episode Ⅵ 二心同体

 〈12〉


 ちっとも研究が手につかない。こんな事は生まれて初めてだ……。

 原因は明白。いまこのときも、ショーンが他所のダンジョンを探索している。それが心配で、居ても立っても居られないのだ。いや、それだけではないだろう。これ程長い間、ショーンと会話をしなかった事など、これまでなかったのではないか。

 私は、ダンジョンに一人でいるという事が、自分のダンジョンだというのに、不安なのだ。ダンジョンコアは、生まれてから死ぬまで、一人であるのが普通であるのに……。

 私は、どこかおかしいのだろうか……?


「ダメですね……」


 私はデスクチェアの背もたれに体を預けると、天井を仰ぐ。完全に集中力を欠いたいまの状態では、ろくな成果が見込めない。

 それにしても、手前みそながら、このデスクチェアはなかなかのできだ。動物性脂肪と外皮を何層にも重ね合わせたクッションは、実に柔らかくこの身を支えてくれる。

 以前の石製のものでも、ダンジョンコアは体を痛めるという事はないが、どちらがいいのかと問われれば、断然こちらだ。


 ショーンが、ダンジョンに向かう理由は、それなりの説得力があった。他のダンジョンとの争いに際し、彼我の戦力差は瞭然で、そのディスアドバンテージを覆せるだけの要素を、我々は擁していない。このままでは、勝敗は火を見るよりも明らかだ。

 その状況を覆そうと思えば、たしかに動かねばならないだろう。


 だが、それは本当に必要な行動なのか? きっと、私がこの件にそれ程積極的になれない理由を言語化すると、そういう文字列になるのだろう。


 勝てないダンジョン相手に、勝つ努力にそれ程意義を感じない。逃げられるなら、逃げてしまえばいい。わざわざ、ショーンを失う危険を冒してまで、現状にこだわる理由はない。

 幸い、依代からDPを得られる手段が見付かった。間にいくつもの工程を挟む為、それなりにロスはでるものの、比較的高効率なDPの補給が可能だ。依代が一つあれば、いまくらいのダンジョンの再建はそれ程難しくない。

 ダンジョンコア同士で争い合ってまで、この面倒な立地のダンジョンに拘泥する事に、意義が見出せないのだ。

 我々ダンジョンコアにとっての敵は、地上生命だ。ダンジョンコア同士で争うなど、無意味な共食いだ。バスガルとて、悪意をもってダンジョンの侵略という手段に及んだわけではない。生き残る為に、ひいては地上生命に追い詰められて、致し方なくとっていた策において、我らが意図せず蹉跌となってしまっただけなのだ。

 それを思えば、ダンジョンコアという種の存続を思って、此の地を譲るというのも十分に許容の範囲内だろうと思っていた。


 ただ、どういうわけか、ショーンはこの地を捨てるという行為には、かなり抵抗があるらしい。まぁ、たしかにこれまで消費したDPは惜しくはある。だがそれも、安全には変えられないと思う。ショーンも、同じように言っていた。

 だとすれば、どうして危険を冒してまで、バスガルと敵対するのか……。私にはそれが、わからない。


――ドクン――ッ!!


 ないはずの心臓が、強く拍動したような気がした。全身が熱くなるような感覚に襲われ、胸の中に、なにか熱く、それでいて優しいものが流れ込んでくる。この感覚には、覚えがある。

 ショーン……――

 弟が、私と一緒にいた頃の感覚だ。欠けていたなにかが満たされていく感覚に、思わず仰け反った。呼吸を必要としないこの体で、なぜか「かはっ」っと息が漏れる。強い強い衝撃に、しばらくの間身動きが取れない。

 かといって、痛いとか、苦しいわけではない。文字通りの意味での充足感だ。頭のてっぺんから指の先まで、私たちという存在が満ち満ちていく。

 これでこそ私は――私たちは、完全なのだと実感する。


 だが、すぐに思い至る。私の中に、唐突にショーンが戻ってきたという事は、依代が破壊されたという事だ。つまりショーンは、依代でなければ死ぬような状況に陥ったという事ではないか。

 なぜ、そのような事に――……

 憤りに似た思いが、ショーンへと向く。あれだけ、危険を避けて欲しいと言ったのに、ショーンも約束してくれたはずなのに。


「――……ああ、戻ってきたのか……」


 茫洋とした声音が、私の中で響く。呑気で、ほんの少し落胆しているような声音にも、腹が立つ。


「戻ってきたのか、ではありません! あなたの安全を最優先すると約束したではありませんか!? 依代が破壊された際に、あなたの精神がどうなるのかは未知数だったのですよ!? どうして依代が破壊されるような状況になったのです!?」

「……ああ……、……ちょっと待って。なんかまだ頭がぼぅっとしてて、あまり思考が巡ってない」


 そう言われて、私は口を噤む。たしかに気怠そうな声音であり、きっと壮絶な経験をしてきた直後なのだ。たしかに、少しくらい気を休める時間は必要だろう。

 それがわかっていてなお、決壊しそうになる私の口を縫い留めるのは、実に労力を要する作業だった。

 僅かであろうと、危険があれば逃走を選んで欲しかった。だからこそ、身の安全を最優先にすると約束してもらったのだ。だというのに、こうして戻ってきた。

 戻り方がわからなかったはずのショーンが、唐突に、意味もなく、それも敵情視察中に、自分の意思で戻ってきたとは思えない。


「ふぅ……。よし……っ! うん、大丈夫。気分が回復してきた。やっぱり、ダンジョンコアに戻ると、調子がいいみたいだ」


 呑気にそんな事を言うショーンに、私はいよいよお説教を再開しようとした。ただ、その言葉はショーンによって遮られた。


「そして、この厭戦気分……。これってさ、グラの思い?」


 ドキリと、胸が鳴った。



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