第32話 奴隷の制度と市場の現在

 ●○●


 宿に戻って一連の報告を終えると、当然ながら一番動揺したのはゲラッシ伯爵家の面々だった。まぁ、中央の連中が、伯爵領内で裏組織を動かして蠢動するつもりだというのだから『はい、そうですか』とはいくまい。

 ただし、ゲラッシ伯やディラッソ君は、情報の信憑性にも疑念を持ったらしい。まぁ、胡乱者からの情報だからね。ただ、詳しく調べようにも、ここは王家直轄領のウェルタンで、伯爵領のように公権力を用いての調査は難しい。ここで横紙破りをすると、それこそ【新王国派】に口実を与えるだけだ。

 その辺りは、ウッドホルン男爵らが街の行政官らにそれとなく注意を促すくらいが、いまできる精一杯らしい。彼らは一応、中央貴族主流派閥の一員。直属でなくても、直轄領の代官の上司みたいなものだ。


「旦那。旦那宛の手紙が届いてやすぜ」


 お偉方が今後の対策を話し合っていると、【愛の妻プシュケ】のジョンが丸められ、紐と封蝋で綴じられた犢皮紙ヴェラムを持ってくる。ただの書付や連絡文ではなさそうだな……。

 お貴族様たちは会議に忙しいようなので、ここら辺で部屋を辞そう。僕とフェイヴが報告した直後に、侃々諤々喧々囂々の会議に入ったせいで退去のタイミングがなかったのだ。


「うん? ああ、ウワタンのガドヴァドからか」


 手紙の差し出し主は、ウワタンの町の口入屋だった。内容は、時候の挨拶と……ああ、そうか。そうだよな……。戦争が起きたんだ、当然そういう事もあるだろう。


「どうしたんすか? すごい嫌な内容だったんすか?」


 僕の表情に、なにか危機感を覚えたのかフェイヴが問うてくる。


「ん? いえ、ただの商売の相談ですかね。ウワタンの商人からですよ。ベルトルッチ平野の方から結構な数の奴隷が流れてきている、必要なら連絡が欲しいっていう内容です」


 ベルトルッチの旧ナベニ共和圏、現帝国領では、最前戦争があった。帝国は、極力現地徴発を禁じていたが、やはり小さな村規模の自治共同体コムーネでの略奪はあったようだ。まぁ、以後の統治に支障を来す惧れがあるから、攻めた自治共同体コムーネを大々的に略奪はできなかったのだろう。

 捕虜が奴隷の主体だったら、こんなに女性や子供、老人ばかりが奴隷になってはいないだろう。

 フェイヴが僕の手元を覗き込んでから、眉をしかめる。


「……なんすかこれ。若い男がまったくいないじゃなっすか。女子供と老人ばかりっす」

「まぁ、帝国も諸々の復興や生産力の低下も含め、マンパワーの流失は極力避けたいでしょうしね。男の奴隷は向こうでも需要が高いでしょうから」

「ほとんど在庫処分っすね……。女の奴隷だって、容姿の優れている者はほとんど抜かれたあとのはずっすし、売る気があるんすかね、コレ?」


 まぁ、この手紙から受ける印象は、フェイヴの言う通り在庫処分というものだ。

 奴隷に求められている役割は、基本的に労働力なのだ。現代人の感覚だと、一番の売れ筋は若い女性に思えるかも知れないが、実際のところは若い男が一番、二番手が多少歳をとったが、まだまだ働ける男である。女子供は人気が低く、特別な技能がない限りは、叩き売りされるのが実情だ。

 勿論、容姿のいい女性や、将来有望そうな少女も高値で売れるだろうが、そちらはまた別の販売ルートである。以前のベアトリーチェみたいにね。

 しかし、現在のアルタンの状況を知るガドヴァドはこれを好機と捉えたのだろう。その炯眼ははなかなかの精度だ。


「ジョンさん、使いの者はまだいますか?」

「宿は聞いてるぜ。ご同業だったからな」


 どうやら、冒険者を飛脚代わりに雇ったらしい。行商人についでに持たせるのでなく、手紙をやり取りする為だけに冒険者を雇うあたり、やはりあのトロール紛いの口入屋は抜け目がない。


「では、明日のできるだけ早い時間に呼んでください。在庫の奴隷はすべて買い取る。順次、アルタンに移送して欲しいと。手紙も書きますが、万が一紛失してもいいように、口頭でも伝えてください。僕がその冒険者と顔を合わせられるかはわかりませんから」


 アルタンは現在、空前絶後の人手不足なのだ。女子供にだって十分な仕事があるし、無理に重労働に従事させる必要もない。そろそろ、皮紙加工の技術も確立しておかないと、皮が余りすぎているんだよな……。一応、革職人には格安で売ってはいるが、それでも倉庫には未加工の皮が結構積み上がっている。餌用だった獲物の皮もあるからな……。

 僕の言葉に、ジョンさんがきょとんとした顔をしたあとに、心配そうに窺ってくる。


「いいけどよ……。本当に大丈夫か? 妙な正義感とか義侠心とかで引き取ろうってぇならやめとけよ? いくら旦那だって、この世のすべての奴隷を買える財なんてねぇだろうし、あったところで今度は管理ができねぇ。下手な事するとタカり屋連中に目を付けられんぜ? 役に立たねぇ老人奴隷まで抱え込んで、無駄飯食わせるだなんて弱味にしかならねぇよ。いざというときに売っ払えるわけでもねぇしな……」


 奴隷は財産だが、前述したように売れ筋以外の奴隷は不良在庫化する。当然、現金化にも時間がかかり、急場であれば二束三文にしかならない。いや、下手をすればそれですら売れず、ただただ奴隷たちの維持管理費だけが嵩んでいく惧れすらあるだろう。

 ちなみに、第二王国においては奴隷の所有者は、奴隷の健康管理が義務付けられており、もしも管理する奴隷から疫病や性病を町に広めた場合は、結構厳しい罰が科される。また、奴隷にかかる税は主人が支払い、奴隷の保有している借金状況なども、正直に行政府に報告し、年季の誤魔化しなどがあるとこれもまた罪になる。

 奴隷制度は、新興の他国ではもっと過酷だったりするのだが、実は第二王国の奴隷制は大帝国時代からの名残りで、割とちゃんとしている。解放奴隷が自由民になったあと、奴隷時代のノウハウを活かして成金になれる程度には、その権利は保障されている。

 これが元遊牧民が主体となる帝国とかだと、もっと厳しい制度を採っており、奴隷からの解放など夢のまた夢となる。

 ただその為、第二王国では奴隷のランニングコストが高くなりがちで、破産する奴隷商が結構いるのだ。以前、アルタンの町において、最大の奴隷商が潰れた際に、そこが保有していた奴隷を他の奴隷商らで分け合ったせいで、汲々としていたのはこれが理由である。

 ジョンさんは、僕も同じような事態に陥りかねないと、心配してくれているのだろう。彼らの場合は、最悪鉱山等に売り払う伝手もあっただろうが、残念ながら僕にはない。抱え落ちのリスクはかなり高いと見たのだろう。


「大丈夫ですよ。サイタン在住のジョンさんたちは知らないでしょうが、いまのアルタンは好景気かつ、人手不足ですからね。猫の手だろうと鼠の手だろうと借りたいくらいなんです」

「うーん……。だがよぉ……、いくらなんでも老人奴隷は要らねえだろ?」


 まぁ、やはりそこに引っ掛かりを覚えるのだろう。老人奴隷に関しては、それこそ資産価値はほぼ〇といっていい。実際、ガドヴァドからの手紙でも、ほとんど捨て値で売られている。値切れば、他の奴隷のおまけとして無料にされそうな勢いだ。

 やはり維持管理費を思えば、さっさと捌いてしまいたい在庫なのだろう。酷い話だ……。


「いえ、老人たちには老人たちの役割があるんですよ」

「例えば?」

「奴隷の子供たちの保護、管理、教導ですかね。ここに他の奴隷を使ってしまうと、それこそ労働力の無駄遣いですから。かといって、人手不足の現状で専属の人間に維持管理を任せるのは、現場の負担が大きくなりすぎます」


 よくある、鞭を振るって奴隷を働かせるような管理者は、ハッキリ言って非効率極まりない。そんな重労働を任せられる人間がいるなら、他の仕事はいくらでもあるのだ。

 現状では食肉、採卵以外は、一部の羽毛、羊毛加工にしか手を入れられていない。皮加工だって、一から自分たちで行えればいまより利益が大きくなるはずだし、骨や角を使った加工品を手掛けるという手もある。

 できれば、竜たちに乗れる人材も育てて、ゆくゆくは従業員だけで竜たちの餌を用意できるようにしたい。その為の斥候育成でもあったのだが、この辺りの成果が出るのはまだまだ先だろう。

 なので、奴隷の管理は奴隷の老人たちに任せるのである。きちんと衣食住を保証し、年季を明確に伝えていれば、反乱や脱走は最低限に抑えられるだろう。


「なるほど。いや、余計な口出しだったようだな。すまねぇ」

「いえいえ。僕らを心配しての事ですから、謝らないでくださいよ」

「へへ……。ほんじゃ、さっそく明日の朝にでも、連中を呼んで手紙と伝言を渡しとくぜ」

「はい。報酬はこのくらいでいいですかね」


 僕はそう言って、銀貨が七、八枚入った皮袋を手渡す。だがジョンさんは、そこから二枚抜き出して返してきた。


「手紙のやり取りだけで、こんな報酬貰えんなら、誰も依頼をこなさなくなるぜ?」


 そう言われてしまうと、なるほどと頷かざるを得ない。冒険者たちが高報酬の飛脚依頼を求めて、周辺地域の治安維持が疎かになっても困る。僕は、ジョンさんの忠告を素直に受け入れる事にした。

 差し戻された銀貨は、お駄賃としてジョンさんに手渡したが。まぁ、いまは専属だし、チップって事で。


「それじゃ、よろしくお願いしますね」

「おう。まぁ、これだけ出せば、連中もすっとんでシタタンまで戻るだろうぜ!」


 そう言って、離れていくジョンさん。お駄賃で酒場にでも繰り出すのだろう。どうでもいいけど、明日の朝酔い潰れて寝過ごす、なんて真似だけはやめてくれよ?


 うん……? いま、なにか引っかかったな? なんだ?



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