第65話 【神聖術】と回復術

 先の尖った影の触手は、真っ直ぐにピンクツインテールを狙って迫る。流石に、これを一撃で撃ち落とす事はできないのか、ピンクツインテは持っていた斧槍で弾いては、回避行動を取る。


「く……っ、重い……っ!」

「そりゃそうさ。それは実体のある攻撃だからね」


 実体というか、幻術と死霊術の応用で作った、いってしまえば死霊の尾だ。これは流石に、薄っぺらい属性術の影ゴーレムとは強度も威力も全然違う。

 ただ、本来ならこういうのは属性術の両分であり、それを避けて幻術と死霊術で有り合わせた為に、効率的な魔力運用を心がけている【影塵術】の中では、それなりに魔力を食う術式である。


「こんのぉ――ァ!!」


 だが、やはりというべきか、魔石としては牙ウサギや大ネズミなんかの、質の低いものを元にした死霊術である。ピンクツインテの渾身の一撃に、あえなく両断されてはバラバラになって消失する。カツンカツンと魔石が転がる、乾いた音が通路に響いた。


「ハッ!」


 嘲笑う彼女――の背後に、分身体が現れる。


「【剃影】」


 風の属性術が運んだ声が、背後から囁く。彼女がその蛍光ピンクのツインテールをなびかせ、慌てて振り返ったところに三本の影の刃が襲い掛かる。それでも、一本を斧槍で弾き、さらに一本を斧槍から手を離して抜いた、湾曲した短剣で弾いてみせたのは、両手放しで賞賛に値する芸当だった。

――だが、それでも一本は確実に、彼女の腹を抉った。

 鮮血が散り、華奢な少女の体は横方向に吹き飛び、ゴロゴロと床を転がっては、ゴルディスケイルの透明な壁にぶつかって跳ね返ってきた。そして、そこからピクリとも動かなくなる。


「メラッ!?」


 驚愕と悲壮さの滲む声にそちらを見れば、もう一人の緑ツインテが驚きや怒り、悲しみや哀願といった様々な感情が綯い交ぜとなった表情で駆けてくるところだった。その背後には、グラの姿がある。

 いままで、この緑ツインテの足止めをしてくれていたのだろう。相手が二人、三人ともなれば戦闘に多少の不安も覚えるが、一人が相手であればなんの憂いもない。彼女はきっと、余裕をもって緑ツインテをあしらっていたのだろう。実際、緑ツインテの顔には、様々な感情とは別に、色濃く疲労も浮かんでいる。


「メラ!! おい、メラ!」


 通路に横たわる、双子の片割れに縋る緑ツインテ。その気持ちは痛い程わかる。僕だって、グラが同じ目に遭わされればみっともなく周章狼狽する自信がある。


「ぅぐ……、せ、【聖なるかな。光輝燦然たる日輪の、遍く下賜される日差しこそ、我ら無上の宝幸ほうこうなり。其は敬虔にして懇篤こんとくなる者の傷病をたちまちに癒し、よこしまなる者の肌を糜爛びらんせん】【聖伝五章二節・聖光徳癒せいこうとくゆ】」


 ピンクツインテールから幽かに詠唱のような声が聞こえ、直後海底の暗がりに暖かな日の光が現れる。その柔らかな光は、その祝詞のりとを唱えたピンクツインテ本人の体から発されている。遠巻きからだが、【剃陰】でつけた腹部の傷が、みるみる内に消えていくのが確認できた。それなりに離れていても確認できる程の傷だったのだが、その辺は流石は【神聖術】といったところか。

 しかしあの詠唱の長さ……、もしかして【神聖術】は全部あんな長々と祝詞を唱えないと使えないのだろうか? だとすれば、戦闘においては【魔術】程使い勝手が良くはなさそうだな。


「メラ!? 大丈夫か!?」

「けほ……っ。う、うん……。だい、じょぶ」


 必死に声をかけ続ける緑ツインテに応え、いまだにダメージが残っているのか、ふらつきつつも立ち上がるピンクツインテ。

 腹部には裂けた服と血糊こそ残っているものの、その下から窺える健康的な肌に、一切の傷は残っていない。なるほど。あれが【神聖術】の回復か……。まるでアニメのようだ。傷が巻き戻しされるように回復していく様は、たしかにそれを目の当たりにして奇跡を信じてしまう連中がいるのも、頷ける程の劇的なものだった。

 なお、【魔術】の回復術は、ここまで劇的な回復はしない。即座にできるのは、深傷の止血や傷口の消毒、癒着、あとは骨折、脱臼、筋断裂や靭帯損傷等の怪我に対する応急処置が精々だ。深傷を全快させる為には、その傷の度合いにもよるが、二、三〇分程度の時間を要する。それでも、魔力の理などない世界からきた身からすれば、劇的な回復ではあるが……。

 生死の境を彷徨うような重体であれば、何時間も術をかけ続けなければならない場合もあるし、それでもなお患者が死亡する場合もある。

 勿論、軽傷であれば即座に快癒させられるが、唾でも付けていれば治るような傷にまで回復術を使ってくれるような奇特な者は、たとえ仲間であってもそうはいないだろう。まぁ、冒険中とかであれば、小さな傷でも回復術に頼る場合はあるだろうが。

 また【神聖術】では治癒できる病気の治療は、【魔術】の回復術では治せない。故に人々は、病気の治療においては教会を頼るか、非常に高価な薬を購入するか、あるいは諦めて自己治癒能力に期待するくらいしか選択肢がない。そして、教会に対して大した額のお布施のできない庶民は、否応なく三番目の選択肢を選ばざるを得ない。


「ぺっ!」


 立ち上がったピンクツインテが、分身体を睨みながら少し赤の混じった黒い痰を吐き捨てる。その隣に並ぶ緑ツインテ。

 二人の内一人を相手取ろうとしてか、グラが近付いてくるのを僕は片手で制した。そして、彼女の背後を指し示す。その先、まだ離れた通路には、例のマッチョ小男がこちらに向かってくるのが確認できた。

 当初の予定とはちょっと違うが、グラには一対一であの男と戦ってもらい、僕がこの双子を相手にしよう。まだまだ【影塵術】の実験データが欲しいところだしね。

 僕はそう考えて、人差し指を立てると、その指に魔力を纏わせてボードをなぞる。



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