第22話 蟷螂が斧を以て隆車に向かう
「見てわかんでしょ? こっちは寒い中、雨に打たれてここまできたの。だってのに、安心して雨宿りできないような場所で、一晩明かさなきゃなんないのよ? 風邪でもひいたらどうしてくれんの?」
たしかに、木の枝の下から離れると、雨の中でテントを張る必要に迫られる。雨漏りや騒音、濡れた地面や天幕の隙間から冷気も漂い、横になっても体が休まらないのは、想像に難くない。
でもまぁ、だからといって僕らに彼女の言い分を聞く道理などない。
「いや、知らんし。雨の中進んできたのは、そっちの勝手だろう」
ラベージさんが言っていた。こういう雨天時には、依頼よりも優先して雨宿りの場所を確保する必要がある。体を冷やすのは最大の悪手であり、こんな夜中まで野営場所を確保しない、彼女たちが悪かったのだ。己の不手際の責任を、こちらに取らせようなどとは片腹痛い。
いやまぁ、あのなにもない草原では、雨宿りをする場所を確保するのも難しかったのだろう。だから無理を押して、この野営地を目指したのだと想像はできる。ここは水源からも近く、小さな
ラベージさんが新人に紹介する程に、利便性の高い立地だからこそ、彼らもここを目指したのだろう。ここ以外に、草原で雨風をしのげる場所はあまりなかったのだというのも、想像はつく。
でもだったら、草原の外、森なり山なり依頼を受けた場所に野営の準備していれば良かったのだ。
「うっさいわよ! こっちは五級冒険者よ!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る少女に、僕はため息を吐き、グラは鬱陶しそうに睨み付ける。やはり中級だったか。
だからどうだというのだと本気で首を傾げる。が、どうやらこの少女も、門衛の人と同じく、僕らを駆け出し冒険者だと勘違いしているのだと思い至った。つまり、階級がうえだから場所を譲れと、そう言いたいのだろう。バカバカしい。
「僕らはこの場所を、昼から野営の為に整えていたんですよ? それを、五級だから場所を譲れというのは、あまりに理不尽ではありませんか?」
「はぁ!? ちょっとアンタ、下級のくせに生意気じゃない? だいたい、野営に午後の時間丸々使うとか、本当に駆け出しでしょ? だったら先輩のアタシらの言う事聞きなさいよ!?」
い、意味がわからない……。
「ねぇ、グラ」
「なんでしょう?」
「僕の言語の認識が足りていないのか、彼女の言っている事がまるでわからないんだけど? もしかして、特殊な方言かなにか?」
手前や自分みたいに意味が真逆になったり、ゾッとする程ぞっとしない話みたいな、一度聞いただけでは意味のわからない使い回しが、この国の言語にも存在するのかも知れない。あるいは同音異義語によって、意味を取り違えているという可能性もあるだろう。
だからもしかしたら、彼女も僕の理解している内容と別な事をほざいているという可能性は、微粒子レベルで存在するだろう。だが、そんな希望的観測も、即座にグラに否定されてしまった。
「いいえ。私にもこの娘の言動は理解が及びません。恐らくは、心か脳の病でしょう。哀れな事です」
「なるほど。それはたしかに可哀想だね」
どうやら、この国の言語の妙なる複雑さによる誤解ではなく、単に目の前の少女が図々しいだけだったようだ。
個人的には、もうかなり使いこなしている感のある言語だが、あくまでも日常会話レベルであり、衒学的な表現を使われると困る場合もある。学識をひけらかすタイプではないものの、他者に対する気遣いができないダゴベルダ氏と話していると、難しい単語をちょくちょく聞き返すくらいには、まだまだ理解が足りていない。
「ちょっと、無視しないでよ!?」
「うるさい小娘ですね。それ以上恥の上塗りをしないよう、無視してあげますのでどこかへ消えなさい」
なおも噛み付こうとしてきた少女に、グラの冷淡な言葉と視線が向けられる。少女は気圧されるようにして押し黙り、一歩後退った。そこで、彼女の仲間らしい気弱そうな女の子が、生意気少女の服をひっぱりながら小さな声で、遅きに失した忠告をする。
「ちょ、ちょっとラスタちゃん……。そ、そんな事しちゃダメだよ。あ、悪評が立ったら、二度とここ、使わせてもらえないかも知れないんだよ……?」
「ハン! 五級のアタシらと下級のこいつらの話、どっちが信じられると思ってんの? こいつらがなにを言ったって、周りはアタシらの言う事の方を信じるのよ!」
どこからそんな自信が湧いてくるのか、心底不思議に思うが、良く考えたら社会的信用皆無の十級や九級の冒険者の言葉なんて、あまり重んじられない。そうなると、より信頼性の高い中級冒険者の言葉の方が、たしかに優先される可能性は高い。勿論、それが偽証であると後々証明されれば、冒険者的にもマズい事になるのだが、眼前の少女はそこまで考えが及んでいないのだろう。
「たしかにな。いまから天幕を張るのも面倒だ。どうせなら、お前らの天幕もこちらに寄越せ」
「それもそうっすね! 雨の夜の天幕張りとか、勘弁して欲しかったところっす! おいガキども! 大人しくその天幕と焚火をこっちに渡した方が、身の為だぞ!? この雨の中、怪我までして放り出されたくはねえだろう!?」
なんと残りの二人である生意気そうな少年と小柄な少年も、頭のおかしい少女の尻馬に乗り始めた。そうなると、気弱そうな少女の方が少数派になり、あわあわと口籠ってしまう。まぁ、同グループに所属していて、キッパリと彼らを止めるか、関わりを絶てない時点で同罪だ。
これが僕らでなく、本当にただの下級冒険者だったら、泣き寝入りするか、寝床を巡って深夜に激闘を繰り広げなければならないのだから。もしそうなっても、あの気弱少女が『自分は本意じゃない』なんて顔をしながら、それでも利益だけは享受するのだと思うと、僕はこの少女が一番嫌いだ。
悪事を働くなら、せめて悪びれて欲しい。己が悪であると自覚していない、もっともどす黒い悪程、醜悪なものはない。元ネタの、己が正義であると自覚している独善なヤツよりも、こういう自分は手を汚さずに便乗するような輩に、僕はなによりも虫唾が走る。
悪に身を堕とすなら――己が外道である覚悟を持て。
まぁ、それはこいつら全員にもいえる事か。どうも、ただ先輩風を拭かせて、風下にいる相手から貪りたいだけで、己の行いを悪と思っていないような顔だ。気弱少女がイジメを遠巻きに見てニヤニヤしているヤツだとすれば、こいつらは悪気なく相手をイジメて、あとで「ふざけていただけ」とか言い出すヤツだろう。
ああ、嫌だ嫌だ。こいつらの事が、これまで殺してきたチンピラたちよりも嫌いだ。彼らは少なくとも、俺の行いが悪であると自覚していたのだから。
こいつらの装備の質や態度を見る限りにおいて、普通の駆け出しよりは腕っ節には自信があるのだろう。五級というのも、嘘ではあるまい。戦闘能力のみを評価すると、頑なに標榜している冒険者ギルドの階級だ。それなりに信憑性はある。
対する僕らの装備も、自作とはいえ一級品となんら遜色ない代物なのだが、いまは店売りの雨合羽に隠れて、彼らには視認できない状態だった。
いつ雨中に飛びださなければならなくなるかわからないのだから、脱いではいけないとラベージさんに厳命されているし、わざわざ見せびらかして教えてやるつもりもないが。
「面倒ですね。さっさと殺してしまいましょう。壁の外であれば、町の法に配慮する必要もありません」
「いや、流石に殺しは良くない」
勿論、そんな常識的な事を考えての忠告じゃない。僕が気にしているのは、ここで彼らを殺したら、いま休んでいるラベージさんがどう思うかという点だけだ。
実力差の明白な状況で、みだりに相手を殺めれば、それだけ心証が悪くなる惧れがある。これから良好な関係を築いていこうとする相手に、そのような偏見を持たれる事は、あまりよろしくない。まぁ、DPにもならない殺しに気乗りしないというのも、事実ではあるが。
「だからここは、開発した幻術の実験台にしよう」
「なるほど。それは面白い使い道ですね」
「いきなり死なせないようにね?」
「心得ています。生きている被検体は貴重ですからね。それも四体」
「んじゃ、ひとまず拘束しようか」
「ええ、そうしましょう」
凄んでくる連中を前にして、しかし僕らは一向に怯えもせず、さりとて敵意すら返さない。ひたすらに、まな板のうえの鯉でも見るような目で、その調理法を吟味しては、楽し気に会話を交わしている。
その事に、焚火の奥で凄んでいた三人と、オドオドとしていた一人は、不審を覚えたのか、あるいは不気味さでも感じたのか、微妙にたじろいでいた。
だが、そんな弱気を払拭するように、大声で問いかけてくる。
「な、なにをゴチャゴチャ言って――」
「【
「な――ぐッ!?」
敵意や害意に応じて檻の幻影を作り出す幻術を、グラが使う。ただ、たぶんこれでは、一人拘束できないはずだ。
「え? えっ!?」
案の定、他の三人が動けなくなった事で戸惑いを見せている、気弱そうだった少女は、狼狽えたように後退る。動けなくなった仲間と、得体の知れない僕らに対する警戒とで、視線は右往左往していた。
「【
「うぐ……っ!?」
だから僕は、ここで彼女の後悔を増幅する。敵意がないという事は、罪を犯している意識はあるのだろうから。こちらの意図を察したグラが、彼女に対してさらに幻術を行使する。
「【
罪を犯したという自意識に応じて苦痛を与える幻術【断罪】。さて、この女の罪の意識は、どの程度なのだろう。毛程も苦痛を覚えなかったら、逆に笑えるな。その分胸糞悪くなるけど。
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