第66話 白昼夢のカラス?
白い指がなぞる先にあるのは、対蹠的な黒いボードだ。素材は炭化ホウ素。そう、僕の鎧に使われているものであり、実際これも僕の鎧の予備だったプレートを流用している。即席の代物だが、この術式にとっては必要な触媒だ。
この【影塵術】において、術者はかなり行動の制限を受ける。というのも、分身体や二種類の術式を、切り取った空間に対応するボードに魔力を流す事で発動、操作するのだ。当然ながら、そのボードを持ち運びながらウロチョロできるわけもない。
ボードなしで【影塵術】を開発しようともしたのだが、流石に三つの術式を体から離れた場所に発現し、操作するのが非常に難しかった。また、僕が使うという事で、術者に危険な立ち回りをさせないよう、グラがこういう形にしたという理由もある。
本来は、分身体は使わず、前線で二種類の【影塵術】を使い分けるというものだったしね。まぁ、残念ながら多くの属性術を使えない僕では、そのやり方では実現性が乏しかったので仕方がない。
そんなわけでこの【影塵術】は、後衛向きというよりも、完全に後衛用の術式だ。刻む術式そのものは、大部分をグラが効率化してくれて、ボードという触媒を介して【魔術】を遠隔で発動、操作するという、なかなかに画期的なものになった。
僕はいま分身体を操っている右手を動かしつつ、左手の指も立てる。これまでと違い、人差し指と中指の二本だ。そこに魔力を集中してから、フッと息を吹きかけてから、まずは人差し指だけボードに触れる。これもまた、必要なプロセスだ。
息を吹きかけるのは、ボードを介して【
「【石陰子】」
直後、分身体がキーワードを唱えた途端、剣山のような影の針が、
土と闇の属性術を複合したそれと同時に、幻術主体の【
「おらぁ!! オレにこんな小細工が通用すると思うなよ!!」
緑ツインテの方が、【石陰子】の針を両手の
バラバラと、粉々にされた影の針が散らばると同時に、術式としての【石陰子】は崩壊を余儀なくされる。流石に、あの短剣の攻撃速度は、これまで相手にしていたピンクツインテの
そのピンクツインテも、この【影塵術】の手数の多さと早さを考慮してか、回復してからは
ならば――僕は左手をボードから離すと、口元に指を持っていく。それと同時に、ピンクツインテが相手をしていた【
僕はいま一度、立てた二本の指に息を吹きかける。そして、分身体を操っている右手に重ねるように、左手をボードにつける。
「【
三本の指が触れているボードに対応する場所に立っていた分身体の背から、二対の黒い翼が現れる。ちなみに、【幻翅】の術式はほとんど【
「この……ッ、悪魔がッ!!」
ピンクツインテの方が、心底から吐き捨てるように分身体を睨む。たしかに、二対黒い翼を生やした分身体の姿は、ちょっとだけ悪魔にも見える。
「でも、過大評価だね。精々がカラスだろうに……」
黒髪だし、装いも基本的に黒っぽいからといって、角もないし、尻尾もない。これを悪魔と呼ぶには、流石にちょっとシンプル過ぎるだろう。ヴィジュアル系バンドの服装に比べれば、ただちょっと羽が生えているだけの一般人でしかない。
「君たちは教会関係者だろう? そんな君たちが僕を悪魔とか呼び始めたら、いよいよもって【白昼夢の悪魔】が定着しちゃうだろうに。それは僕にとっても望ましくない事だが、君たちにとってはもっとも忌避したい事じゃなかったのかい?」
だからこそ、教会は僕に因縁をつけてきているのだから。まぁ、神聖教にとっては悪魔云々よりも、死神術式の方を問題視しているようだったけどさ。
「う、うるせぇ! オレは別にビビったワケじゃねえぞ!!」
「悪魔と呼ばれて、過大評価と捉えるお前の感性がおかしいんだ! ボクなら、悪魔と呼ばれるくらいなら、ゴミにたかるカラスと呼ばれた方が万倍マシだ!!」
「くそっ! テメ……ッ!」
「厄介なッ!!」
分身体が【影翼】を羽ばたかせて宙を駆け、【幻翅】を使って眼下の双子を攻撃する。闇の属性術と【転移術】を合わせた【影翼】は飛行が可能だ。その分、【幻翅】と違って攻撃はできないが。
まぁ、分身体は元が幻術であるだけに、なくても宙を浮かせるのは可能ではあるのだが、それをやると幻術だとバレバレにってしまう。
それこそ、人を襲うカラスのように、僕は彼女たちの頭上から攻撃を加える。頭上は人間にとって死角であり、体の構造はそこにいる存在に攻撃するようにはできていない。
僕と
「このぉ!!」
ピンクツインテの方が、ごろりと転がり床にあった斧槍を手に取り、分身体に向ける。なるほど。頭上への攻撃なら、長柄が向いているのか。
彼女たちの頭上にいた分身体が、斧槍に串刺しにされる。たしかな手応えこそ返っているだろうが、その姿は次の瞬間には陽炎のように揺らめいて消えていく。同時に僕もボードから指を離し、【影翼】と【幻翅】も解除する。
さて、ここからは比較的低コストな【影塵術】のなかでも比較的魔力を食う大技の実験といこうか。まぁ、既に【影分身】とかは使っちゃったけど。
僕がそう考えたところで、緑ツインテの方がピンクツインテに叫ぶ。
「おいメラ! こいつはやっぱ、幻術の類だろ!」
「でも、生命力の理で消えないよ!」
荒々しい緑ツインテの言葉に、ピンクツインテも戸惑いながら答える。恐らくは、言っている彼女自身も幻術であるという疑いを捨てきれていないのだろう。緑ツインテの方など、完全に【影塵術】を幻術だと決めつけている。
僕は予定を変更して、立てた指に息を吹きかけた。
「そうそう。幻術なのだから、【神聖術】を使って破ってみるといい。こちらとしても、【影塵術】に対して【神聖術】がどのような効果を及ぼすのか、いい実験になる」
そう嘯く僕の分身体を、ピンクツインテは忌々し気に睨み付ける。これまで一対一の状況で【神聖術】を使わなかったのは、あの長ったらしい祝詞の為だろう。流石に、あんな隙を近接戦闘中に見せるわけにはいかないはずだ。
だが、いまは前衛の緑ツインテがいる。それでもなお、なぜかピンクツインテは【神聖術】を使うのを躊躇しているようだった。
「どうしたメラ!? さっさとこんな幻術破っちまえよ! オレたちの神聖教に、こんな悪魔の手妻なんざ、通用しねえって事を教えてやれ!」
「…………」
ピンクツインテは、特大の苦虫でも噛み潰したような苦渋の表情で黙りこくる。その表情は、僕に対する嫌悪以上に切実ななにかが浮いていた。
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