第45話 小鬼の醜悪さ

 ●○●


「待って!」


 ペラルゴニウムの鋭い声に、私たち三人は緊張を表情に浮かべ、しっかりと武器を握り直す。敵の襲撃に備えていた我々の耳に、通路の先を窺っていたペラルゴニウムの舌打ちが届く。


「クソが……! ダンジョンだから、今回こんな胸糞悪くなるものを見るとは、思ってなかったわ……。油断してた……」

「ペラルちゃん?」


 珍しく、ペラルゴニウムが感情も露に吐き捨てた言葉に、カメリアが訝しげに声をかける。アネモネもまた、不思議そうにしている。

 私は、その様子と現在地から理由にあたりはついていたが、にはあまり関わらない方がいいと十二分に学んでいる。口を引き結び、状況の推移を見守る。


「小鬼の巣ではよくある事よ。こう言えばわかるでしょ?」

「え? でもここ、ダンジョンよ?」

「だから、油断してたって言ってんでしょ……」


 カメリアとペラルゴニウムの言葉から事情を察したアネモネが、その分厚い手の平で額を押さえて呻吟する。


「マジかよ……」


 ほんの数秒、三人は暗い雰囲気で黙り込む。しかし、すぐに気を取り直したのか、いっせいにこちらを見てから、示し合わせていたのかと問いたくなる程に揃った動作で顔を合わせて頷き合う。

 私が、そのアイコンタクトの意味がわからず首を傾げていると、カメリアがこちらを向き直って口を開いた。


「グラちゃん、残念だけど今回の強行偵察はここで中止よ」

「ふむ。理由はわかりませんが、あなたたち三人が、それが正しいと判断したのなら私は従いましょう。この少人数で、意見を割る愚を犯す余裕はありません」


 そもそも、斥候能力に乏しい私が、探索続行の成否を判断できるわけもない。彼らを、三人とも無事に【アントス】に返す為にも、作戦中止の判断は元より彼らの権限だ。


「ええ。まぁ、理由は要救助者発見ってところよ」


 歯切れの悪いカメリアの言葉に、私は首を傾げつつ問う。


「救助者ですか? ならばひとまず、私の【回復術】で癒すべきでしょう」


 私がそう言ったところで、会話を聞いていたアネモネが、焦ったように割り込んでくる。


「いえ、グラちゃんはここで待機してて! 救助者はアタイらが連れてくるし、その後の移動もこちらで抱えるわ。その代わり、小鬼らへの対処は、すべてグラちゃんに任せちゃう事になるわ。負担が増えるけど、来た道を引き返すだけだから頑張ってちょうだい」

「はぁ……。良くわかりませんが、冒険者としてのあなたたちの判断を尊重しましょう。幸い、往路ではほとんど【魔術】を使わず、消耗したのは【頬白鮫ホオジロザメ】に用いた魔力だけです。復路である事を踏まえ、消耗を度外視するならば、【魔術】のみで強行突破できるでしょうが……」


 やはり、【魔術】による殲滅能力、モンスターの処理能力というものは、武器を用いた戦闘の比ではない。正直、人間社会というものを度外視して、彼らが【魔術】を義務として習い、ほぼすべての人間が魔術師となっていたら、我らダンジョンコアは生存競争において、かなりの劣勢に立たされるだろう。

 そしてそれは、ショーンの前世を鑑みれば、あながちあり得ない未来ではないのだ。


「助かるわ。じゃあ、ちょっとここで待ってて。周囲の警戒、よろしくね」


 ペラルゴニウムは、私の懸念を無視するように言うが早いか、スルスルと通路の奥に消える。その背を追って、カメリアとアネモネも、通路の奥のどん詰まりへと這入っていった。

 ややあって、微かに小鬼らのくぐもった悲鳴が届いたが、私のいる位置でようやく耳に届く程度のもので、他所から小鬼が駆け付けて来る様子はない。

 迅速かつ隠密裏に、その場にいた小鬼を片付けた三人は、やがて毛皮に包まれた二人の女性を抱えて、私の待機していた通路に戻ってきた。


「グラちゃん、二人に【回復術】を」

「? はい」


 先程は要らないと言った【回復術】を求めてくるアネモネに首を傾げつつ、私は少し時間をかけて二人に【治癒セラピア】と【沈痛レゥアーメン】、ついでに【消毒アポスティロシ】を施す。

 普通の【回復術】は、秘術者自身の生命力を用いて傷を癒す術なのだが、ここでそれをすると患者の命に関わる。その為、それとは別の術を用いて、私の魔力のみで彼女らに最低限の応急処置を施したのだ。

 ちなみに、地味に【消毒アポスティロシ】はショーンのオリジナルだったりする。この世界の人間どもには、まだまだ衛生観念というものは根付いていないと嘆いていた。

 また、私が使える【魔術】の【回復術】では、【神聖術】程に劇的な効果は表れない。彼女らの体に刻まれた、命に関わらない程度の傷が癒えるのにも、数時間から丸一日程度は必要になるだろう。

 流石に、【魔術】の【回復術】にだって、もっと劇的な効果を発揮する術はあるのだが、前述の通りそれは対象の生命力を消費させるのだ。そういった治療は、ひとまずは後回しである。


「では、戻りましょう。ペラルゴニウム、道中の罠に関してはあなたに任せますが、敵の存在には一切頓着しなくて結構。鎧袖一触、背に追い縋る事すらできない程の痛打を見舞って、一気に駆け抜けます」

「了解。じゃあ、行くわよ。二人もいいわね?」

「「ええ」」


 そう言って、私たち四人は駆け出した。元来た道には、それなりに小鬼らが集結しているだろうが、所詮は小鬼である。数だけしか取り柄のない、人間どもにも下級と称されるモンスター程度に手間取る事などない。


「見えたわ。敵よ」


 ペラルゴニウムが声を潜め、通路の壁からその奥を窺う。私もそれに倣い、通路の奥を盗み見た。先程我々が倒した小鬼の死骸と、騒ぎを聞きつけて集まってきたであろう小鬼。生きている小鬼は、ざっと三~四〇といったところか。


「先制します。あなたたちはここで隠れているように。【爆裂エクリクスィ】」


 私は半身だけ通路から出すと、小鬼の群れに向けて無差別攻撃を放つ。乱戦では絶対に使えない類の【魔術】である。

 即座に通路に戻り爆風をやり過ごしてから、私たちは一気に小鬼どものいた広間を駆け抜ける。恐らく三割程度は生き残っているだろうが、そのほとんどが気絶していたり、意識はあってもろくに動けない状態だ。

 熱、衝撃、音という三つの要素で構成された局所的な大嵐は、唐突にその渦中におかれた者の認識など、塵芥と同列に吹き飛ばす。まして、こんな密閉空間ならばなおさらだ。


「露払いは任せなさい。ペラルゴニウムは斥候としての本分を全うし、カメリアとアネモネは救助者の保護を最優先。危機に際しては私に報告を厳守。いいですね?」


 広間から、次の通路に入ってくるカメリアとアネモネを迎えつつ、確認がてら声をかける。二人は黙って頷きながらすれ違う。


「では、私もペラルゴニウムの真似といきましょうか。【羽妖精の縄張りガリトラップ】」


 死屍累々の広間に手の平を翳し、そこにオリジナルの理を描く。私とショーンが合作した、風の属性術と幻術を合わせた、非常に単純ながらかなりの撹乱効果を見込める術式だ。

 手の平から燐光を纏った光が放たれ、広間をクルンと回る。そしてその直後、ガチャガチャガンガンとけたたましい音が鳴り響く。


「これだけうるさければ、さぞ小鬼どもの興味をひけるでしょう。ピクシーどもの領域に囚われれば、しばらくは出て来れません」


 光が描くサークル内では、著しく方向感覚が狂う。トリガーは、いまも聞こえているこの騒音だ。最悪、同じ場所をグルグルと彷徨う事になるだろう。まぁ、あまり強力な【魔術】ではないので、押し出された者などは正気に戻るだろうし、時間が経てば幻惑効果も切れる。

 同じような術式で【缶叩きポルターガイスト】も作ったが、なかなか使う機会がないのが残念だ……。無論、これもショーンとの合作である。


「グラちゃん」

「いま行きます」


 背後からカメリアに声をかけられ、私はその騒音に背を向ける。もう少し、我々の共同研究の成果を観察しておきたかったのだが、まぁいいだろう。ここが我らのダンジョンである以上、至心法ダンジョンツールであとからでも映像で確認できる。

 私は三人の背を追い、その後も小鬼どもを当たるを幸いとばかりに殲滅し、無事人間たちの領域へと戻った。予定よりもだいぶ早い帰還だった為、チッチや【アントス】の残りのメンバーには随分と驚かれたが、カメリアとアネモネが抱える人間を見て納得と嫌悪の表情を浮かべた。


「コイツら、【燃える橋アースブルー】の回復術士と軽戦士だな。名前はたしか……、ハチェッタとマルだったか? ……生き残りがいたってのは朗報だがよ……」


 チッチが、やるせなさそうにこぼしてから、大きく舌打ちする。

 今回の強行偵察は、小鬼たちの基本的な戦術や陣形を実体験で観察し、わずかながら地形情報が得られ、絶望的と思われていた行方不明者までもを確保するという、実りの多いものとなった。


 だがしかし、それを喜んでいる者など、皆無だった。



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