第89話 名声と血の伯爵夫人

 なるほど。エウドクシア家はいま、あまりにも手勢が少ない。ならば、敵からの降り兵であろうと、この戦における存在感を示す為にも、戦力があるのとないのとでは段違いだ。

 勿論、寝首を掻かれる心配は尽きないが、そうなればそうなったで、帝国軍は彼らを皆殺しにしたあとで、ベアトリーチェの弔い合戦という名目で、一切手を緩めずに戦に臨める。同じような事態が起きても、それをまったく考慮する必要はなくなる。

 もしそれを、非道だ、残虐だと批難されても、一度は降伏を受け入れた自分たちの温情に対して、ベルトルッチ側が唾を吐いたのだと主張すればいい。それでは流石に、教会も仲裁はできまい。

 ベアトリーチェの安全を度外視すれば、なるほどなかなかに良案に思える。彼女がナベニ側に裏切る心配がないという点も、帝国にとっては安心材料だろう。


「しかし、良いのかね? エウドクシア殿の身の安全が保障できかねるのだが……」

「元より、危険は承知のうえでこの場に臨んでおります。エウドクシア家にとって、兵力を獲得するまたとないこのチャンスは、逃すには大きすぎる魚影でございましてよ?」

「なるほど、逃すには惜しい魚か……。我々にはあまり馴染みのない比喩だが、わかり易い」


 ああ、まぁ、帝国には海がないからね。とはいえ、川や湖はあるのだし、このくらいの例えは伝わるんじゃないの?


「元よりわたくしは、この戦で功績を立てなくてはなりません」

「それは、いましがた立てたばかりだろう?」

「それはショーンが立てたものです。勿論、帝国軍もショーンもそれを良しとしている以上、わたくし個人の我儘で、受け取らないという、帝国にもエウドクシアにも望ましからざる真似などいたしません。ですが、このままわたくしがただの傀儡として、あるいは神輿として、もしくはただただ他者からの施しを貪るだけの、さもしいだけの盆暗だと、帝国の重鎮の方々に思われていては、後々の為になりません。帝国にて、エウドクシアが確固たる貴族家として、信用と尊敬を得るには、自らも戦場に立って、それを勝ち取らねばならぬのです」


 ベアトリーチェの宣言に、将軍さんは満面の笑みで大きく頷いた。他にも、結構な数の人が、感心するように彼女の言葉を聞いていた。ベアトリーチェの意見にも、好意的な雰囲気になりつつある。


「うむ、その意気やよし。わかった。投降兵らは、エウドクシア殿にお任せしよう。彼らも、ベルトルッチ出身である貴殿の元であれば、帝国人の下につくよりも安心しよう。戦後の扱いを思えば、粉骨砕身働くかも知れぬ」


 まぁ、彼らの立場も彼らの立場で微妙だからな……。帝国軍に降った時点で、ナベニ軍からは裏切り者扱いだし、そのうえでさらに帝国軍を裏切って、ナベニについたとて、信用は地の底だろう。最悪、今度こそ服属を認められず、後腐れがないよう一気に踏み潰されかねない。

 現状における、彼らマフリース連合軍にとっての最良の未来は、できる限り戦に貢献したのちに、帝国軍が勝利し、論功行賞にて領地や己が身の安堵を勝ち取るというものだろう。それだって、なかなか至難の道ではあるだろうが……。

 なにはともあれ、これでベアトリーチェは自分の自由になる兵力を得たわけだ。これなら、僕が影武者役をやってまで、手柄を立ててあげる必要もなかったかとも思うが、結果論だしな。なにより、ここで兵を与える事が、先の功績に対する報酬の先払い的な側面もある。

 本来捕虜っていうのは、勝者が得た正当な財産だからな。その労働力は、戦であれ平時であれ、莫大な利益を生む。それを、面倒だからと一切合切ベアトリーチェに与えるというのは、帝国もなかなか太っ腹な事をする。

 まぁ、間違いなく厄介払いが、第一の目的だろうが……。


 ●○●


 それから八日。ベアトリーチェらは、降兵たちをきちんと戦力化する為に、あくせく働いている。僕は、一旦家に帰ったり、トンネルの状態を確認したりと、そっちには携わっていない。

 連合軍の各自治共同体コムーネは一も二もなく、ベアトリーチェに恭順を示した。彼らとしても、帝国が自分たちを疎んじているというのは、わかっていたのだろう。だからこそ、穏便に降伏ができるよう、デカントさんは責を一手に引き受ける形で玉砕し、また足止めをしないという実利を帝国に示す事で、温情を買おうとしたわけだ。

 ただ、そのマフリース軍が、身の振り方を決定できる将校が、先の戦闘で軒並み戦死していた為に、すぐには恭順できなかった。とはいえ、ここはマフリース領で、彼らには他に選択肢もない。すぐに、領主自らが趣き、ベアトリーチェに従うと頭を垂れた。

 これで、仮という形ではあるが、ベアトリーチェはナベニ共和圏北部地域の支配を確立させたわけだ。勿論、彼女の独力ではないのだから、戦後もそっくりとその領地が与えられるわけではないだろう。

 だが、公式には既に十分な手柄もあり、ここからの働き次第では、戦後の扱いはさらに手厚いものとなる。ナベニ周辺は帝国貴族、もしくは皇帝の直轄領となるだろうが、そこから離れている場所ならば、領地持ちの貴族として帝国に叙される可能性は十分にある。

 とはいえ、そこら辺は完全にスルーだ。僕が関わるべき事でもないし、聞くだに面倒なので、さっさととんずらするに限る。


「なんだか、兵士たちの間で、わたくしを竜甲女やドラキュリアなどと、呼びならわすのが流行っているようですわね」


 山道出口に築かれつつある防御拠点にて、優雅にヘレナの淹れたお茶を傾けつつ、その表情は完璧な笑顔なのに、言葉には棘をひそませて、ベアトリーチェが語りかけてきた。いやまぁ、彼女からすれば、分不相応な武名を得るのは、本意ではないのだろう。

……結婚的にも、結構な足枷になりそうだしね……。


「戦乙女や騎竜、それに胸甲鎧からきた異名だね。僕の悪魔よりも、よっぽどマシだし、名声はないよりもある方がいいんだから、甘んじて受け入れなよ」


 僕もカップを傾けつつ、そう嘯く。この部屋には、僕とベアトリーチェ、その侍女であるヘレナしかいないので、態度を取り繕う必要もない。

 ホント、この【悪魔】というあだ名のせいで、僕がどれだけ苦労させられたか……。先の【扇動者騒動】もそうだし、あの蛍光双子ツインテツインズだって、僕にそんな異名がなければ、蠅のように寄ってこなかったはずだ。


「戦乙女だなんて……。分不相応にも程があるでしょう? わたくしは、良く言っても、並の戦闘力しかありませんのに」

「いや、戦士としては普通に並以下だよ。筋力ないし、スタミナないし、瞬発力ないし、戦闘の経験も足りなければ、勘がいいという事もない」

「そのような状態で、分不相応な武名を轟かせている現状は、危険以外のなにものでもありませんわッ!!」


 少し語気を荒くして、こちらに抗議をしてくるベアトリーチェ。いやまぁ、その通りではあるんだけれどねぇ。貴族としては、実に贅沢な悩みだろう。その武名が欲しくて、命を懸けている人間が大半なのだから。

 見てみろ。あの……、金貨の――そう! ポールプル公子君なんて、帝国南方の貴族らから疎まれ、中央の貴族にも足並みを乱すと言われて、帝国領に留めおかれているんだぞ?

 あれが残っていたら、僕がベアトリーチェの影武者になって手柄を立てる案なんて、絶対に無理だったろう。すぐに、帝国軍の士気の事など考えず、情報漏洩させていたに違いない。


「とはいえ、噂に尾鰭背鰭どころか、手足も翼も生えている現状には、少し同情するけどね。まぁ、噂なんて往々にしてそんなものさ。放っておくのが、一番面倒がない……はずだ」


 噂を放っておいたせいで、教会とトラブっている僕が言っても、まったく説得力はないだろうけどね……。

 納得はしていないが、たしかに名声から得られる利はあるのだと、嘆息したのちにぶつけようのない不満を、お茶と一緒に飲み下すベアトリーチェ。一度割り切ってしまえば、エウドクシア家の為に利用できるものは、最大限活用しようという意識に切り替えたのだろう。

 彼女が、この世界のブラムストーカーの元ネタになるかどうかは、後世の作家次第だ。生きていたら、そのときに楽しもう。同じ時代を生きた者として、できるならドラキュラ伯爵を配役してあげたいが、どうなる事やら……。血の伯爵夫人バートリ・エルジェーベトのように語られたら、少しだけ可哀想だ。


 ああ、でもベアトリーチェには、ハマり役なんだよなぁ……。



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