第118話 袋のお嬢様と秘策と竜

「ナベニ軍本隊がウォロコより出陣! 侵攻軍との戦闘状態に突入しました! 司令部は、これは今次侵攻戦における、決戦であると判断を下され、これをエウドクシア様にお伝えせよとの事です!」


 伝令兵の報告に、わたくしよりもシモーネが大きく反応した。


「クソ、そういう事か!!」

「シモーネ、どういう事ですの?」

「眼前の軍の目的は、お嬢様を侵攻軍本隊から引き離し、時間稼ぎをする事。もしも侵攻軍が敗れれば、我々は後方を遮断され、袋のネズミと化します」

「なるほど……」


 現状をわかりやすく説明してくれたシモーネに、わたくしは納得して頷く。要は、当初懸念されていた通り、やはり叔父二人の動きは罠だったわけだ。わたくしをはめる為の罠ではなく、わたくしを侵攻軍から引き離す為の――侵攻軍そのものをはめる罠……。

 そう考えると、この平坦な戦場の意味もわかってくる。待ち伏せの利を捨ててでも、彼らは指揮官の腕で裏をかかれそうな状況を避けたのだ。平地での真っ向勝負で勝てるとは限らないが、時間稼ぎならできると踏んだのだろう。実際、決着までに何ヶ月もかかる戦など、珍しくもない。同数の兵力同士では、そうなる可能性は高いだろう。

 苦い口調と表情で、シモーネが続けた。


「本隊と合流すべきなのですが、ここで敵に背を見せれば……」

「我々が背後から攻撃を受けますわね……」


 要は、わたくしはまんまと誘き出されたという事だ。ここで二進も三進もいかぬ状況を作りあげ、その間に侵攻軍とナベニ軍での決戦に入る。これに持ち堪えられれば、侵攻軍はそこまで危機ではない。ベルトルッチ内にて、退路を確保している軍勢が、二万程度は残っている。その兵との合流が果たせれば、数の力でナベニ侵攻軍を押し返すのは無理ではない。

 問題は時間だ。侵攻軍約六万とナベニ軍約五万の兵力であれば、こちらが決着するまで決着がつかないという事は、往々にしてあり得る。だが、不安がないわけでもない……。

 侵攻軍にはいま、わたくしがいない点だ。自惚れでなく、兵らの心の支えとなっていたわたくしを欠いて、戦意を維持するのはそれなりに難事だろう。侵攻軍首脳部らも無能ではないので、対処はするだろう。それでも、不安定である点は変わらず、そこが侵攻軍の弱点となっている。

 そこを、あの老獪なピエトロがどう突くか……。実に不安である……。

 やはり、なんとかしてこの状況を片付けて、早急に侵攻軍へと合流しなければならない。わたくしと叔父らの、両エウドクシア軍の趨勢が、この戦況を左右する事になるとは……。


「シモーネ。早急に決戦し、叔父らを下し、侵攻軍本隊との合流を目指すという案はどうでしょう?」

「難しいかと……。向こうも、時間稼ぎが目的でしょう。なれば、手堅く守勢を堅持するでしょう。兵力が同数であり、相手の不意を突けるような地形もないとなると、短期での決着に漕ぎ付けるのは、かなり厳しいでしょう……」

「…………」


 それでも、いますぐにでも敵軍に襲い掛かり、あの叔父らを討ちたいという思いから、わたくしはシモーネの言葉に頷けずにいた。それを察したのか、シモーネは諭すように続ける。


「敵は、いつからかわからぬ前から、あの場に布陣しております。対して、こちらは行軍直後に、相手の陣に合わせて陣取りをしたばかり。たった一日半の行軍とはいえ、兵らの疲労は無視できません。マフリース連合軍がどうして敗れたのか、もうお忘れになったわけではないでしょう?」

「……そうですわね……」


 いまは、そのほとんどがエウドクシア軍に組み込まれたマフリース連合軍が、侵攻軍に対して時間稼ぎもままならず破れたのは、兵らの疲労を無視したからだ。マフリース連合には、味方のはずのナベニ軍から半ば以上見捨てられ、捨て石として削り殺されかねないという事情があった。それならば、侵攻軍が完全に防備を敷く前に、わずかな勝機にでも縋らざるを得なかったのだ。

 だが、その策が帝国軍に見破られてしまえば、ろくに戦いにもならず、あっさりと敗北してしまった。ここでそれを繰り返すわけにはいかない……。まして、あの叔父らの前で、虜囚の辱めを受けるくらいならば、死んだ方がマシだ……。


「わかりました……。短期決戦の案は諦めましょう……」


 残念だが、ここで無理に押し込む事はできない。わたくしには、それができるだけの兵力も知略もない。では、わたくしに残された選択肢は……?

 シモーネに訊ねれば、選択肢は二つだという。すなわち、この場は撤退し、侵攻軍本隊との合流を図るか、侵攻軍の勝利を信じ、このまま戦闘に入るか。いうまでもないが、一度戦闘に入れば、軽々にこの場を離れる事はできない。

 復讐を諦め、叔父らに背を見せるか。背後の戦いは、あくまでも帝国軍とナベニ軍の戦いだと割り切り、叔父らとの戦いを続けるか……。


「どちらの選択にも、覚悟が必要ですわね……」

「はい……」


 シモーネの言う通り、ここで背を見せれば、叔父らは大喜びで追撃を放つだろう。戦において、もっとも損害が生じるのは、撤退時の敵の追い打ちであるというのは、わたくしでも知っている話だ。当然、こちらにも相応の損害が生じるはずだ。

 この場での対決に拘泥するにしても、前述の通り不安がある。もしもナベニ軍が勝利すれば、前と後ろを挟まれ、それこそ衆寡敵せず降伏するしかない。そのときの叔父らの顔を思い浮かべるだけで、はらわたが煮えくり返りそうだ。

 シモーネの顔を見れば、変わらず苦いものがあった。やはり、どちらを選んでもリスクがあるのだ。敵の陣に不穏なものを感じた時点で、そこに思い至れなかった自分を悔いているのだろうが、流石にそれは仕方がない。なにより、そのタイミングで敵の狙いに気付いても、遅きに失していたのだ。

 もしもこの状況を回避するなら、叔父らの動きを端から無視するべきだった。だが、それが出来たかといえば、否だ。エウドクシアという、今回の戦における大義名分を無視する行為は、兵らの士気に直結する。ナベニとて、そこを放置はすまい。


「…………」


 さて、この状況……。あの悪魔なら、どう対処する……? わたくしは、頭の中にショーンを思い浮かべる。あの日、あの夜、両手を掲げて選択を迫ってきた、あの姿を……。

 その両手にあるのは、今回は『退く』か『留まる』か、だろうか……。

 ニヤニヤと意地の悪そうな、それでいて稚気の見える笑みでわたくしを見ている悪魔。どちらを選んでも、わたくしが七転八倒し、面白おかしく足掻くと思っているのだろう。

 さて、あの夜のわたくしは、どういう選択をしたのだったか……。

 たしか、こう答えたのだ――前者は『誇り以外のすべてを得られる人生』であり、後者は『誇りしか得られない人生』である――ならばわたくしの答えなど、問うまでもない――わたくしが、ベアトリーチェ・エウドクシアである限り、一切答えは変わらない、と……。


「ああ、そうでしたわ……」


 思わず呟いた声に、シモーネが顔を上げてわたくしを見る。そして、ぎょっと目を剥いた。この状況で笑っているわたくしに驚いたのか、はたまたこの笑顔が、あの悪魔とそっくりなものだったから驚いたのか……。

 そう。わたくしはいま、笑っている。あの夜、人の人生を両手に乗せて笑っていた、あの悪魔のように。


「シモーネ、兵を十分に休ませなさい。そして、明日の昼に撤退を開始します」

「はっ。殿はいかがしましょう……」


 シモーネの引き結ばれた口元が、わたくしの決断を問うてくる。犠牲を覚悟し、殿を見捨ててでも、復讐を捨ててでも、生き残る道を選んだ――と思っているのだろう。

――だが、違う。

 悪魔の両手に握られているのは、あのときと一向に変わらない。『誇り』か『それ以外』か、だ。


「殿は、わたくしを含めた騎馬隊が行います。できればそこで、叔父二人を討ち取りたいですわね……」


 わたくしは嗤う。あの日の、悪魔のようなショーンと、同じ笑みで。

 わたくしは、惨めに敵からすごすごと逃げる事も、他者にすべてを委ねて、不安を抱えながら無意味な戦闘に煩わされる事も、選ばない。侵攻軍の救援に向かいつつ、復讐も果たす。

 そう考えれば、先の二つの選択肢など話にならない。誇り以外のすべてをかなぐり捨てた人生で、なにを小賢しく守勢に回っているのか。既に得た立場、知己、栄誉に多少満足してしまっていたのが、この考えの原因か。意識を改めよう。

 さぁ、誇りある人生を、面白おかしく転げ回ろう。どうせこの舞台は、あの悪魔の手の平の上だ。できるだけ良い配役は、己の手で勝ち取る。惨めで無様は配役は、誰かに押し付けるに如くはない。

 丁度、眼前の陣に二人程、適材がいるではないか。


「お、お嬢様……?」


 震える声でわたくしを呼ぶシモーネに、満面の笑みで笑いかける。


「あなたは、ラプターという名前の由来をご存知?」



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