第67話 陰陰滅滅

「メラ、どうした!?」


 一考に行動を起こさないピンクツインテに、緑ツインテが慌てて問いかける。


「……魔力が足りない……。あの、地獄に引き摺り込むような幻術に対して一回、さっき自分を回復させるのに一回。ここでもう一回使ったら、ボクは魔力欠乏で気絶するかも知れない……」


 へぇ……。思っていた以上に【神聖術】っていうのは魔力を食うものらしい。まぁ、そうでないと、流石にあれだけの回復力や、様々な【魔術】を複合した【死者の女王ヘル】を一度に解除できるっていうのは反則過ぎるからね。

 あのピンクツインテが、本来は前衛寄りの戦士である点を考慮しても、これはかなり燃費が悪い。

 魔力というのは本来、生命力をより効率的に使う為のエネルギーだ。その生成能力、保持能力には個人差があって、ポーラ様みたいに著しく魔力に関する能力が低い人というのも存在する。だから、このピンクツインテの魔力関連の能力が低いという可能性もないではないが、そんな人間はそもそも魔力の理を学ばない。

 ここら辺の個人差は、どうしたって世の中には存在する。僕が高校生になって帰宅部になったのも、僕自身の運動能力が人並みかそれ以下でしかないと痛感したからに他ならない。

……まぁ、だからといって近接戦闘訓練をおざなりにしていたのは、僕の落ち度だった。向いてない運動よりも、【魔術】の修得という成果がわかりやすく、また自分に向いている物事を優先してしまったのだ……。


「クソ! 水薬ポーションを使え!」

「軽いヤツなら、【正道標】を使ったときにもう飲んだ。近接戦や幻術対策で、生命力も消費してるいま、無理に生命力を魔力に変換すると、今度は命に関わる……」


 蛍光双子ツインテツインズがやり取りしてから、緑ツインテの方が忌々し気に舌打ちする。これ以上水薬を濫用するのは、ピンクツインテの心身に障りがあると思ったのだろう。ゲームのように、ポーションがぶ飲みで戦う事は、この世界では不可能らしい。まぁ、そもそもそんなに飲めるかという話だが。

 この二人の様子だと、まずブラフという線はないだろう。まぁ、ともかく二人の状況を斟酌してやるようなつもりは、さらさらない。僕は両手の人差し指と中指に息を吹きかけ、ボードにおくと口を開いた。


「【陰陰滅滅インインメツメツ】」


 ●○●


 ショーンがあの毒々しい髪色の双子を相手取り、死神術式の応用で切り取った空間内を【影塵術】で覆い尽くすのを後目に、私は目的の人物がようやく通路の角を曲がってくるのを待っていた。

 男は急ぐでもなく、悠々と通路を歩いている。この者が近付いてきたせいで、ショーンが少なからず危険を冒すというのに、その不遜な態度が腹立たしい。


「……よぉ、天使ちゃん」


 身長は我々より少し高い程度。只人の成人男性としては低い方だろう。ショーンが付き合いを持っている商人に、奴隷商のアッセという者がいたが、あの男くらいの伸長だ。

 だが、あのなよなよとした商人とは違い、そこに貧弱そうな印象は抱かない。縦にも横にも、同じくらいの幅は取っているが、アッセと違いこの男は軽装の上からでもわかる程に、鍛え抜かれた逆三角形の体型である。

 私は舌打ちを一つすると、無言で刀を抜く。私が人間どもの間で【陽炎の天使】などと呼ばれている事は知っている。私はその呼び方が、非常に不愉快だ。


「へぇ……。八色雷公流かぁ……、歳の割には様になってるじゃねえか……」


 男は、私が構えを取っただけで、流派を看破して見せた。まぁ、私はあのエルナトとかいう男からの見様見真似なので、正式にその流派を修めたわけではないが。


「ええ、よくわかりましたね」

「まぁ、八色雷公流のヤツも随分と殺してきたからな」

「そうですか」


 まったく、愚かな事だ……。我々ダンジョンコアとて、相争い、殺し合う事はある。実際、私たち姉弟はバスガルのダンジョンコアと殺し合った。だが、人間という地上生命の同族殺しの性質は、ハッキリ言って異常なレベルの習性だろう。

 他の地上生命にも、縄張り争いや生存競争において、同族殺しをする事はままある。だが、その非ではない程に、人間という生き物は人間を殺す。生存に関わるような場合もあるだろう。だが、同じくらいに生存に関わらない殺しも存在する。

 嫌悪、愛憎、嫉妬、利害――そして、単純な愉悦の為に。

 眼前の男の殺意には、最後の愉悦の色が濃く滲んでいるように思えた。それを証明するように、男はニヤニヤと口元に笑みを湛えたまま、不満げな言葉を述べる。


「なんだよ、もっと反応してくれよ? 俺ぁ、お前みたいなメスガキが、ビービー泣き喚いて命乞いする姿が好きなんだ。そんな無力なガキの哀願を踏み躙った瞬間が、最っ高なんだよっ!」

「そうですか」


 人間が同族殺しになにを思うのか。それは私にとっても重要な情報だ。それは、ショーンが殺人に対して抱く忌避感に、近いはずなのだから。

 だが、この男はそもそも殺人を忌避しておらず、むしろある種の快感を得ている様子だ。そんな者の感覚など、参考になるわけもない。

 というよりも、このような品性下劣な男と、ショーンとの間に精神的にであれ、類似性があると仮定する事自体、非常に不愉快である。

 故に私は、男の感慨を一言で切って捨てる。流石ににべもない私の対応に鼻白んだ男が構えを取る。さっさと実力行使に移り、こちらを嬲る腹積もりなのだろう。それで構わない。

 拳を固く握り、左腕は腰だめに、右腕はこちらに向けつつも肘は軽く曲げ、心持ち低めに構えた男に対し、私は防御に適した正眼に構水の構えで相手の出方を待つ。


「…………」

「…………」


 沈黙が、私たちの間に横たわる。背後のショーンたちがいる方向からも、音はしない。当然だろう。【陰陰滅滅】を使っている以上、のだ。

 互いに間合いを測りつつ、立ち位置と体の向きを微調整しつつ、隙を窺う。だが、この男はなかなかの手練れのようで、隙らしい隙が見えない。勿論、私も隙を見せてはいない。

 このままでは膠着状態だと判断したのだろう。男は再びニタニタと笑みを湛えて口を開く。


「なかなか堂に入った構えじゃねえか、お嬢ちゃん。俺が殺してきた連中より、よっぽど様になってんぜ」

「…………」

「そんなアンタの実力に敬意を表して、自己紹介をしとこうか。俺の名は、スタンク・チューバ。界隈じゃ【客殺し】なんて呼ばれているが、冒険者をしていた頃には【赤小鬼レッドキャップ】とか呼ばれてたな」


 興味もない事をベラベラと話し始める、スタンクとかいう小男。舌戦でこちらに隙を生もうとしているのかも知れないが、私は極力、ショーン以外の者と言葉を交わしたくない。ダンジョンコアは元来孤高であり、そもそもコミュニケーション能力というものに乏しい。故に、不愉快になるだけだとわかっているからだ。


「まぁ、なんでそんな呼ばれ方をしたかってぇと、赤は勿論相手の返り血からきてる。んで、小鬼呼ばわりは手癖の悪さが原因だ」

「…………」

「ああ、そうそう。お前の弟が置いてった斧は、全部俺が回収しといた。あとで売っ払って、酒代にしてやんよ。いやぁ、今夜の酒はいいもんが吞めそうだぜ――」


――私は悪手とわかっていてなお、スタンクに斬りかかった。勿論、悪手を打ったと重々理解してはいても、それが悪いとは微塵も思わない。

 上段に構えた瞬間、ニヤリと笑っているスタンクの表情が見えたが、誘いなど食い破ってみせると、私は刀を振り下ろした。



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