第117話 優勢の不気味
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侵攻軍と別れて、わずか一日と半ば。急いだ事も功を奏したのか、思ったよりも早く敵軍の補足に成功した。
「流石に、追い付くのが早すぎます。やはり向こうも、我々が追撃する事は、想定の内だったようですね」
「では、やはりなんらかの罠が仕掛けられている可能性が高いですわね」
副官として侍っているシモーネ・ザナルデッリが、訝しげに口にする言葉に、わたくしも応答するように罠への警戒を告げる。それは、この軍を発した当初より、わたくしたちの頭に刻み込まれた警戒心だが、ここで明言しておく事で、より緊張感をもって事にあたれるだろう。
そう思ったのだが、シモーネは歯切れの悪い口調で応えた。
「その可能性は高いでしょうが……」
シモーネは頷きつつも、解せないとばかりに兜の口元を撫でる。きっと、その下の髭を撫でる癖だろうが、口元まで覆われたアーメットに阻まれて、バツが悪そうに手を下ろして敵を睨む。
「おかしいですね……。兵を伏せられる地形はありませんし、大規模な仕掛けをする時間もなかったはず……」
「敵の後方に、援軍が控えている可能性はありませんの?」
たとえば、彼らが目指していたテルルスに兵がおり、その兵と合流すれば、戦力の優位は向こうにある。
だが、そんなわたくしの懸念にも、シモーネは釈然としないような表情で首を横に振る。
「ウォロコに集められた兵は、ナベニの総力といってもいい軍勢です。いえ、総力以上の軍勢を、無理して集めたといっても過言ではないかと。ここでさらに、侵攻軍が把握していない軍が現れるというのは……」
「現実感のない想定ですわね……」
「ええ……」
たしかにその通りだ。我々は、元はナベニポリスの住人だったからこそ、現在のナベニ軍の規模が限界以上のものであると、実感として理解できる。現
ここでさらに、降って湧いたように兵が出てくるなど、早々あり得る話ではない。
「では、罠はないと?」
「わかりかねます。ないわけがないとは思うのですが……」
シモーネが苦虫を噛み潰したような表情で、敵軍を睨む。その背後では、こちらも敵軍に対抗すべく、陣を形成しつつあった。
「待ち伏せなのに、どうしてこんな、なにもない場所で? 少しでも自分たちに有利な地形を選択するのが定石だろうに……。これでは、単純な数と数での殴り合いにしかならない……」
シモーネの呟きを盗み聞きして、ようやく彼がなにに引っ掛かっているのかを察する。たしかに、敵軍が我らを待ち受けていたこの場所は、あまりにも平坦だ。
ベルトルッチ平野では珍しくない地形ではあるが、敵を待ち受けるならば、せめて小規模な森林地帯やなだらかな丘陵といった地形を利用して、こちらの動きを制限できる陣取りをするはず。だが、敵軍にはそういった策を用いている気配がない。
その事がむしろ、シモーネには不気味で警戒心を煽られるのだ。敵が、わざわざ鎧を脱いで相対していたら、たしかになにかがあると考えるのが普通だろう。
「叔父たちには、戦の知識はそれ程ありません。むしろ、そういった地形をこちらに利用されないよう、あえて拓けた場所を選んだのでは?」
「なるほど……? ですが、彼らに知識がなくとも、その麾下には軍人もおりましょう。その者らが、実質的な軍の指揮を担えば良いだけでは?」
「あの軍に、エウドクシア家に
「なるほど。たしかに……」
シモーネは得心いったとばかりに頷く。どうやら、この考えは素人の浅知恵ではなかったようだ。安堵の息を吐きつつ、わたくしも敵軍を睨み付けるながら考える。
そう。あの軍に、エウドクシア譜代の臣が従しているなら、こちらに連絡を取ろうとしないのは不自然なのだ。もしも、その者らが心底からあの叔父どもに臣従していたのだとしても、だとすればわたくしを騙す為に、偽りの裏切りを約してこちらを罠にはめようとしてくるはず。
だが、これまでそれらしい接触は皆無だ。
「思うに、あの軍の主体はお金で雇った傭兵なのではないかと。だから、細かな部隊指揮ならばともかく、軍全体の指揮を担える人材がいなかったのでは?」
「あり得ますね。ただ、そうなるとやはり、あの場所に陣取ったのは、フラットな地形での戦闘に持ち込んで、余計な戦術が介入するのを避けたと見るべきでしょうか……」
ハッキリと断言はできないが、そうではないかと思う……。それは、わたくしもまた、戦術に関しては素人であり、下手な作戦を立てたり、逆に相手の策にまんまと飛び込んで、軍を溶かす危険をなによりも恐れる思いがあるからだ。
叔父たちも、指揮官の腕で戦況が左右される戦場より、スタンダードな野戦が行える地形を選んだのではないか。ここでなら、
「ですが、そうなると一万対一万のぶつかり合いです。それでは勝敗はわからない。むしろ、お嬢様のいるこちらが、竜と士気の面で多少上。それでは、待ち伏せをしていた意味がない」
「なるほど。たしかに……」
結局は、そこに帰結する。あの叔父二人に、小細工を弄する知識がなかったところで、だったらここで決戦などせず、一目散にテルルスを目指していれば良かったのだ。少なくとも、勝敗の見えぬ戦場を用意するよりは、はるかにマシな選択だったはず。
待ち伏せをしていたはずの敵が、一才有利ではない戦場。シモーネが首を捻るのも、当然の状況だった。
「どう思います?」
「わかりかねます……」
わたくしの問いかけに、申し訳なさそうにシモーネが首を振る。敵の意図が読み取れない気持ちの悪さと、これからそんな敵と戦わねばならない不安が、わたくしたちの間に蟠っていた。
「十分に警戒し、斥候を放って罠の有無を確認しましょう。敵に、ショーン並みの幻術師がいて、罠や伏兵を偽装している可能性も含めて、一切手抜かりなく偵察を行うように、と」
「それしかありませんね。しばらく時間をいただきます」
「ええ。よろしく」
シモーネがペコリと頭を下げてから、斥候らに指示を出す為に離れていく。不穏な気配を感じてか、アルティがグルルと唸るのを、首を撫でて宥める。
なんとも、嫌な感じですわ……。
●○●
状況が動いたのは、こちらが陣を敷き、斥候を放って戦場の偵察を開始した頃合いだった。時刻は既に夕方に差し掛かっており、もう数時間で夕闇がこの平原を覆うだろうという頃合い。
その報せを持ってきたのは、戦場に放った斥候ではなく、後方からの伝令兵だった。
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