第144話 台風一過・6
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「侯爵、ですの?」
常から、己の思い描く令嬢たらんと心掛けているわたくしだが、流石に帝国から訪れたその使者の言葉には、呆けたような声で訊ね返してしまった。
「はい。勿論、いま現在無位無官のエウドクシア様を、いきなり侯爵に叙す事はできません。そのような前例ができるのは、帝国としても好まざるところでして……。しかしエウドクシア様の功績に、報いぬわけにも参りません。また、エウドクシア家という、歴史と権威あるナベニポリスの名家を、正しく評価し、それを残すとなれば、相応の地位をもって遇さねば、帝国の面目が立ちませぬ。もしも不当に遇さば、帝国の威信にも関わると、陛下も随分と悩まれておられたとか」
「
すっと頭を下げて謝罪するが、使者は両手を見せてそれを止める。
「いえいえ。エウドクシア様に責のある事ではございませんし、帝国にとっても慶事でございますれば、どうかどうか頭をおあげください。ここで功労者のあなた様に頭を下げられては、いよいよ立つ瀬がございませぬ。どうか謝罪は不要に願います。ですが、そのような事情で、一足飛びにエウドクシア家を侯爵にできぬ事、エウドクシア様にもご理解を賜りたく存じます」
先程とは逆の構図で、頭を下げる使者に対し、了承と謝罪の不要を伝える。そもそも、元は名家とはいえ、いまはこのような小娘一人しかいない家に、いきなり侯爵家などと言われても困る。残念ながら、その格に見合った振る舞いをする為の財産が、いまのエウドクシア家にはないのだ。むしろ、いきなり女侯爵に、などと言われなくて安心している程だ。
使者は顔をあげると、淡々と続きを述べる。
「最初は、この度の戦での功績をもって女子爵として叙爵。エウドクシア様がご成婚されてしばらくしてから女伯爵位、ご子息がエウドクシア家の家督を継がれ、爵位を引き継ぐ際に侯爵位への昇爵という形になります。以上の事は口約束ではなく、内示書という形に残るやり方で確約されます。内示書はエウドクシア家で、厳重に保管してください」
「……思っていた以上に、性急な叙爵ですわね……」
てっきり、三、四代後の確約だと思っていた。それも口約束で、あとでなんとでもなる形での内示だと思っていたのだが……。
まさか、わたくしの子供の代で侯爵位とは……。内示書というのも、正直厚遇が過ぎて少々不気味だ。この場合、口約束か書付程度のものの方が、皇室や宮廷としてもやりやすいはずだ。先々の昇爵に関する正式な書面など、本来ならば誰も残したがらないだろう。
「それについても、内々にではございますが、宮廷側の思惑をエウドクシア様に伝えておいて欲しいと仰せつかっております」
「宮廷の思惑、ですか……」
これまた性急な話だ。いまだ帝国貴族として列されてもいないわたくしを、帝国国内の政治事情にどっぷり引き摺り込むつもりか。
だが、望むところだ。他の家々が何年、何十年とかけて下地を作っている戦場に、いまから飛び込むのだ。情報を聞くのも、覚悟を決めるのも、遅すぎる事はあっても、早すぎる事などない。
幸いなのは、帝国が新興の国であるという点か。その歴史は、エウドクシア家よりも短いのだから、大樹のように権力の根が張り巡らされているという事はあるまい。
「はい。エウドクシア家には、帝国南部のまとめ役になっていただきたいというのが、宮廷側の思惑です。これは口約束もできぬ、現在の宮廷の思惑ではあるのですが、できれば三大公に並ぶ四番目の大公になって欲しいようです」
「それは……、また随分とこちらに都合のいい話ではございますね」
この話は少しおかしい。帝国南部のまとめ役は、現在タルボ侯だ。エウドクシア家が南部のまとめ役として大公となれば、当然タルボ侯の権益を侵す事にもなる。関係は悪化しかねない。
この場合のなにが問題かと言えば、タルボ侯が三大公のいずれにも与しておらず、帝国にとっても信頼できる忠臣であるという点だ。つまり、宮廷が意図して、タルボ侯に対して損害を与えようとしているわけがないのだ。
だとすれば、わたくしになにを求めて南部の領袖の長を、タルボ侯からわたくしに変えるのか……。仲違いをさせる腹ではあるまい。そんな事をするくらいなら、最初からわたくしを冷遇していればいいのだから。
「第二王国、ですか……?」
「ご明察です。タルボ侯爵領が抱える、第二王国に対する負担をエウドクシア家を始めとした、南部の領袖で肩代わりしてもらいたい。そして、ゆくゆくは他の大公たちと同じく、南部の脅威に独力で対抗できる勢力になって欲しい。それが、宮廷の意向です」
「なるほど」
わたくしは頷きつつ、帝国にとってのこのベルトルッチ領というものの、今後の扱いについて考える。
恐らく当初は、以前の統治の失敗もあって、今回の再統治は強い締め付けを行うつもりだったのだろう。それこそ、有力者は皆処刑するか帝国領からの追放。各
だが、そこにわたくしという駒が現れ、ピエトロという要素が加わった。結果、帝国は旧ナベニ共和圏から、有力者たちを完全に排除する事が出来なくなってしまった。そうなると、統制を強めて帝国直轄領とするよりも、他の三大公と同じく、帝国に属す独自の大きな自治勢力とする方が、扱いやすいというわけか。
その為の重石がわたくしであり、わたくし自身に離反させない為の飴が、将来の侯爵位。その将来を担保する蓋然性が、口約束にもできぬ政治構想という形での大公位というわけか。
「元はナベニ共和圏の有力者たちも、わたくしが厚遇されているとわかれば、安心するでしょうし、もしもなにかあれば、わたくしを通じて帝国を頼る事になりますわね」
「はい。その『頼る』という関係が、帝国にとっても、エウドクシア家にとっても、力になるかと。いずれ侯爵となり、ゆくゆくは大公となられても、反発は最小限に抑えられましょう」
「なるほど……」
その視点はなかった。だが、たしかに下手にいま大公となっても、
「それと、結婚と跡取りの件なのですが……」
使者が話しにくそうに、おずおずと切り出す。まぁ、普通であれば令嬢の結婚相手について話すのは、当主の父か兄相手なのだ。それが、当主となる令嬢本人に直接話さねばならないのだから、やりづらいと思ってしまうのも仕方がない。
「宮廷としては皇子のどなたかから、婿としてエウドクシア家に入れたいようです。勿論、当主であるエウドクシア様の意向が優先であり、これは内々の指示や、強制ではございません。婚姻は家督の専権事項にございますれば……。しかしながら、できれば叙爵の際に、その点を深く話し合いたい、それまでに、ある程度エウドクシア家の指針も決めておいて欲しいとの事です」
「承りました。熟慮の末、帝都へと答えを持って参ろうと思いますわ」
といっても、断る理由などない。正直、それ以上を望むべくもない相手だ。これを断れば、わたくし自身が婿取りに東奔西走しなければならない。親族が頼れない現状では、それは途方もない面倒事である。
宮廷としても、いずれ南部の中核となる家に対して、完全にノータッチというわけにもいくまい。皇室の血を入れ、帝国に近い立ち位置にエウドクシア家をおいておきたいのだろう。
構わない。わたくしがいま、頼りにできるのは、帝国とタルボ侯だけなのだ。完全に自立するまでは、存分に頼らせてもらおう。独立してからは、その恩の範囲で奉公するのもやぶさかではない。
問題があるとすれば、このようなわたくしにとって都合が良すぎる事態を、あの悪魔がどう思うか、だ。いや、大丈夫だろう。この矜持のままに生き、生き様であれを満足し続ければ、きっと文句はないはずだ。
……どこかの聖職者が言っていた『一度悪魔と取り引きした者の元には、二度と幸福は訪れない』という言葉を実感してしまう。きっと、わたくしは死ぬまで、この思考に捉われ続けるのだろう。
構わない。望むところだ。……とは、流石に思えなかった……。
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