第47話 命を描く芸術家

 ●○●


 ゼンイーレイ河の増水も落ち着きを取り戻し、街に押し込められていた商人たちが、俄かに活気付き始めている。それはまるで、逆に堰き止められていた水が、堤よりあふれ出すようですらあった。

 そんな港湾都市ウェルタンの街路を見下ろしてから、私は画板に筆を走らせる。

 大胆に、繊細に、私の筆は命を描く。道行く人々の装い、表情、街並み、日差しの加減や影の濃淡。そうしていると、窓の外から聞こえていた雑音も、宿内を行き交う人の気配も気にならなくなる。

 まるで、世界にはカンバスと私しかいないような、どうしようもなく閉じているが故に、果てしなく広がっていく世界。この濃密な時間が、私は好きだ。


「ふむ。いい出来だな……」


 そんな、目くるめく壮大スペクタクル極彩色サイケデリックな異世界への旅行は、しかし長くは続けられない。脳と目の疲労という、なんとも無様な理由でもって、私は埃っぽい宿の一室へと帰還する。

 だが、戻って来てカンバスを覗けば、そこに描かれているの表現はなかなかのものだ。いまだ完成には至らぬものの、そこに描かれたウェルタンの街路の景色は実に生々しく活き活きと躍動しているではないか。


「ああ、素晴らしい……。これだから命というものは、美しいのだ……」

「そう思うんなら、もうちっとオイラたちの命の方も尊重して欲しいもんだがな」

「おや?」


 唐突に室内から聞こえてきた、犬が唸るような低い声に、私は意表を突かれた。そちらに顔を向ければ、三人の男。他二人は知らないが、一人の顔には覚えがある。

 どうやら、創作活動中に勝手に室内に入って、私が異世界旅行から帰ってくるまで待機していたらしい。もしかしたら、声くらいはかけていたかも知れないが、現実世界にいない者に話しかけるなど、徒労以外のなにものでもない。


「ああ、君か。たしか、【ジンズー三兄弟】の長兄、カグラ君だったか?」

「【ジジ三兄弟】の長兄、カグファだ」

「ああ、失礼。たしかにそんな名前だった。なにせ、最近は何々兄弟という名前を聞き過ぎていたものでね。敵方も含めて」


 この者らは、アルタンのハリュー邸に襲撃をかける為に雇った裏稼業の連中の一つだ。こうして生きているところを見る限り、早々に撤退を図ったか、あるいは敵方の不手際か……。

 まぁ、構わん。陽動としては十分だ。彼らは彼らなりに、彼らにできる役割を十全に果たしたのだ。私は他者に能力以上の仕事を課して、鞭を打つような非道な真似はしない。彼らごときにできる仕事を適切に割り振り、彼らは正しくそれを為したのだ。


「ならば、きちんと報酬も用意せねばな。受け渡しに際しては、間に人を挟むが構わないだろう?」

「…………」


 しかし、そんな私の問いに対してカグファは押し黙って、ジッとこちらを見詰めて来る。その背後で腰を下ろしている二人の男たち――恐らく、兄弟の残りだろうが――は、恨みがましい視線を向けてくるというのに、カグファの瞳にはそういった、強い感情が窺えない。ただただ、私を値踏みするような、こちらの一挙手一投足から余さず情報を搾り取ろうとするような、蛇のごとき強かさを思わせる眼だ。

 よろしい。そういう命の在り方もまた、美しい。


「なにかな?」

「アンタが送り出した連中の大半は死んだ」

「だろうね。正直、君たちが生き残った事の方が、私としては驚きだ。無知ではあっても愚かではない、馬鹿ではあっても間抜けではないといったところか」


 やはり人品と教養というものは、必ずしも相互関係にある要素ではないらしい。なんとなれば、大聖堂の聖職者のなかにも、この者らよりも愚かな輩というものはいる。誠に、慙愧の念に堪えぬ事態ではあるが……。


「シュガー」


 私は名を呼ばれ、いつの間にか天井の木目に這わせていた視線をカグファに戻す。


「シュガー・シ・トゥーントーン」

「なにかな?」


 繰り返し呼ばれた事で、私は返答を言葉として紡ぐ。対するカグファは、変わらず一切感情の窺えない表情と視線で、まっすぐ私を観察し続ける。


「お前が、第二王国中央の派閥争いなんぞに首を突っ込む理由は?」

「――……はて? なんの事かな?」


 私が笑みを湛えて韜晦するも、カグファは厳めしい表情を崩さず、全身からは殺気が漏れ始める。そんな彼の頑なな様子に、私は嘆息して呟く。


「……随分と踏み込んだ質問だね? この界隈で仕事をし、名を馳せている君が、無闇に他者の領域に首を突っ込む危険を、知らぬわけではないだろう?」

「…………」


 カグファからの答えはない。だが、不穏な気配を察した弟二人が、微かに重心を落とすの私は視界の隅で捉えていた。

 まさに一触即発。ジリジリと、戦闘の香りが漂い始めている事に、口角が上がっていくのを抑えられない。

 戦闘――すなわち、命のやり取りだ。

 命という、手に取れぬそれを観察するのに、戦闘程適した行為もない。勿論私も、戦闘は大好きだ。命という、たった一つの財産を摘み取られるときの、人の表情というのは、インスピレーションの塊である。

 それが浮浪者であろうと貴族であろうと、勇猛な戦士であろうと敬虔な聖職者であろうと、悪逆無道の無法者であろうと全き無辜の幼子であろと、今際の際のその顔に浮く色は十人十色にして千差万別。一つとして同じものがないからこそ、実にかけがえなく、どうしようもない程に美しい。

 この者らがそのつもりであるというのなら、私のの一端にその命を連ねるのも、悪くはない。ああ、まったく悪くはない……。

 だが、いま、この部屋では良くない。せっかくの作品が汚れてしまう。この命もまた、素晴らしき我が傑作なのだ。


「はぁ……。まったく、仕方がないなぁ」


 私はそう言って肩をすくめ筆をおく。それと同時に、ぐぅと腹の虫が嘶いた。きちんと朝食はとったうえ、今日はこの部屋から一歩も出ていないというのに……。窓の外の太陽を見るに丁度昼時だろうが、運動量からすれば腹を鳴らす程ではないだろう。

 やはり創作活動というものは、戦闘並みにエネルギーを消耗するものらしい。私は若干の羞恥で頬に熱を感じてから、三人に向かって提案する。


「積もる話は昼食のあとにしないかい? 勿論、私の奢りだ」

「「「…………」」」


 三人は、多少困惑しつつ短くアイコンタクトをとっていたが、やがて長兄カグファが頷く事で、昼食の誘いを了承した。良かった。今日は絶対、あそこにしようと決めていた食堂があったのだ。

 やはり、生を謳歌するには美味なる食事が必要不可欠だ。同輩のなかには、食事など腹に溜まれば味など二の次などという輩もいるが、ハッキリ言って愚かとしか言いようがない。

 手入れを怠った武器が鈍らになるように、食事をおざなりにしたにんげんはその質を劣化させていく。

 無論、だからといって贅沢三昧が正しいわけではない。醜く肥え太った命の、なんと愚鈍で悍ましい事か。そういった命にも、まるで地獄を描いた絵画のような、おどろおどろしい魅力がある点までは否定しないが、ああはなりたくはないと思うのも嘘偽りない本音だ。むしろ、そういった教訓や警鐘としてしか、価値はないともいう。

 そんな事を考えつつ、外出用の服に着替え、腰に細剣を携えてから、純白のマントを羽織る。


「さて、では行こうか?」


 声をかけるも、やはり三兄弟からの返答はない。寂しいものだ。まぁいい。

 私は私の自室せかいの扉を開くと、外界へと一歩、足を踏み出した。外の世界で始めに出会ったのは、宿の従業員が室内から漂う絵具の匂いに浮かべた渋面だった。

 やれやれ……、また余計な出費が嵩むな……。



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