第64話 三種の術式

「【暗影アンエイ】」


 僕がを紡ぐと、周囲の景色は一変する。否。景色そのものは変わっていない。だが、それくらいに、ガラリと印象が変わる。なぜなら、明るい場所はより明るく、暗がりはより暗くなったからだ。

 ここがゴルディスケイルの海中ダンジョンであるのが、少しだけ惜しまれる。もっと凹凸のハッキリとした地形であれば、この術式はより効果を発揮しただろう。

 これは別に、泥縄で作った術式ではなく、ダンジョン三層【失魂落魄の執務室オフィスオブザデッド】の【闇に佇む者ブギーマン】の流用である。いや、それをいうなら【影塵術】そのものが、そういった元々あった技術の寄せ集めに過ぎない。


「【潜影】」

「なッ!?」


 僕がさらに唱えれば、ピンクツインテは驚愕をその面に露にする。きっと【影塵術】は、二つ同時に行使できないと考えていたのだろう。ある意味で、それは正しい。だが、明確な間違いでもある。一度に行使できる【影塵術】は、三つまでだ。ただし、一種類につき一つだけというのも間違いではない。

 明暗の差がハッキリとした領域で、影から影へと移動すると、それを警戒するピンクツインテ――そして、そんな戦況を鳥瞰する僕。

 そう。この戦いにおける、僕の役割ロールは魔術師。即ち、後衛だ。戦闘開始からずっと、僕は【僕は私エインセル】を握り続けているし、一度も彼女に近付いてもいない。

 ならばなぜ、彼女はそれに気付かないのか。これもまた、【燻製鰊の虚偽レッドヘリング】に使った術式の応用であり、蛍光双子ツインテツインズに僕の存在を気付かれないように、己の存在を隠匿している。

 生命力の理で見破られない理由は、この術式が相手の心理状態に作用しているわけではなく、単純に僕の存在をカムフラージュして察知されづらくしているからである。でなければ、【燻製鰊の虚偽レッドヘリング】は侵入者を捕らえた際に、周囲にいる人間や、その後移動する際に近付いてきたすべての人間に幻術をかけねばならず、非常に費用対効果の悪いマジックアイテムになってしまう。

 とはいえ、これもまた便利なだけの幻術じゃないんだけれどね……。身動きはかなり制限されるし、できるだけ物音もたてないようにしないといけない。


「クソっ!」


 影から影へと移動する影という、なんとも捉えどころのない存在を、それでも捕捉しようと悪戦苦闘するピンクツインテ。僕は彼女を翻弄するように、影を四方八方へと誘導する。

【暗影】と【潜影】の二つを同時に使っている為、これ以上の術の行使はできない。その理由は単純で、【暗影】は幻術、【潜影】は属性術が元となっているからだ。

 つまり【影塵術】は、幻術由来のものと、属性術由来のものの二種類存在するのである。属性術由来の代物は、当然生命力の理で抵抗レジストなどできるわけがない。

【潜影】もまた、土の属性と闇の属性とを合わせて作った、いわばシャドーゴーレムとでもいうべき、塵や砂を薄っぺらい人型が影を纏った代物である。その点、【影朧】は幻術であり、シッケスさんの【蛙鮟鱇カエルアンコウ】にも付与されている、オリジナルの【残像】だ。

 まぁ、元の【残像】に一手間加えて、攻撃を受けたあとに影に溶けるような演出も入っているが。


「くそッ!! どこだ!?」


 影から影へと移動する【潜影】を見失ったピンクツインテが、虚空に叫ぶ。そこで【潜影】を解除して、リソースに空きを作る。ええっと、空いているのは属性術由来の分だから、ここは……――


「【剃陰】」


 僕の口が紡いだ声が、風の属性術によって運ばれ、彼女の側の影から刃が飛び出す。それと同時に、囮である分身も姿を現す。この囮も、幻術由来のものと属性術由来のものの二種類あるが、基本的には属性術由来のものを見せている。

 つまりは、【影塵術】における同時行使可能なリソースは、分身体(幻術or属性術)と、属性術由来の術式、幻術由来の術式の三種となっている。この三種類であれば、一度に三つまで行使可能なのだが、当然分身体をだしたまま属性術由来の【影塵術】を二つ行使する事はできないし、幻術由来もまた然りである。また、僕本体の存在を隠匿し続ける為にも、できれば囮である分身体も作ってアピールしておかないといけない。

 なので、ピンクツインテが一度に一つしか術を使えないと勘違いしたのも、ある意味仕方のない事だ。序盤は、意識して幻術由来の術式を使わないようにしていたからな。

 なお、この『三種の術式』の例外となる術が【影分身】である。あれは、幻術も属性術も使っており、また分身体を行使する術式でもある為、術の使用中は他の術式が一切使えなくなる。そこまでしても、正直戦闘面ではあまり有意義な結果は引き出せなかったが……。

 そこはまぁ、今後の僕自身の戦闘能力の向上に期待、というところだ。


「何度も何度も! ワンパターンなんだよ!!」


【剃陰】の刃を、器用に斧槍ハルバードで打ち払うピンクツインテ。その技巧は、なるほど見事なものだ。すべての刃を叩き折り、彼女は分身体に向かって跳躍をする。

 おっと、このまま分身体を壊されては困る。別に、その後何食わぬ顔でもう一体分身を作ればいいのだが、それでカラクリに気付かれては面白くない。


「【潜影】」

「クソ! またか!? 逃げんなッ!!」


 またも影に潜った分身に、追い縋ろうとするピンクツインテ。こうしてみると滑稽にも思えるが、あれに実体がないとバレたら命の危機であるこちらとしてはヒヤヒヤものだ。

 気配を探るとかいう、漫画のキャラクターのような事ができる輩だ。影ゴーレムの気配が、普通の人間とは違うという点に気付かれる惧れは十分にあるだろう。

 いい加減、向こうもこの【影塵術】が幻術ではないと、理解してきた頃合いだろう。つまり、やたらと【強心術】で抵抗してこないという事だ。ならばここからは、幻術由来の術式もおおいに混ぜて使っていこう。

【影縫い】とか、モロに幻術なので、生命力の理であっさり解けてしまうのだ。そうでなくても、相手の精神に依存する普通の幻術【金縛り】だから、感情の昂りでも解けてしまう。


「【陰影インエイ】」


 今度は【暗影】とほとんど同じ効果を持つ、属性術由来の術式で周囲の明暗のコントラストを強める。とはいえ、この【陰影】は【暗影】程自由度がない。実は【暗影】であれば、動く影の数を増やしたり、ただの影を動かしたり、形を変えたりもできる。ただ、これをやると幻術の疑念を強めるので、相手の精神にまだ余裕がある内は【陰影】と同じようにしか使わない。


「【刺影手シエイシュ】」


 発動する為に魔石を消費するという、なかなか非効率な術を使うと、影から鋭い触手がピンクツインテに伸びていった。



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