコアを相手にするには能わず、ボス級モンスターにもかなり見劣りする。
無論、依代に宿っているいま現在は難敵ではあったし、生命力の理の習熟における見本としては、それなりに役に立ってくれた。だが、これ以上この男を生かしておく理由はない。というよりも、ショーンの様子がおかしいいま、一刻も早く消しておきたい不安要素でしかない。
そのショーンが、不格好な姿でどたどたと走り始めた。体のバランスが悪すぎて、動きに支障が出ているようだ。その事実に、スタンクの表情に一抹の余裕が生まれるも、すぐにそれは戦慄に彩られる。
「【
餓狼の遠吠えのような絶叫が、アクアリウムのような世界にこだました途端、ショーンの左足が増えた――否。あれは断じて、ショーンの足などではない。
後ろの二対は、漆黒の外骨格に覆われた虫の脚、前の一対は獣の前脚である。その様を見た私は即座に、それがミルメコレオの下肢であると気付いた。
ショーンの左足が、ミルメコレオの胸部と腹部になり、そこから六本の脚が生えているのである。たしかにあれもまた、疑似ダンジョンコアから作った偽物の『ダンジョンの主』だ。【怪人術】での再現は可能かも知れない。
だがやはり、あのミルメコレオを作ったのは私であり、ここでショーンが再現できている事が不可解でしかない。
「なんなんだ!? なんなんだよ、お前はッ!? 本当に化け物だってのかッ!!」
「…………」
よりいっそう不恰好に、不気味に変じたショーンの姿に、スタンクだけではない――私もまた、戦慄してしまった。生物的な根源的恐怖?
否。そんなお為ごかしで、眼前の光景から目を背けるのはやめよう。私は、素直に、ショーン自身に恐怖していた。
その姿が化け物じみていたから? 違う。断じて違う。彼が化け物の道を歩む事を、私と同じ道を歩む事を、懇願したのは私自身だ。ショーンが人間離れした姿になったからとて、どうして私がそれを忌避できる?
「クソ! クソ!! 訳がわからねえ!!」
カサカサと虫の四肢を動かして、スタンクに迫るショーン。左足がミルメコレオの下肢になったせいで、体を傾がせて進む光景はあまりにも不気味である。右半身が磯巾着のように、無数の腕に変じているのだから、やはりその姿は本能的な恐怖を擽るものがあった。
だが移動そのものは、ミルメコレオの下肢を生み出す前よりも、間違いなく安定し、速度も増していた。無数の腕が伸び、再びスタンクを捕らえようと迫る。させじと、スタンクは距離を取りつつ、先んじた腕を弾いていく。
「ゥルァアアアアアア!!」
スタンクの咆哮かと思われた叫びは、しかしショーンが発したものだった。無数の腕の対処に気を取られていた敵に、巨人の左腕が迫る。だが、スタンクの戦闘技能は対人戦闘に特化したもの。いまのショーンの肉体において、一番人間じみているのは首から上だが、その次にはもう巨人の左腕がきてしまう。
故に、スタンクにとってはまだ対処のしやすい攻撃だったのだろう。
「――ッォラァ!!」
巨人の鉄拳を手甲を擦らせるようにして躱し、スタンクは間合いを詰める。私のときと同じだ。攻撃範囲の広い者にとって、近すぎる間合いというのは意外とレンジ外だったりする。スタンクはそれを良くわかっているのだろう。
「死ねやクソ化け物が!!」
スタンクが拳を繰り出すのとほぼ同時、ショーンが咆哮する。
「【
直後、ショーンの背から二対の羽が飛び出し、その異形を浮かび上がらせる。
だが、これもおかしい。ショーンの背から生えた羽が、私と一緒に作った猛禽のそれではなく、蝙蝠のような飛膜と、虫のような翅になっているのだ。しかも、まるで影のような、ディティールもなにもないのっぺりとした二対の羽だ。
「ぐぁッ!?」
高速振動している虫の翅とは別の、蝙蝠の飛膜が形を変えて、スタンクを攻撃する。【影塵術】の【幻翅】はたしかに、翼の形をした【
そもそも【影塵術】はまだまだ未完成の術式であり、理のスリム化もできていない。触媒となる、空間と照応する為の炭化ホウ素のボードは必須であり、発動そのものにも【
むしろ、【幻翅】や【刺影手】のキーワードの方が、プロセス的には削りやすい。あれはいわば、炭化ホウ素プレートをマジックアイテムに見立てて、その発動のスイッチ代わりに使っている、キーワードでしかない。
故に、いま眼前で起こった現象は、なにからなにまでおかしい。だが、だからこそ私は、このカラクリを解き明かす取っ掛かりを掴めた。
それを裏付けるように、ショーンが咆哮する。慟哭する。
「――ァァァぁぁアああアアぁ嗚呼!!」
スタンクに攻略されかけた巨人の左腕に、三本の黒い爪が生える。それはさながら、竜の前肢だろうか。いや、あれは本来の【刺影手】だ。己のいまの形態における弱点を察し、即座に解決策を導き出したのだろう。
実にショーンらしい対応の早さだが、それでよりいっそう、不気味なクリーチャーじみた姿になってしまっているのは、わかっているのかいないのか……。
だが、これでもう明らかだ。いまのショーンは、詠唱どころかキーワードすら使わずに【刺影手】を発動させた。無論、きちんとした理に従って魔力を刻めば、無詠唱で【魔術】を発動させるのは不可能ではない。
だがそれは、細心の集中力と、十分な時間が必要になる作業であり、戦闘時に行うのは至難の業だ。まぁ、詠唱が発明される前の【魔術】の黎明期には、それでも地中生命、地上生命の双方とも、頑張って理を刻んでいたらしいが……。
だが、ショーンの起こしたあの現象は、そういった原始的な【魔術】のそれではない。魔力の理は魔力の理でも、あれはさらに根本的な――
――【魔法】だ。
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