幕間 とある執事の受難・4

「疲れた……」


 ウル・ロッドの本拠をあとにして帰路に就く俺は、馬車の中でしみじみとそう呟いた。

 あれから、事業について規模や施設、そこに主人たちがマジックアイテムを提供する事等、様々な説明をしてから、晩餐を食って解散となった。ちなみに、手土産としてこの辺りでは珍しい鉱石と、魔導術に用いられる事の多い木材の目録を持たされた。現物はあとで運ぶという事なのだろうが、ウチの旦那がなにを求めているのかを調べているあたり、流石の情報収集能力だ。

 料理もまた、なるほどショーン・ハリューを想定したものというだけあって、実に豪勢なものだった。だが、美味だったかと聞かれれば、正直味なんかわからなかったというのが本音だ。


「いやはや、私の出番などほとんどありませんでしたな。お恥ずかしい」


 向かいのザカリーが、上品に微笑みながら言ってくれるが、晩餐の席ではこの人がいてくれて助かった。歓談しながら上品に食事をするなんて、俺には無理だ。こいつの真似をして、黙々とフォークを口に運ぶのが精一杯だったのだ。


「そらぁ、家令と執事の領分の違いってヤツだ。逆に、アンタが商売までこなすようになられたら、俺は完全にお払い箱だ。頼むから、門外漢でいてくれ」

「ハハハハハ。ご安心を。本日で痛感いたしました。私に、対外交渉は難しいようです。どうしても、お客様に対応するような心持ちになってしまいます。それでは、主人の利益を害する事にもなりかねません」

「まぁ、そうだな……」


 相手の事ばかりを考えていたら、まともに交渉なんてできない。ウルも、こちらの弱味に付け込んでくる気満々だった。それが悪いというわけではない。

 強かな交渉というのは、大切な客に対するようにではなく、敵に対するようにしなければならない。隙を見せたら、相手もそこに噛み付いてくるし、自分もそこに噛み付く。それくらいの気構えが必要なのだ。勿論、交渉が終わったあとは、友好的に笑顔を浮かべる必要もある。


「ま、ウル・ロッドも本気で旦那たちと再び事を構えるつもりはない、今回の事業にも乗り気だって伝えたら、旦那も喜ぶだろ。今日は、それが知れただけでも上々さ。……同じような事態は、勘弁して欲しいけどな……」

「たしかにそうですね。これ以上の不義理は、ハリュー家にとっても不利益でしょう。次は何としても、旦那様に足を運んでいただかねば……」

「ダンジョンの件が片付いたら、スケジュール調整は必要だな。場合によっちゃ、研究の手を止めてもらわにゃならん」


 俺とザカリーは、その難しさに疲れたため息を吐く。俺たちの主人は、必ずしも仕えづらい類の人間じゃない。だがそれでも、決して仕えやすいわけでもない。

 まず、研究が最優先なせいで、他所との関係が薄すぎるのが痛い。精々【雷神の力帯メギンギョルド】とウル・ロッドとのつながりくらいしかない。いざというとき、味方になってくれそうな他家があると、旦那も助かるのだが……。

 他にも、やる事成す事がいちいちぶっ飛んでて、それに付随する問題も多すぎる。その尻拭いに東奔西走させられる俺たちの身にもなって欲しい。

 そして、やたらに喧嘩っ早い性格や、敵を作る事に躊躇がないのも、勘弁して欲しい点だ。もしも、今日絡んできたヤツが、旦那にも同じ態度で接していたらと思うと、本気で背筋に冷たいものが走る。

 まして、そこにグラ様がいたら――……

 よそう……。わざわざ夜道を、怪談紛いの話を考えて進むなど、不穏に過ぎる……。


「それにしても、以前旦那様に、件の乗っ取り計画はジーガの発案だと窺いましたが、あなたもものすごい事を考えますね。私などには、話の半分も理解できませんでしたが……」


 同じ気持ちだったんだろう、ザカリーが話題を変えるようにそんな事を言い始めた。ただ、その認識は間違いだ。こんな俺が、今回の件の黒幕扱いは、非常に不本意である。


「いや、たしかに発端は俺の世間話だがよ、それをここまで大規模にしちまったのは、旦那だかんな? 俺はただ、いまならこの町でのカベラ商業ギルドの足場がガタガタだから、実際に逃げ出したら乗っ取れるんじゃねえかって話をしただけだ。そこで旦那が妙に乗り気になっちまって、具体的な方法をいくつか提案させられて、そのなかで一番現実味があり、かつ奴隷問題を解消できる案ってんで、養鶏って事になったらしい」

「ほぉ……」


 感心するようなザカリー。その顔はどこか嬉しそうだ。

 たぶん、主人が奴隷問題を解消する為に動いていた事が、単純に嬉しいのだろう。ウチの旦那は、悪名なら腐る程あるくせに、いい評判ってのがあまりないからな。


「まぁ、それが目的の一部であるのは事実だろうが、どちらかといえばアッセに対する反感が強かったような気がするんだがな」


 あの、あの増えすぎた奴隷問題に頭を悩ませているくせに、実際にはなにも行動できない、いい意味でも悪い意味でもいい人といった雰囲気の、ブルネン商会の会頭。彼に対する、旦那なりの対抗意識がこのこの事業を始めたきっかけだと、個人的には思っている。

 あの人と旦那は、ある意味では正反対だからなぁ……。


「まぁ、なんにせよ、ちったぁ評判になって欲しいもんだ。それでいくらかの厄介事が解消されんなら、俺たちとしても万々歳だ」

「そうですね。願わくば、住人たちからも、少しは親しまれる存在になれれば……」


 ハリュー家の執事と家令は同じ思いで、馬車の窓から空を見上げた。数日後に、その主人がダンジョンの主を単独で倒し、しかし崩落が原因で逆恨みされかねない状況になったという聞く事になるとは、この時の俺たちには知る由はなかったが……。


「おいおいおい……。ついに異名が【白昼夢の悪魔】だよ。小悪魔から進化しやがった……」

「まずいですね……。小悪魔くらいならば、冒険者の異名という事で許容範囲でしたが……」

「下手すると、教会に睨まれかねねえ。審問の恐れすらあるぞ?」

「残念な事に、我が主を悪しき輩と断罪する為の材料は、それなりに揃っておりますからな」

「なんだってあの人は、やる事成す事斜め上なんだよ!?」

「ジーガ、ウル・ロッドからの使いが面会を求めています。早々に、もう一度会談の場を設けたいとの事」

「あちらさんも、今回の事に焦ってんだろ。まさか、単独で中規模ダンジョンの主を討伐する程の実力があるだなんて、思ってなかったはずだからな。下手すりゃ、一気に上級冒険者にでもなりかねねえ」

「だというのに……」

「ああ、だってのに……」


 俺とザカリーはそろって肩を落とす。

 町にできたダンジョンの主を討伐する。それだけ聞けば、それは英雄的な所業だ。だが、ショーン・ハリューを讃える声は、町のどこからも聞こえてこない。

 あるのは畏怖か畏敬か、もしくは逆恨みじみた憎悪くらいのものだ。とてもではないが、英雄に向けるべき感情ではない。

 それには理由もある。


「まさかグラ様が……」

「ああ。まさかグラ様がな……」


 今回の一件で、評判を一番高めたのは、実はグラ様だった。ダンジョンの主が町の住人を捕食する為に用いた手管を、唯一防げたのが彼女だったのだ。また、冒険者たちを庇い、強敵を難なく屠る様は圧巻であり、それ以上に美しかったらしい。

 その姿を見た冒険者たちが発端となって、グラ様に対する噂が広まった。すると当然、町の住民たちもグラ様に好感を抱くようになる。

 必然、そういう目立つ冒険者には異名が付く。しかも、ショーン・ハリューの姉という事で、明らかにそれを意識した異名だ。

 その名も――【陽炎の天使】

 つまりは、功績はすべてグラ様に、悪評はすべて旦那が引き受けるような状況に陥ってしまったというわけだ。


「わ、悪い事では、ないのですよね……?」

「ま、まぁな……」


 ザカリーの頬も、俺と同じく引き吊っている。

 たしかに、ただただ悪名だけが轟くよりは、いまの状況はだいぶマシだろう。ハリュー家の評判は、プラスマイナスではプラスの方に動いている、はずだ。

 だが、あのグラ様が、天使……。いや、うん。外見は、天使、だよな……? あの近寄り難い雰囲気で、これからも周囲が委縮してくれれば、中身がバレる心配はそれ程しなくていいだろう。

 もしバレたら……。悪魔が二人か……。


 どうやら、俺たちの受難はまだまだ続きそうだ……。



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