第63話 それぞれの宗教

「そうやって心乱れている相手がいると、ついつい幻術を使いたくなってしまうね。いまの君に【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】を使えたら、労せず殺せるのだろうね。まぁ、避けられるだろうけど……」


 ハリュー弟は、聞いた事もないような幻術の話を、嬉々として語る。ボクを、あっさりと殺せるなどという言葉は、いくらハリュー弟のものであっても信じられる話ではない。それが、幻術であるというのだから、なおさらだ。


「幻術なんて、【強心術】で抵抗すればいいだけの話だろ」


 ボクは吐き捨てるように、そう言う。

 幻術に対する対抗策は、それがセオリーである。あの、意味不明なクソ寒い異世界を作り出すような幻術にしたような【神聖術】で破るのは、当然ながら当たり前ではない。

 だが、ボクのそんな主張に、ハリュー弟はゆるゆると首を横に振る。


「残念。【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】は、生命力の理では抵抗が難しいんだ。なぜならあれは、魔力の理と生命力の理を複合した術式だからね。ついでにいえば、精神の箍を外して身体能力を向上させる、生命力の理の流用だ。つまり、ただの【強心術】では、これを亢進する事はできても、抵抗するのは難しいんだ」


 意気揚々と、知りもしない幻術について語り始めたハリュー弟。こういう連中に良くいる、自分の得意分野について語っている間は、相手のリアクションなど気にも留めないヤツ特有の喋り方だ。あの、ウィステリア・オーカーと同じタイプである。


「その点では、やはり【死を想えメメントモリ】と死神術式の組み合わせは、開発目標を十全に果たしていたといえるだろう。餅は餅屋、馬は馬方、海の事は漁師に問えって話だ。うん? ちょっと違うか?」


 勝手に結論付けたあと、勝手に己の拙い言い回しに首を傾げているハリュー弟だが、その最後の言葉には聞き逃せない文言も含まれていた。【死を想えメメントモリ】と死神術式というのは、あの異教の死神を生み出すような幻術の事だろうか……。


「メメントモリってのは、あのクソ寒い世界にボクらを捕えた幻術の事か?」

「うん? ああ、いや、ちょっと違うね。そっちは死神術式の方だ。まぁ、君たちにとっちゃ、どっちでもいい話さ。これ以上詳しく話すつもりもない。黄泉路のはなむけにしたってサービスが過ぎる。カロンとの船旅で話すなら、【死者の女王ヘル】だけで十分なはずだ」


 そう言った途端に、ハリュー弟はポンと手を打つ。


「そういえば、君はこれから勇敢に戦って死ぬんだから、ヘルヘイムではなくヴァルハラに迎えられるのか。ヴァルキュリアによろしく」

「そもそも、お前の信じる異教の神の許になど、誰が行くかッ!!」

「そうかい。まぁ、僕の宗教では、死後に僕が会うのは、ヘルでもヴァルキュリアでもなく、十王なんだけれどね。とはいえ、なんにしろ死んだらどうせまた、あのやる気のないおばさんの元で、適当に仕分けされて転生するのがオチさ。僕も、君もね」


 飄々とそんな事を嘯いてみせるハリュー弟。どうやらこの男、あのツートンカラーの死の女神も、別に信仰しているわけではないらしい。かといって、そのジュウオウとやらを信仰しているようにも思えない。いやむしろ、という存在そのものを軽んじているように思え、信仰している宗教などもないように思える。

 世の中には、異教徒だけでなく、無神論者という不届き者もいる。こいつのような学者タイプに多い不信心者だ。だが、そういった輩は己の知見を唯一絶対のものとして、その理解を超える存在を認めない、頭でっかちな偏狭者に他ならない。

 こいつもその類の、無神論者なのだろう。まったくもって虫唾の走る異端であり、度し難い類の不信心である。


「神からの恩寵を賜りながら、それに唾するような真似だ……」

「神様からの恩恵には感謝しているとも。なにより、僕がこうしてここにいる事自体、神様のおかげだ。だから君の神様を冒涜するつもりも、こちらにはない。その宗教だって、否定するつもりは毛頭ないんだ。だから、こっちの信仰の自由にも不干渉でいて欲しいってのが、教会に対する僕らのスタンスなんだけれどねぇ」


 ショーン・ハリューはそこで、少しだけ真面目な表情をする。


「人類皆兄弟、誰とでも仲良くしましょうっていうのは、努力目標として掲げるならいいと思うが、それを義務にされても挨拶に困る。僕と君は違うし、僕と君の知っている事、思う事、想うもの、信じるものも違う。だから仲の悪い隣人にするように、お互いに見て見ぬフリをして生きていかないかい? そうすれば、きっと世は並べて事もなし、さ。それがハリネズミのジレンマってもんじゃないのかい?」

「……ダメだね」


……正直、こいつの言いたい事は、わかる。

 ボクは異教徒は許さないし、異端は最優先の抹殺対象だ。だが、それはあくまでも、それが神聖教におけるボクら聖騎士の役割だからだ。

 双子だったボクらを孤児院の前に捨てた、顔も知らないクソッタレな親も、痩せっぽちで、当時は貧弱だったボクらをいじめてきた、同じ孤児院の悪ガキ連中も、正しいだけでクソの役にも立たず、常に飢えて清廉なだけの乞食のように生きる、孤児院の聖職者たちも、真の意味でボクらを救ってはくれなかった。

 ボクらを唯一救ってくれたのは、神聖教の教えであり、狂気的にまでその教えに傾倒したティナだった。だからボクらは、それ以外の一切を考慮の埒外におき、すべての判断基準を神聖教に委ねた。

 だからボクは異教を許さない。だからボクは異端を許さない。だからボクは、教会が白だといえば、カラスは白いと確信し、悪だといえば、同じ神聖教徒も異端として殺せる。

 眼前の姉弟は既に、ボクらの神聖教にとっての脅威でしかない。ボクはハリュー弟に言い放つ。


「あの死神術式とやらは、ボクらの神聖教の教えを揺らがせ得るポテンシャルがある。アレが異教の神か否かは別にして、それに足る畏怖と畏敬を集め得るような存在を、神聖教は許容できない。宗教的にも、【神聖術】的にもだ」

「まぁ、そうだよねぇ……。こっちも、その畏怖こそが術式の鍵である以上、そちらの要望に合わせた仕様変更は、受け入れられない」

「じゃあ、戦争しかないな」

「そうだね。政治的妥結などあり得ない、互いに互いを滅ぼすしかない、宗教戦争しか、あり得ないのが僕らの関係だね。ああ、まったくもって残念だ」


 これっぽっちも惜しくもなさそうに、しかしそれでいてちっとも面白くなさそうに、ショーン・ハリューはそう嘯いて指を立てた。



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