第16話 尾籠な話をちゃんとしなかったツケ
●○●
「正直、雄を見分ける嗅覚ってのを舐めてたね……」
「あんな好色兎に、見所などありません。二度とショーンに近付けるつもりはありません。あれは危険です」
「まぁ、危険って点では概ね同意だけどね……」
やはりというべきか、まだグラはカッカしているらしい……。感情論を排して話し合いたいのだが、仕方がない。少し、落ち着くのを待つか。
あれから、テーマがプライベートすぎる内容である点を踏まえて、ィエイト君とジューさんが会談の終了を提案し、僕らもそれを了承した。元々、こっちもそのつもりだったしね。
ジューさんは、今日中にアルタンを発つとの事で、しばらくは顔を合わせる機会はないだろう。短い邂逅だったが、それ程悪印象は抱かなかった。これは、【
サリーさんやセイブンさんくらいかな? いや、セイブンさんもギルドのゴタゴタで、そこそこ悪印象だったかな……? 当人の問題ではないものの、ギルドの体制の瑕疵が露になるのとファーストコンタクトが重なってしまった形だ。サリーさんのときは、一人称問題で大騒ぎにはなったが、こっちが気分を害すような事はなかった。
会談がお開きとなったのち、僕らは地下へと戻ってきた。とはいえ、僕はジーガとディエゴ君の代わりに働かなければならないので、いつまでも地下に籠れるわけではない。
「……ショーン、怒ってるのですか?」
沈思黙考していたら、不安そうな声音で窺ってくるグラの声に、そちらを向く。どうやら落ち着いたようだが、逆に僕の態度に不安を覚えたようだ。まだ【
「うん? いや、怒ってないよ? 少し、ティコティコさんの嗅覚について、対策を考えていただけ」
「対策ですか? それ程の重大事ですか?」
「うん。結構面倒事」
なにせ、異性が生殖可能か否かを、勘とはいえ見抜ける能力だ。これは、下手をすると僕らが人外だと知られる端緒となりかねない。
「いまのところ、依代に生殖能力はない。これはいいね?」
「はい。以前の『尾籠な話』で、棚上げしていた問題ですね」
「うん。そのツケが、早くも回ってきたって感じかな」
グラはあのとき、依代に自然に生殖能力が生まれた場合、一旦疑似ダンジョンコアを消してから再構築するという案を提示していた。僕も概ねそれで問題ないと思っていたが、残念ながらそのやり方は、ティコティコさんの登場でかなり困難になったといっていい。
「もしも、あの人の嗅覚で、僕の『生殖能力』の有無が見分けられるとすると、それがあったりなかったりする状況は、人間としてはおかしい。そして、依代に繁殖能力が生まれる可能性はそれなりに高いが、僕らにそれをコントロールする術はない。もしも初めから、もしくは後天的な影響で生殖能力がないという事にすると、以前話したように、家の財産を狙って厄介事が舞い込むようになる。また、その際にも生殖能力が生じた際に説明が面倒になる」
「ふむ……」
「そして、もっとヤバいのが、彼女の嗅覚がどこまで有効なのか、だ」
あの場では、あまり役に立たない特技の披露に加え、場違いな話を始めたティコティコさんに非難が集中したおかげで、話の内容そのものについては有耶無耶になった。
ただそのせいで、彼女の嗅覚が兎人族特有のものなのか、個人の技能なのかが明かされなかった。そしてその能力の正確性や詳細に関して、聞く機会をも逸してしまった。
特に、男女双方の嗅ぎ分けができるのかは、是非とも聞いておきたかった。雄を嗅ぎ分ける嗅覚と言っていたから、できないとは思うが、もしも可能なら結構ヤバい。グラの生殖能力に判別がつくようだと、いよいよもって正体を嗅ぎ付けられる可能性が、高まってしまう。
いや、会談が続いていたとして、怪しまれずにそんな話ができたかは、甚だ疑問だが……。
「一応、フェイヴとフォーンさんには依代の情報も伝えているから、いざとなったらそれで誤魔化せるけど……」
「あの二人、どうやら他のメンバーにも我々の依代については、情報共有していないようですからね。わざわざ、私たちからそれを開示するのは悪手でしょう」
「うん。まぁ、二人が黙ってくれているのは、僕らの最後の切り札だと思ってるからだろう。それを知った切っ掛けも、彼らは自分たちの落ち度と考えているだろうし」
人の口に戸は立てられない。だからこそ、あの師弟は自分たちの仲間にも、僕らの弱点となる情報を、不必要に共有してはいないのだろう。勿論それは、必要に迫られれば共有する、という事でもある。僕らの正体がバレた際には、すぐに【
まぁ、その場合、依代の情報どころでない情報が人間側に漏洩しているので、こちらとしても依代云々言っていられるような事態ではないだろうが。その状況下では、二度とハリュー姉弟というカバーを使う事はないので、依代の存在だけなら敵方に知れても構わないかな。
「フォーンさんもそうだけど、他人にわからないものがわかる人間ってのは、実に厄介だね……。僕の持ってる情報は、一般人基準のものでしかないっての……」
僕が拱手しつつ嘆けば、グラもまた面倒臭そうに嘆息する。
ティコティコさんの嗅覚は、彼女の性欲に由来するものであるが、それが正しい事は僕自身が知っている。しかも、その能力がティコティコさんだけのものとは限らない。ウサギの性質を知っていれば、他の兎人族に同じ事ができても、おかしくはない。
「少なくとも、これからはティコティコさん以外の兎人族にも、あまり近付かないようにしよう。ティコティコさんとも、できるだけ距離を取る。地上の人間と兎人族との関係的にも、ウサギと距離を取るのはおかしな行為ではないのが幸いだ」
「ですが、あの白痴兎は黒豚と同じく、あなたに執着していますよ? 場合によっては、黒豚と同じように付き纏われるのでは? いっそ、セイブンとやらに言って、黒豚ごと引き上げさせれば良いのでは?」
「うーん……」
たしかに、今回のように【
「メリットとデメリットなら、メリットの方が勝るくらいには、彼らは役に立つ。下手に遠ざけて、その動向が掴めなくなるより、身近にいてくれた方が助かるって理由もある」
「ふむ。まぁ、あなたがそう言うなら、私に否やはありませんが……」
言葉とは裏腹に、やや不満そうに頷くグラ。そんな、ある意味正直な姉に苦笑しつつ、僕は話を続けた。
「だからまず、以前話したようにギルドの老貴婦人に話を聞こう。そこで君は、生殖機能のある女性として、正しい立ち居振る舞いを学ぶ事になる。ただ、たぶん僕はその話し合いからは排除されるだろうから、聞き取りはグラだけで行う事になると思う」
まだ、マナー的に課題が残っているグラだが、あの人が相手ならそれ程目くじらを立てられる事はないだろう。問題は、人間にあるまじき迂闊な言動や質問をしないかだが、そこは僕らが山奥の庵で師匠に育てられた、常識知らずという点を強調して、納得してもらうしかない。
「なぜあなたが排されるのです?」
「僕が男だからだよ」
「? 良くわかりません。繁殖は、男女の共同作業で行うものなのでは? わざわざ情報を偏らせれば、齟齬が生じるリスクが高まるだけでしょう。なぜわざわざ、そのようなデメリットばかりで、メリットのない事をするのです?」
「いやまぁ、たしかにその通りではあるんだけどさ……」
お説はごもっとも。僕が地球にいた頃にも、男女の生理現象の違いから諍いが起こる事が、しばしば見受けられた。合理性だけでそれを考慮すれば、知識を偏在化させ、情報共有する機会をあえて放棄するのは、愚かでしかない。
が、普通は心情面で、年頃の異性の性にまつわるあれこれを、なんでもかんでも詳らかにするというのは、いろいろな意味で憚られるだろう。大人としても、子供としてもだ。
それでも、現代の義務教育において、保健体育等の授業でもって、比較的情報は共有されていたと見るべきだろう。だがまぁ、当然義務教育などないこの世界においては、月経を含めた女性の秘中の秘に、男がズケズケと入っていくのはとても忌避される行為だと思う。
「そこは、人間の習性だと思って咀嚼してもらわざるをえないかな。なにより、本当に繁殖するわけじゃない僕らにとって、情報の正誤はそこまで重要じゃない。そうだろう?」
「ふむ……。まぁたしかに。しかしそれならば、ショーンに教えてもらった事前知識だけで十分なのでは?」
「まぁ、僕だって一応は姉二人、妹一人の間に生まれた身だからね。おまけに、保健体育の成績が、特別悪かったわけではない」
むしろ、そこそこ良かったと自負している。まぁ、思春期の男子学生なんて、往々にしてそうだろうが。
「だけど、この世界、この時代に則した対処法が存在するだろうし、僕はそれを知らない」
現代基準の生理用品なんてないこの世界では、僕の知識などなんの役にも立たないだろう。なにより、僕自身には知識しかなく、そこに実体験が伴わないのだ。……いや、この場合実体験がある方がおかしいが……。
例えば、丁字帯は古くは紀元前からあり、日本でも飛鳥時代から存在する生理用品らしいが、僕はその使い方をまったく知らない。まだしも、地元のお祭りで着用した覚えのある、越中褌の方が馴染みがあるくらいだ。
「だから、僕に教わるよりもグラ自身が、同じ女性から聞き取らないといけない。僕がここで首を突っ込み過ぎると、別の意味で不審を招きかねない」
「わかりました。それ程高度な技術が用いられているわけもないでしょう。知識として得てくるのは、然程難事とは思えません」
「まぁね。それと並行して、依代の生殖能力をこちらで付与する研究を進めよう」
「やはり、それが必要ですか……」
「人間離れした生殖機能が現れたら、それこそ事だろう? 僕もグラも、第二次性徴が起きていない年齢としては、かなりギリギリだ。これ以上遅れると、人間としてはおかしい」
「それに加えて、あの破廉恥兎の存在ですか……」
そう。もしも僕の依代に生殖能力が顕現して、それが人間のそれとは大きく違う――例えば
ならば、最初から自分たちの手で、自分たちの依代に哺乳類としての生殖器官を取り付けた方がマシだ。たぶん、それ程難しくもないだろうし……。
はぁ……。以前の段階で、きちんと取り組んでいれば、こんな切羽詰まってから慌てる必要もなかったのだが、やはり尾籠な話だけに後回しにしちゃってたのは、失敗だったなぁ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます