八章 針生 紹運

第-3話 夜の王都

〈0〉


「クソ! なんなんだコイツはッ!?」


 俺はやりづらさから吐き捨てるように独り言ちる。それに応えたのは、眼前の敵ではない。


「ハッ! ピーピー喚いてんじゃねえよ、洟っ垂れ! 死にたくなけりゃ、まず心を強く保ちな!! 相手は希代の――否ッ!!」


 声を発していた大柄の女――夜の王都の闇にあってなお、映える白い肌と髪、そして真っ赤な双眸。そんな彼女の元に、幾つもの影が迫る。まるで短槍のような、が彼女が身を翻したのちの地面に突き立った。


「【幻魚ゲンゲ】――【手蔓縺テヅルモヅル】」


 空中に逃れた彼女に向けて、無数の触手が迫る。僅かに焦りを覗かせたその顔に、すぐさま勝ち気な笑みを浮かべて彼女――ティコティコは言い放つ。


「相手は史上最の幻術師だッ!! 心が挫けた瞬間、テメェのちっぽけな命なんざ、塵芥みてぇに踏み潰されると覚悟しやが――」

「【オルキヌスオルカ】――【沖之神主レプンカムイ】」


 無数の触手に空中で対処していたティコティコを、その触手ごと大きな影が一呑みにする。勢いのまま、夜の闇の奥へと消える巨体。

 残されたのは、俺とその最恐の幻術師。手にした剣が、こんなに頼りなく思えたのは、駆け出しの頃以来だ。


「少年、いい事を教えてあげよう。幻術師を相手にする戦場フィールドを選ぶ際には、絶対に夜を選んではいけない」


 俺なんかよりもよっぽど幼い容姿のガキが、しかし一切の感情が窺えない、平板な口調でそう諭す。


「なぜなら夜は、人間が本能的に恐れてしまう時間帯だからだ。本能的というのはつまり、克服ができないという事を意味する。そして、恐れというものは幻術師にとっては、血道をあげて相手に与えておきたい状態異常デバフでもある」


 真っ黒な魚群を纏い、幻術師は滔々と語る。己の手の内を詳らかにするのは愚かな真似だ。だが、この場合どうなのだ……? それが威圧になるのなら、幻術師である彼のアドバンテージとなるのか?


「わざわざ夜に――それも、こんな朧月夜おぼろづきよに幻術師たる僕の前に立つというのは、両翼を捥いでから『どうぞ如何様にでも料理してください』とこうべを垂れる家禽も同然だ」


 幻術師はこちらに手を向け――次の瞬間、咄嗟に別の場所に振り下ろすのと同時に、その場を飛び退る。彼が消えたその場所に、全身を無数の黒魚に噛み付かれながら、ティコティコが降ってくる。


「ご高説どうも!! これぁ授業料だァ!!」


 ティコティコが手にした【巨人の剣サイフ】を、幻術師は杖を持つ右手とは逆の左手で、斧を構えて受け止める。だが、その動きはどう見ても拙い。

 直後、ティコティコの足元の影から、無数の針が伸びる。彼女は舌打ち混じりに距離を取るが、幾つかの針がその肌を傷付け、真っ赤な血飛沫が舞った。

――これのどこが幻術だ……?

 だが、ティコティコのおかげで、幻術師がこちらに割いていた意識が逸れる。俺を取り囲んでいた魚群の圧も弱まり、鋭い魚による射撃もない。――ここだ!


「【雷儿纏らいじんてん】!!」


 師匠から伝授されたオリジナル生命力の理。秘奥の術を用い、バチバチと電雷を纏って囲いを突破する。いかに最恐の幻術師といえども、術士は術士。俺とティコティコという、近接戦士二人を相手に接近戦では分が悪いはず!

 視界の端でチラリと俺を見たティコティコの口から、わずかに舌打ちが聞こえた気がした。


「【幻魚ゲンゲ】――【皮肉大口魚サーカスティックフリンジヘッド】」


 だが――幻術師は己ごと、俺もティコティコも一呑みにする。咄嗟に、躊躇と――恐れが、俺の体を縛る。敵の前で、あまりにも致命的なその隙を、幻術師は見逃さない。

 自ら、大口を開けた魚のつつ、彼は唱える。



「【オルキヌスオルカ】――【魚虎シャチホコ】」


 迫る虎頭の魚。だがそれはなんというか……――奇妙な質感の怪物だ。魚の体も虎の頭も、どころか纏うもやすら、どこか書き割りじみた薄っぺらさがある。それこそ、絵の中から引っ張り出してきました、とでも言わんばかりの姿だ。

 だが当然、ここで使われる以上、ただ無力な幻というわけもないだろう。食らい付かれたら、ひとたまりもないはずだ。

 その顎門が、動きを止めた俺に迫り、否応なく開かれる――


「邪魔だ!!」


 直後、横からの衝撃に吹き飛ばされて、俺は王都の広場に敷かれた、綺麗な石畳を恨む事になる。すぐに起き上がった俺の目に、なにがどうしたのか全身ずぶ濡れなうえ、肩口を大きく抉られたティコティコの姿があった。

 幻術師の方は、自分で生み出した凧のような口の魚を、その体内から真っ二つにしたところだった。


わえが待ちに待った、せっかくの逢瀬。無粋に横入りしてんじゃねえよ!! テメェはそこで指咥えて眺めてやがれ!!」


 言い捨てるティコティコ。だがしかし、明らかに俺たちは劣勢だ。それは、幻術師の言ったフィールド条件もさる事ながら、そもそもの勝利条件の違いが大きい。

 幻術師の目的は彼の背後で晒されている髭のオヤジ、あれを殺す事であり、俺たちの目的はその阻止である。ティコティコ自身は、その目的をどうでもいいと考えているのかも知れないが、その凶行を許せば俺たち【雷神の力帯メギンギョルド】の沽券に関わってくる。

 なにより、あんなもんでも一応だ。それが、王都の広場でたった一人の幻術師に処刑されるなど、国を揺るがす大事である。


「幻術師に敵対するときに注意するべき点は、自分がなにを『見せられているのか』を意識する事だ」


 またも、かなりの距離を取られてしまった幻術師は、両手を広げて滔々と語る。その語り口こそが、己が攻撃手段であるとばかりに。


「己が勝ち得た好機だと思うと、人は普段は慎重になる危地にも、驚く程不用意に飛び込んでしまう。それが、敵にお膳立てされた隘路なのではないかと、常に疑って行動すべきだ」

「ハッ! そんな心構えじゃ、絶好の機会をもフイにしちまうだろうが!」


 幻術師の言葉に、ティコティコは楽しそうに反論する。対する幻術師は、変わらず冷たい目でこちらを見据えて続けた。


「それはその通り。そして、疑心暗鬼もまた、僕ら幻術師の術中だ。疑い、恐れ、畏れ、戦慄して躊躇する。それらすべてが、こちらの掌中だとしたら、どうする?」

「ハハッ! 最っ高だなッ!! 幻術師としてのオマエの本領を、存分に発揮して吾を倒せ! 殺しても構わんッ!! いいオスに敗北し、地を舐め、殺されるのも、また一興!! 闘争とはかくあるべし、だ!」

「はぁ……。別に僕としては、あなたたちと戦いたくなんてないんですけどね。この慮外者の首を刈り取り、見せしめとして広場に晒せれば、それでいいんですよ」


 幻術師が振り返る先では、夜の闇を切り裂くようなギラギラとした明かりの中、力なく項垂れているオッサンの姿があった。周りの装飾だけで、彼の名誉など地の底だろうが、これ以上は洒落にならない。


「ハハハハハ!! オマエをそこまでブチギレさせたってだけで、吾はそのバカ王子の価値を見直したくらいだな! しかも、グラと関係ない点でって部分が大きい! オマエが、純粋にオマエの為に怒っているってだけで、吾はちょっと嬉しいぞ!! この戦いが終わったら、みっともねぇ生き恥晒さねぇよう、吾直々に素っ首叩き落としてやってもいいくらいだ!」

「だったらなんで、僕を止めようとしてるんですか……」


 大きくため息を吐く幻術師だが、図らずもその意見には全面的に賛成だ。この女は、俺たちがなんの為にここで戦っているのかすら、理解していないようだ。本当に、戦闘能力以外はなにも信用がおけない女だ。


「箸にも棒にもかからない、見るところなんざ一ミリだってないようなアホが、生涯唯一成した功績が、オマエを本気で怒らせたという一点だ。せめてその一つくらい、讃えてやらにゃぁ可哀想だろうがよ?」

「僕としては、まったく不本意ですがね」

「まぁ、そうだろうな! だが、吾は嬉しい! この一戦こそが、吾がなにより求めた機会なんだからな!」

「そうですか。じゃあティコティコさん、最後にもう一つ――いえ、二つだけアドバイスです」

「あん?」


 幻術師は指を一つ立ててから、訂正するように二本目も立てる。それから、初めて表情らしい表情を浮かべて口を開いた。それは、ティコティコに向けた柔らかい笑顔だった。


「幻術師に対して――好意を抱くのはやめましょう。それは結局、恐怖しているのとたいして変わらぬ精神状態デバフでしかない。あと、あまり長時間、幻術師と会話を交わさない事。次からは気を付けてください」

「は――うぐぅ……ッ!?」


 胸を押さえて疼くまるティコティコは、脂汗を浮かべて膝をつく。なにがどうしてそのような状態に至ったのか、まるでわからないが、あっという間に俺たち【雷神の力帯メギンギョルド】のスリートップの一人が封じられてしまった。


「まぁ、悪い気はしないけどね。しばらくそうしてて」


 そう言って幻術師は、こちらを見る。


「少年、いつまでに突っ立っているつもりだい?」


 言われて、つい周囲を窺う。だが、なにもない。すぐに視線を戻そうとして――


「【幻魚ゲンゲ】――【火魚カナガシラ】」


 耳に滑り込んできた幻術師の声。その言葉は既に、幾度か聞いたものだ。その効果も知っている。なのに、視線は自然と動く。

 夜の闇に、唐突に現れる火の明かり。咄嗟にそちらに向けた視線を、すぐに反対側にある己の影に戻す。

 だが、この闇の中は相手の舞台だ。振り向く俺の視界が、やけにゆっくり流れる中、俺の耳に絶望的な言葉が届き続ける。

 クソ! 『なにを見せられているか』か……。


「【オルキヌスオルカ】――【磯撫でイソナデ】」


――俺の影から、怪物が頭を出す。黒い頭に白い隈取りの、特徴的な頭。ゾロリと小さくも鋭い歯が生えそろった口。それがいま、俺に――


――ザンッ!


 視界の外から放たれたは、影を泳ぐ怪物を縫い止めるように貫通し、地面に突き立った。ただ、式神である怪物は、そのダメージで肉体を維持できなくなったようで、夜の闇に溶けて崩れていく。

 またも俺は、無意識にそちらに視線を向けてしまう。だが今回は、幻術師の掌のうえではない。幻術師もまた、忌々しそうにそちらを向いて、舌打ちを漏らしていたのだから。


「【雷を投げる者アステリオス】、か……」


 師匠の異名の一つを、忌々しそうにこぼす幻術師。その視線の先には、いらかの波に立ち、愛用のウォーハンマーを投擲した格好のままの師――ワンリー=トニト・フォン・シヴィレがいた。

 心強い味方の到着に、しかし常の安心感はなかなか胸に訪れてくれない。これもまた、眼前の幻術師の術中か……。


 まったく、どうして俺たちがあんなアホ王子の為に、こんな化け物と矛を交えないといけないんだッ!?



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