第23話 報復と制止

「きゃぁあああああああ!?」


 絹を裂くような悲鳴が、夜陰に響き渡った。良かった。一応、罪悪感そのものはあったらしい。

 少女は雨の中、泥だらけになって七転八倒し苦しみを訴えている。別に元から綺麗だったわけではなかったが、雨具の下の服も泥で汚しつつきゃあきゃあ喚く少女。それを眺めながら、僕とグラは所見を述べる。


「一応、悪い事をしている自覚はあったんだね」

「そのようです。まぁ、増幅した罪悪感であの程度だと思えば、然して悪いとも思っていなかったのでは?」


 なるほどね。しまったな。こんな事なら【断罪】の方を先に使えば良かった。彼女がどのくらい、悪いと思っていたのかがわかりにくくなってしまった。いやまぁ、然して興味もなかったけれど。


「まぁ、ほとんど罪の意識がないような状態や、軽い後悔程度じゃ、まともに【断罪】は効力を発揮しない。これのやり方で正解か」

「ええ、そうですね。実際、いまそこのゴミどもに使っても、ほとんど意味のない幻術となるでしょう」


 グラが見つめる先、幻の檻に囚われた少年少女は、青い顔で泥濘を這い回る仲間の醜態を見ていた。

 どうかな。いまのこいつらなら、罪の意識はともかく、後悔はしているだろう。もっともそれは、『なんて悪い事をしてしまったんだ……』という類の後悔ではなく、『ヤバいヤツに手をだしてしまった……』という後悔だろう。それではやはり、【断罪】はあまり効果的ではない。

 幻術のこういうところは、本当に扱いが難しい。などと、再び隣の芝を青く思っていたら、生意気そうな少年が突然奇声を発した。


「――ぉらぁッ!?」


 その掛け声と同時に、彼は腰から剣を抜き放ち、一閃する。どうやら、生命力の理で幻術に抵抗レジストしてみせたようだ。こういう、既に対抗手段が十分にあるという点でも、弱点は多いんだよね、幻術。

 泥水を跳ねさせ、彼が駆けてくる。片手には剣。狙いは僕か。


「【盲目カエカ】」

「【忿懣シモス】」


 散開しつつ彼の標的を分散させ、僕が彼の視覚を奪い、グラが広範囲の敵意を煽る幻術を使う。当然、事前に回避行動を起こしていたからか、襲い掛かってきた生意気少年の攻撃を、余裕をもって回避するのに成功した。そして彼は、再び幻術に捉われる。

 言葉を交わさずとも、僕は少年を、グラは捕らえている少女と少年を警戒している。先程グラが使った【忿懣】によって、【監禁】に抵抗されないよう、敵意も増幅済みである。


「ひゃぁぁあああああ!? 虫! 虫が!?」

「ぎゃあ!? い、痛ぇ? お、檻に棘がぁ!?」


 効果範囲にいたラスタと小狡い少年が悲鳴をあげる。もう一人の少女は、苦しみこそ和らいだようだが、こちらを化け物を見るような目で見ていた。


「クソ! クソォ!? どこだテメェらぁ!?」


 視覚を奪われた生意気少年は、あちこち剣を振り回している。四、五度振ったところで、岩がちな崖に剣を振り下ろしてしまったようで、すっぽ抜けた剣が僕の方に飛んできた。


「うわっ!?」

「ふん!」


 ちょっと驚いたが、グラが凄い反応で僕を庇い、刃を素手で叩き落とす。どうやら、他の三人だけでなく、この少年にまで気を払っていたらしい。相変わらず、ハイスペックな姉だ。

 しかし、ダンジョンコアとはいえ、流石に剣を素手で弾くのはどうかと思う。気弱少女の方が、本気でビビっているじゃないか。


「あっちは任せていい?」


 いまにも縊り殺しかねないような剣呑な目で、生意気少年を睨め付けていたグラに、気弱少女の対処を任せる。僕の意図を察したらしいグラが、多少不満そうにしつつも了承を示すように頷く。それから、つまらなそうに少女に幻術をかける。


「【贖罪の火プルガトリウム】」

「きゃぁぁ!? あづッ!? あついぃいいいいいいい!!」


 以前、僕もモンスターに使った覚えのある【贖罪の火】をかけられ、またも水浸しの地面を転げまわる気弱少女。だが、そんな真似で幻の炎は消えはしない。

 その間に、僕もまた暴れ回る少年を無力化する為に動く。


「【虚無ニヒル】」


 それまでは、見えないながらも僕らに敵意を向けていた少年が、急に押し黙った。それだけではない。なんの感情も窺えない虚ろな表情、光の消えた目で、棒立ちになる生意気少年。

 これは、強い興奮状態にある対象を、一定時間なにも考えられない状態にする幻術だ。一度かかってしまうと、己の意思で抵抗レジストするのが難しい状態に陥る。【忿懣】の効果で興奮状態が亢進していた為、実に簡単にかかってくれた。

 効果だけをみると、かなり有用な術に思えるのだが、これを使ってしまうと他の幻術がほとんど効かなくなるというデメリットも存在する。幻術はほとんどの場合、その効果が術者ではなく対象に起因する為、その対象が無感情だと効果がなくなってしまう場合が多いのだ。

 まぁ、その分立ち尽くしている相手をサンドバッグにはできるのだが、痛みや命の危機を感じられると、覚醒が早まってしまうという点も考慮しないといけない。

 さて、生意気少年の拘束はこれでいいだろう。そう思って振り向くと、泥濘に頭を付けて平伏する少女の後頭部を踏み付ける、姉の姿があった。


「ええー……」


 流石にその姿は引く……。いつの間にか、グラには女王様属性が加わっていたらしい。

 いやまぁ、性癖に文句を付けるつもりはない。グラ自身が望むなら、ユリだろうとタチだろうと、受け入れる腹積もりはあるつもりだ。それに【贖罪の火】ってある意味そういう術だしね。


「グラ、こっちは終わったよ」

「はい。こちらも終わりました」

「それじゃ、新しい幻術の実験を始めようか」

「そうですね。なにから始めましょう?」

「あれがいいよ。一時的に相手を失語症にするヤツ。モンスター相手だと、絶対に実験できないし、侵入者相手に使おうにも、死体には意味ないし」

「なるほど。妙案ですね」

「いや、あの、勘弁してやってくれませんかね……」


 グラと一緒になって、少年少女モルモットに試す幻術について話し合っていたら、背後から休んでいるはずのラベージさんの声がして、ちょっとびっくりした。

 いやまぁ、こんだけ騒ぎを起こせば、目も覚めるよね。

 実験を制止されたからか、グラが不機嫌そうにラベージさんに食って掛かる。ついでに、ぐりりと少女の頭を踏み躙る。


「我々は、この者らに対して、正当なる防衛行動を取ったに過ぎません。その結果がこれであり、今後逆恨みなどを考える事のないよう、その性根に恐怖と後悔を刻み付けるのが、これからなのです」

「あうっ……!?」


 その言はもっともであるが、構図が……。そんなグラに、非常に気まずそうな表情を浮かべるラベージさんが、おずおずと口を開く。


「いやまぁ、そいつはわかりますがね……。なんてーか……」


 歯切れの悪い彼に、僕もグラも首を傾げる。野営中に襲い掛かってくる同業者など、言っちゃ悪いが冒険者なら珍しくもないだろう。元々が胡乱な連中なのだ。夜盗紛いの輩が紛れていても、なんら不思議はない。

 むしろ、無警戒である方が、この場合は冒険者としては失格だ。だからこそ、そういうヤツには相応の報復が推奨されている。ギルドにではない。真っ当な冒険者たちによって『そんなヤツは殺してしまえ』と言われているのだ。

 そして、それを教えてくれたのは、いま困ったような顔をしているラベージさんなのである。


「流石に殺すつもりはありませんよ? その心配のない幻術を使うつもりです」


 自分たちの行いを正当化するように、僕は弁明する。ただでさえ怖がられているのだ。そこまで無情な人間だと思われると、今後付き合いづらいだろう。

 冒険者たちの『殺せ!』なんて、勢い任せのスラングみたいなものだろうし、それを真に受けて本当に殺すなど、空気が読めていないというものだ。こちらに被害らしい被害がない状態では、単なる殺人と思われてもおかしくはない。こんな連中の為に、そんな瑕疵を背負うなどごめんだ。


「まぁ、調整に失敗していたら、ショック死する可能性は十分にあり得ますが」

「ひぃ……っ!?」


 せっかくのフォローも、グラの付けたしで台無しである。ただ、それでも文句は言われない状況だろう。彼女の足元で平身低頭して怯えている弱気少女も、それが決してあり得ない事ではないと察し、恐怖に悲鳴をあげているのだ。

――と、そこで予想外のところから、声がかけられた。


「ラベージ!? あんたラベージでしょ!? ちょっと、こいつらなんとかしなさいよ!!」


 おや? お知り合いかな?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る