第46話 駒の配分

 ●○●


 参ったな……。

 簡易的に描かれた地図を眺めた僕の、それが偽らざる本音だった。勿論、昨日僕が描いてディラッソ君たちに見せたもの程、単純な代物ではない。これは、ゲラッシ伯とウッドホルン男爵、ついでにウーズ士爵が、貴族の肩書きでゴリ押してウェルタンの代官に供出させた代物だ。

 机の上の地図を眺めて唸っているのは、当然ながら僕ばかりではない。僕、ゲラッシ伯、ディラッソ君、ウッドホルン男爵、ウーズ子爵とその麾下の騎士たちもまた、眉根に皺を作って、机の上の羊皮紙を睨み付けている。

 ちなみに、サリーさんに至ってはとっくの昔にこの街を発っている。転移術士である彼女は、河川の増水程度で足止めされる事はない。ただしそのせいで、あちこち便利使いされるわけだが……。

 なお戦力外通告のポーラさんは、ゲラッシ伯の滞在しているこの部屋にすらいない。自室で暇を持て余して、筋トレでもしているのだろう。


「精度の悪い地図ですね」


 沈黙に耐え切れずそうこぼすと、ディラッソ君が苦笑しつつ答えてくれる。


「まぁ、王都直轄領のウェルタンにある、伯爵領を記した地図なのだから、ある意味当然だろう。旧ゲラッシ伯爵家が代々作り上げてきた地図なんかは、家督継承の際に我が家が引き継いだしな」


 なるほど。逆に、詳細過ぎる地図があったりする方が、伯爵家的には疑心暗鬼になるか。勝手に地形を調べられていたわけだからな。


「「「…………」」」


 せっかく口火を切ったというのに、その後も室内には沈黙が蟠る。勘弁して欲しい……。


「どしたい? 不景気な顔して」


 ひょいと顔を出したティコティコさんが眉を顰めて問うてくる。面倒そうな空気を察したのだろう。

 僕は気分転換もかねて、机から離れてティコティコさんに挨拶した。


「こんにちは、ティコティコさん」

「おう。で?」


 端的というにも最小限の言葉数で答えを促してくるティコティコさんに、一つ苦笑を漏らしてから僕は答えを明示した。


「いえ、恐らくは敵の狙いが読めたのですが、良い対処法が思い付かないんですよ」

「へぇ。お前でもそんな事があるんだな」

「僕をなんだと思ってんですか……」


 こっちは、高校生にちょっと毛の生えただけの一般人だっての……。


「そんで? その敵の狙いってなぁ、なんなんだよ? わえらで役に立つ事なら手伝ってやんぜ?」

「いやぁ……。個人の腕っ節でなんとなかなる話なら、僕一人でも事足りるのですが……」


 そう前置きしてから、僕らが看破した敵の狙いについて詳らかにしていく。まぁ、看破というか、頭に『遅まきながら』とか『ようやく』とか付けて、思い至ったと評すべき事態なのだが……。


「……ふぅん」


 敵側が、帝国から割譲された新領地にて、騒動を起こそうとしているという話を聞いたティコティコさんが、つまらなそうに相槌を打つ。


「良くわからねえが、んなもんぶっ飛ばしちまえばいいだろうがよ。なんなら、ちょっくら吾が行って皆殺しにしてきてやろうか?」

「いや、その新領地でなにが起きているのか、誰が敵なのかわからないから、面倒なんでしょうに……」

「怪しいヤツから片っ端に! ってぇワケにはいかねぇんだな?」

「そうですね」


 というか、その『怪しいヤツ』のなかに伯爵家の有力家臣が混ざっているから面倒なのだ。誰がどこまで使嗾されているのか、わかったものではない。当人にその自覚がないまま、敵方の思惑で操られている者もいるだろうし。


「ていうか、そんなもんお前が頭を捻るような事態か? 貴族どものめんどくせぇアレコレなんざ、関係ねーだろうが」

「それはそうなんですが……。ティコティコさん、ゲラッシ伯爵家の方々が、今回の旅路に同行している理由って、覚えてます?」

「うん? なんだっけ?」

「僕が王都に召喚されるにあたって、他所の貴族からちょっかいを掛けられない為です」


 要は、体のいい防波堤だ。それは、いまも部屋でうんうん唸っている、ウッドホルン男爵たちも同様である。


「ああ、そうだったそうだった! え? じゃあもしかしてその騒動って、お前からそういう防御を引き剥がす為にやってんのか? 御大層な身分になったもんだな、オイ」


 バンバンと肩を叩かれ、傷みに顔を顰める。なんでちょっと嬉しそうにしてるんだ、この人……。


「いえ、全部が全部僕を標的にした陰謀ではないでしょう。なんとなれば、新領地での騒動は、伯爵家及び【王国派】に向けた暗闘の一種じゃないですかね。いくらなんでも、ただの魔術師一人相手に、下手すれば内戦紛いのこんな陰謀、動かさないでしょう?」

「さて、それはどうかねぇ。ともあれ、お偉いさんはお偉いさんで、敵方に振り回されて困っていて、お前さんはお前さんで、風除けがなくなって困っているって話だな」

「まだウッドホルン男爵様方がいてくれているんですが、正直僕も標的の一つである以上、またぞろ別のアプローチがあると思うんですよね」


 そして、ウッドホルン男爵たちまで剥がされたら、僕は完全に一人で件のバカ王子と【新王国派】に面会しなくてはならない。まぁ、それ自体は構わないのだが、そこから発生するであろう諸々の問題を考えると、できれば回避したい未来だ。

 とはいえ、僕がいまジリジリと感じている危機感の正体は、そういった直接的な事情というより、もっと切実な問題だ。僕個人が動かせる、信用できる人材が不足している……。

 これは、伯爵領内に対処をお願いできる人材を、分散配置し過ぎたのが原因だ。ウワタンは防衛そのものを諦めて、撤退すべきだったかも知れない。そうすれば【愛の妻プシュケ】の二人だけでも、手元に残しておけたのだが……。


「正直、上手い事敵に振り回されてしまっている感が強いんですよね……。そのせいで、とれる手が限られつつある……」


 なんというか、リバーシで追い詰められつつある状況に近い。石を置いているのではなく、置かされているような……。このままだと、最終的には石を打つ余裕すらなくなり、パスを連発しなくてはならない。最後には、盤上は敵の石に埋め尽くされてお終いだ。

 始末に負えないのは、リバーシにおいてこうなってしまうと、もはや取り返しがつかないという点だ。盤上の動きを、完全に相手に支配されてしまっている。果たして現実であるこの陰謀ゲームでは、逆転の目はあるのか。それとも、既にどうしようもない程に、相手に盤上を支配されてしまっているのか……。


「あー……、そういう事ならちっと、タイミングが悪かったかもなぁ……」


 ティコティコさんが少し困ったような顔で、言いづらそうに明後日の方を向く。ポリポリと頬を掻く彼女に、僕は首を傾げて問いかけた。


「どうしたんです?」

「いや、河の増水なんだがよ、そろそろ落ち着きそうなんだ。二、三日もすれば、吾ら【雷神の力帯メギンギョルド】は王都に向けて出発するそうだ。セイブンからの伝言な」

「なるほど、了解です」


 つまり、いよいよ【雷神の力帯メギンギョルド】にも助力を仰げなくなる、と……。またとれる対処手段が減ってしまったな……。

 いやまぁ、王都に向かえば合流も不可能ではないのだろうが、根本的に彼らは、今回の一件とは関係がない。仰げる協力には、元々限度があったと割り切るべきだ。

 はぁ……。せめて、フェイヴだけでも残していってもらえないかなぁ……。アイツ、市街地内での情報収集や諜報にも便利なんだよ。


「それまでに結論が出れば、僕らも同行はできるでしょうが……」


 僕は室内を振り向いて、机の周りの面々を窺ったが、残念ながら僕が離れる前後で変化は微塵も起こっていない。冗談でなく、微動だにしていないのではないかと疑う程に、一切の変化がなかった。


「望み薄だな」

「そのようで」


 皮肉気に笑うティコティコさんに、僕もまた肩をすくめて苦笑を返した。



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