第119話 旗色と佳言

 ●○●


 帝国軍が四〇〇〇。対するこちらは、一四〇〇……。サイタンの郊外にて、僕らの眼前では、帝国の旗がはためき、こちらには第二王国とゲラッシ伯爵の旗が掲げられている。風を受けて勢い良く揺れる帝国国旗と、項垂れるように微動だにしないこちらの旗が、なんとも対蹠的だ。これが、俗にいう『旗色が悪い』というヤツか。まぁ、直後にこっちにも風が吹いたけどさ。

 ディラッソ君が想定していたよりも兵が減ってしまったのは、重臣にも今回の戦への参陣を断ってきた者がいた為だ。幸いだったのは、そこからドミノ倒しのように離脱する味方が増えなかった点だろう。


「すまない……」

「まぁまぁ。仕方がないでしょう」


 要は、新ゲラッシ伯爵家の地盤の弱さが、ここにきて足を引っ張ったわけだ。ディラッソ様が指揮官をウワタンに送ったというのも、サイタン、シタタン近郊の有力者からすれば、山向こうの伯爵領を軽視していると映りかねない真似だ。だからこそ、有利な帝国軍になびいてしまう者がいた点は、仕方のない事といえる。

 とはいえ、その家にはこの戦が終わったら、相応の罰を受けてもらう事にはなるだろう。取り潰して、ゲラッシ伯爵家の家臣に役割を挿げ替えられれば、この辺りの影響力強化にもつながるだろうし、一罰百戒にもなるだろう。

 新参者である新ゲラッシ伯爵家が、これまで地元の有力者たちに強く出られなかったというのは、ある意味で仕方のない事だ。だがしかし、だからといって緊急事態に際して、敵に寝返るような動きをするような輩にまで、気を配る必要まではない。それでは、参陣した味方に対しても失礼だろう。


「獅子身中の虫を懐に入れずにすんだと、喜びましょう。下手に味方に入れると、足を引っ張られそうで怖いですし、そういう輩に限って地縁とかがあって切除が難しかったりします」

「ハハ……、たしかにな……」


 気休めだと思ったのか、力なく笑いながら同意するディラッソ君。いや、割と本心なんだけどね。

 ぶっちゃけ、信用のならない味方程怖い敵はない。そんな輩に背を預けるくらいなら、兵力がいまの半分になっても構わないと思うくらいだ。


「兵力化可能な者の多くは、いまもサイタンの城塞内で待機してもらっています。ここで負けても、兵力を回復する事自体は、それ程難しくありません。士気に関してはどうしようもありませんが、すぐに立て直しが可能な点は、こちらにとって優位でもあります。籠城戦で時間を稼げば、すぐにとはいかないでしょうが、味方の来援は期待できますよ」

「そうだな」


 あくまでも、指揮官が何人も討ち取られるような、大敗をしなければという注釈は付くが。その点は、そこまで心配してはいない。


「ただ、帝国軍を放置すると、この辺りに多少の手勢を残して、パティパティアの峠道を押さえられる惧れがあります。あそこを確保されると、援軍も期待できなくなります……」

「そうだな……」


 あそこはまさにテルモピュライだ。少数の守備兵を置かれるだけで、第二王国はどれだけの兵力があっても、あの峠道の突破は著しく困難になる。テルモピュライにはあった迂回路も、天嶮のパティパティアでは期待できない。

 帝国軍は、あとは僕らをどう料理しようかと、舌なめずりでもしていればいい。


「兵糧攻めでもされようものなら、降伏以外の選択肢はなくなります」

「そうだな……。その際には、ぼ――私の命でもって、民らの助命を乞わねばなるまい」


 決意を秘めたディラッソ様の声音に、かなり気負いを感じて、僕は努めて軽い調子で言葉を紡ぐ。


「まぁ、そうならないよう、ポーラ様には万一この一戦に敗れる事があれば、無理にでもディラッソ様を連れて、峠を越えてくださいとお願いしてあります」

「そのような無責任な真似――」


 食って掛かろうとしたディラッソ君を、僕は片手で制して淡々と告げる。


「いえ。その場合、こちらとしてもディラッソ様がいない方が、投降しやすいんですよ。だから、さっさと逃げてください」

「……く……。そう言われてしまうと……」


 悔しそうに押し黙るディラッソ君。実際、ディラッソ君が帝国の手中に落ちると、興和の際に第二王国は、かなりの譲歩を強いられる。それは、ゲラッシ伯爵の第二王国内における、政治的な立場にもかなり悪影響を及ぼす。だからこそ、軽々に降伏などできはしない状況になってしまうわけだ。

 まぁ、帝国の目的が僕らに対する支払いの踏み倒しだった場合、僕ら姉弟の安全は、それでも保障されないんだけどね……。トホホ……。

 失った兵力を、すぐに補える点。帝国軍に峠を押さえられてはいけないという点。その二点が、僕らが寡兵であっても野戦を選択した理由だ。特に後者の理由は、かなりのっぴきならない。

 まぁ、流石に四〇〇〇の兵を割って別動隊を動かせる余裕は、向こうにもないだろうし杞憂のはずだ。もし万が一そうなったとしても、普通に残った奴らを蹴散らせばいい。兵力が互角に近ければ、野戦でもかなり勝率が高くなる。

 ただ、こちらに二〇〇〇、峠に二〇〇〇と分けられ、野戦でも決着がつかなかった場合は、かなりマズい状況だ。まずないとは思うが、絶対にあり得ないとまでは言い切れない可能性だ。

 帝国軍が一万といわず八〇〇〇もいたら、かなりヤバかったな……。いや、サイタンを押さえたという報が届けば、さらに三〇〇〇程度の援軍があったとしてもおかしくはない。そうなると……。


「まぁ、僕はこの野戦で終わらせるつもりなんで、それらすべてが杞憂になるとは思いますけどね」

「う、うむ……。私としても、そう望む……。だが本当に、これで決着するだろうか……?」


 ディラッソ君は重臣の離反からこっち、かなり自信なさげだ。聞けば、騎士として盗賊の討伐などは経験があったが、実際の戦は初めてなんだとか。まぁ、第二王国が公式に対外的な戦をしたのなんて、いまから二〇年くらい前の事だからな。

 ここは、彼の好きな話でもして、気を紛らわせよう。


「ディラッソ様、僕の知る戦術家の言葉に、こういうものがあります」

「ほう」

「『勇気とは、少しでも長く恐怖に耐える事である』だそうです」

「ほう。至言だな……」


 その言葉は、あまりディラッソ君の心の琴線には触れなかったらしい。仕方ないので、彼の好きそうなパットンの名言も教えようか。


「その人はこうも言っていたそうですね。『戦術など簡単なものだ。相手の鼻っ柱を摘まみあげたあと、股間を蹴りあげろ』」

「ハハハハ! なるほど、それはまた随分と端的に言い表したものだ! それは良いな! 僕の佳言としよう」


 ふぅ……。ようやく喜んでくれたらしい。ちなみに、僕がパットン将軍の語録で好きな言葉は、『計算されたリスクを冒せ。それは向こう見ずである事とは、まったく違うものだ』と『いいと思った計画をいますぐ実行する方が、来週完璧な計画を実行するよりもずっといい』だな。

 パットン将軍は名言を数多く残している人だ。母の歴女的な好みからは外れるが、僕は割と好きだ。たぶん、ディラッソ君も好きだろう。

 いや、もしかしたら母の好みの方が合うかも知れないか。最初に選んだ言葉も不評だったみたいだし……。


「まぁ、鼻を摘まみあげる事に関しては僕の十八番ですから、そこはお任せください。股間を蹴りあげる点は、軍である皆様にお任せしますよ」

「うむ。では、存分に連中のタマを潰してやろう!」


 元気になったディラッソ様と一緒になって、品のない冗談で爆笑する。戦場ってヤツは、どうしてこうも下品なジョークが似合うのか……。グラには聞かせられないなぁ。



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