第143話 台風一過・5

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 ネイデール帝国帝都は、戦勝の空気にお祭り騒ぎだった。

 連日、あちこちの酒場では帝国の勝利と竜公女の活躍が語られ、帝都は夜も煌々と明かりが灯されている、さながら眠らない街といった風情だ。人々は、これで塩の高騰を心配する必要がなくなると、胸を撫で下ろしているらしい。

 貴族たちも、南のトルバ海を通じた舶来品や、香辛料に思いを馳せ、顔を綻ばせている者は多い。戦勝を祝う宴やパレードに備えて、衣装を新調する者が溢れ、好景気にも湧いているとも聞き及んでいる。

 これまで、塩にかけていた分の財産を、やっとそれ以外にも回せるようになったのも大きいだろう。

 自分たちの現状を思えば、いい気なものだと皮肉の一つでも言ってやりたいが、そのような八つ当たりでなにかを得られるわけもない。どころか、我がそれをすれば、無駄に事を大きくするだけだ。

 そして、我が眼前の光景である。

 戦勝と好景気に湧く帝都とは打って変わって、宮廷内にそんな浮ついた空気は一切存在しない。窓のない、奥まった一室に集められた、帝国を差配する有力者とその使者たちは、一様に渋面を浮かべていた。

 彼らの内心を表すのは、一言だろう。


――どうしてこんな事になっている……?


「……ポールプル侯爵め……」


 せっかくの戦勝も、第二王国との関係悪化が頭痛の種となり、心の底から喜べない。その原因が、これまでもこちらを悩ませ続けてきたポールプル侯爵の血縁なのだから、恨み骨髄に入るのも無理はない。

 帝国という国は、その建国理由からして少し特殊である。パティパティア山脈北部、北大陸の西北部といった地域を割拠していた遊牧・高地民族らを、一纏めにする事を目的に、神聖教が主導となって建国されたのがネイデール帝国である。

 帝国の版図は、大まかに四つに分かれる。北のジュラー大公領、東のハップス大公領、西のアンリ大公領と、皇帝直轄の中央及びスパイス街道を有する南部の領邦である。この三大公は、元々いた諸部族の有力者であり、大公領というのはある意味帝国に冊封されている属領に近い。

 故に、基本的に皇帝に、直属以外の貴族の任命権や、賞罰を決する権限はない。今回の事態に際しても、ポールプル侯爵公子やその親である侯爵本人に対して、帝国中央が直接罰を与える事はできない。


「だが勿論、このままにはできんぞ?」


 一人の帯剣貴族が、険しい表情で告げると、一人の法衣貴族もそれに頷く。続々と、この会議室に集う面々も口を開き始めた。


「当然だ。場合によっては、ハップス大公にも責任を取ってもらわねばならぬ」

「でなくば、他の二大公とて納得はすまい。どころか、これを理由に陛下や帝国を軽んずるようになろう」

「左様! 元々、三大公とその配下は、帝室はともかく、帝国の意向を蔑ろにする事も多かったのだ。これを機に、統制を強めようぞ!」

「待て。一息にそれを押し進めれば、それこそ三大公が結託して、反帝国の機運が高まろう。此度はあくまでも、ハップス大公及びポールプル侯爵家への影響力増大というところが、現実的な落とし所であろう?」

「賛成する。元々、三大公も基本的には中央の意向を聞き入れている。軋轢となるやり方は好ましくない。特に、ジュラー大公とアンリ大公に関しては、今回は味方に付けるべきだ」

「ポールプル侯爵はその限りではあるまい! 貴殿は、ポールプル金貨の値を知らんのか? 金山があるからと、好き勝手に純度を定めおって。おかげで、帝室発行のネイデール金貨よりも、ポールプル金貨の方が価値が高いのだぞ!?」

「知っているからこそ、きちんとポールプル侯爵に責任を取らせる為にも、残りの二大公はこちらの味方に付けよと言っているのだ!」

「甘い! 中央に権限を収束させる為にも、此度の一件を利用し――」

「ふざけるな。そのような真似を、他の大公が許容するわけがない。どころか、三大公すべてを敵に回す行為だ! 中央集権どころか、帝国を分裂させるつもりか!?」


 議論が白熱し、語気も荒くなってきたところで、それを収める意味で、片手を挙げて制す。スッと、水を打ったように静まり返る会議室で、我は一人言葉を発す。


「皆の意向は理解した。活発な意見交換は、余も望むところではある。だが、いかに内々の会議とはいえ、流石に欲をかいた真似はできん。コジン卿の言う通り、帝国が分裂する懸念は看過できるものではない」


 我の意見に、一同が同意を示すようにこうべを垂れる。無論、過激な意見を出した者も、流石にそれがそのまま受け入れられるとは思っていまい。却下される事で、次善の案を呑ませやすくする為の布石であろう。


「此度の騒動に関しては、ハップス大公に沙汰を任せるものとするが、その沙汰如何によっては、帝国が直接ポールプル侯爵に罰を与える事もあると警告する。この辺りが、やはり落とし所ではないか? 忌憚のない意見を聞かせてくれ」


 我の問いに、大臣の一人であるジーマ男爵がおずおずと口を開く。


「畏れながら、いささか罰が甘すぎるかと存じます。此度の事は、場合によっては帝国と第二王国との、全面的な戦争に及ぶ惧れもございました。この危機は、交渉が行われている現段階においても、解消されてはおりませぬ。もし第二王国と争う事になった場合、矢面に立つのは、南部の帝国直轄領となります。ハップス大公もポールプル侯爵も、たいした痛手にもなりませぬ」

「うむ。もっともである」


 我の肯定に、ジーマ男爵は安堵に息を吐きつつ続けた。


「これをゆるす行為が、ハップス大公及び、ジュラー大公、アンリ大公の目にどう映るのか。むしろ、いっそう帝国を侮り、心が離れる事になるのではと、臣は憂慮いたすところにございます」

「ふむ。たしかに、そういった懸念はあろうな」


 我は頷きつつ、彼のその言を吟味する。

 たしかに元々帝国では、連合王国には北のジュラー大公領が、東の公国群にはハップス大公領が、西のパーリィ王国にはアンリ大公領が、そして南の第二王国には直轄領が当たるのが基本だった。各領の力を削ごうと思えば、一番手っ取り早いのは、対峙している国との騒乱を起こす事だ。

 この程度ならば許される、と思われては、ハップス大公だけでなく、残りの二大公とてこちらを侮りかねぬ。そして侮りを受ければ、最悪三大公の内のどこかは、我と国軍の力を削ぐ為に、第二王国との関係に火種を投じかねん。

 内憂外患。国は分裂し、他国との関係は悪化して、攻め入られる。もしそうなれば、帝国はたちまち第二王国領となろう。


「ではジーマ卿は、より厳しく、直接ポールプル侯爵を罰せよと申されるか? 大公の自治権に嘴をさしはさむ真似だが、それを呑ませよ、と?」


 帯剣貴族の問いに、ジーマ男爵は首を横に振る。


「自治権に手を出される前例を作るのは、他の大公も良い顔はしますまい。結局、三大公すべてを敵に回す悪手かと」

「たしかに……。ではどうせよと?」

「異例ではございますが、二大公をこちらに引き入れ、罰の度合いを宮廷と合議のうえ定め、それをハップス大公に呑ませるという形にするのが良いのではと愚考いたします。ハップス大公も、皇帝陛下と他の二大公をまとめて敵には回せませぬ。呑まざるを得ないかと」

「ふむ。しかし、それではポールプル侯爵に対する罰が、より厳しくなるのではないか?」


 二大公にとって、ハップス大公の配下であるポールプル侯爵の弱体化は、願ってもない事だろう。手を緩める理由はない。下手をすれば、ポールプルの金山を取り上げようとするかも知れん。

 帝室にとっても、なにかと煩わしい目の上のたんこぶではあるが、然りとてやり過ぎは困る。暴発などされては、面倒極まりない。


「それは、流石に問題があろう……?」


 案の定、大臣の一人が不安げに懸念を呈す。


「それでは最悪、ハップス大公領が単独で帝国から独立、などという事態にも及びかねぬ。下手をすれば、ハップス大公領が公国群の一部になり、帝国の敵となる惧れすらあり得る……」

「左様。そして、それはあくまでも、帝国の敵であって、二大公の敵ではない。ハップス大公とて、わざわざ二大公までも敵には回すまい。二大公にとって、そのような事態は害でもなんでもない」

「意気揚々と、二大公がポールプル侯爵に対して、厳罰を求めるであろうな。ハップス大公が、呑める限界を超えた罰をな」

「ハップス大公とて、配下に対する統制というものがありましょう。出来て、当主の交代、金に対する税率の変更、帝室に対する金の朝貢量を増やす、といったところではないですか……?」

「ううむ……。やや物足りんが、金貨に使える金の量が減れば、実質的に金貨の質を落とす事にもつながる。ひいては、金貨の値も変わり、帝室の威光を強められよう。たしかに、落とし所としてはそんなところか」

「それ以上の罰を求めれば、ハップス大公は帝国からの離反を考えましょう。金山を取りあげるなど、愚行も愚行。金山を持って運ぶ事は出来ぬのです。ポールプル領内の金山など、ハップス大公領が離反すれば、結局は彼らのものでしかありません。帝国は、なにも得るものなく、敵だけを増やす事になりましょう」


 そこでジーマ男爵が、己の考えを述べるように場を制した。


「であらばこそ、過激になった二大公を抑えるように、陛下にハップス大公への罰を和らげるよう、叡慮のお言葉をいただきたく存じます。ハップス大公も、陛下からのご温情にいたく感激し、ご沙汰に従うでしょう」

「なるほど」


 実際に恩を感じるかどうかはともかく、対外的にはそうせざるを得まい。これすらも突っぱねるようでは、いよいよ他の二大公がハップスを糾弾しよう。一度差し伸べた手を払った以上、こちらもそれを抑えられぬ。

 さらに、忘恩の輩という風聞は、ポールプル侯爵公子の振る舞いと合わさり、ハップス大公の名誉をおおいに毀損する。領袖の長としては、なによりも忌避したい事態である。

 ハップス大公の支配下においても、意見が割れるだろう。場合によっては、大公の配下が四分五裂しかねぬ。ハップス大公とて、それは望むまい。


「二大公に対する影響力を見せ付けつつ、ハップス大公に恩を売る事で、実際の統制を強める。ポールプル侯爵には掣肘を加え、金貨の値を抑え、帝室の威光を強める、か」

「御意にございます」


 我の問いに、ジーマ男爵は頭を下げて肯定の意思を示す。

 問題は、悪役にされる二大公であろうが、それとて、宮廷の独断で自治権に手を入れられるよりは、その結果は受け入れやすかろう。ハップス大公の風上に立てるという点でも、利は多かろう。

 そして、ハップス大公とその配下の敵愾心が向くのは、我ではなく他の二大公になるというのもいい。あまりやり過ぎれば内戦に及ぶ惧れもあるが、此度はハップス側に非があり、ある程度の罰は許容の内と理解していよう。

 無体な要求さえしなければ、こちらに矛が向く事は、まずあるまい。


「ふむ。大枠は、ジーマ大臣の意見を採用したいと思う。異論はあるか?」


 我の問いに、一同は首を垂れて「陛下の御意のままに」と答える。ハップス大公及び、ポールプル侯爵に対する宮廷の意向は、これで良い。


「では、次の議題だ。ハリュー姉弟に対する報酬と、詫びに関してである。彼の姉弟との決定的な対立を避ける為にも、活発な意見を望む」

「「「…………」」」


 話題は変わったというのに、室内は相変わらず重苦しい空気が漂う。このあと、旧共和圏の領邦とその地の有力者たちの処遇、竜公女に対する扱い等々、話し合わねばならぬ事は多いというのに。

 まったく、いつになれば我も勝利の美酒を口にできるのやら……。



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