第41話 伯爵領ハザードマップ

「ふむ。それは……既にわかっていた事だろう?」

「ええ、そうですね」


 ディラッソ君の指摘に、僕は素直に頷く。

 そう。敵方が、旧王領奪還作戦の合間に西で騒動を起こし、中央で自由に動ける環境を作ろうとしているのは、既に自明だった。


「敵方が伯爵領で騒動を起こそうとしている、そしてその騒動の最終目標が第二王国そのものを揺るがすような事態であるのは、もはや自明」

「そうだな。ただしそれは、この町の胡乱者らの言葉が真実であれば、という前提に基づく話だ」

「ええ。ですが、端から虚報、誤報と切って捨てられる程、穏やかな状況でもありません。だからこそ、ゲラッシ伯を始め、ウッドホルン男爵やディラッソ様も対策を講じていたのでしょう?」

「うむ。まぁ、その通りだが、我らは未だにこれが、なんらかの陽動である可能性は捨てていないぞ?」


 馬車に揺られつつ、こちらに真剣な面差しで忠告してくるディラッソ君に、僕もまた同じくしかつめらしい顔で頷く。


「ええ。というより、ほぼ間違いなく陽動であると判断し、だからこそ押っ取り刀で戻ってきました」

「ふむ……。うん、続けてくれ」

「はい。まずは、ちょっとこれをご覧いただけますか?」


 そう言って僕は、腰からB5サイズくらいの箱を取り出す。中からカラカラとチャプチャプという、二種類の音が聞こえる。乾いた音はペンの音、そして水音はインクである。

 濃灰色の半透明の箱は、以前チッチさんも使っていた、鼈甲べっこう製の携帯用のインク壺である。職人が丹精込めて作る一点ものであり、ほぼ装飾のないこのサイズで、金貨が数枚必要になる代物だ。

 それに加えて、お手製の巻紙から適当な長さを引き出し、ナイフで裁断する。膝の上に乗せられたその紙に、僕は一本の線を引くと、所々に点を打つ。それから、下向きにちょいとY字になる線を引き、その先にも一つ点を打つ。


「まず、伯爵領で騒動を起こそうとするなら、ディラッソ様はどこを狙います?」

「ふむ……。なるほど、この線における上の二点はサイタン、シタタンだな。そして下の二点は……、アルタンとウェルタンか? ウェルタンは伯爵領ではないが……」

「騒動が起きれば、影響があるのは同じです」

「まぁ、そうだな……。そして、この少し外れたところにあるのがウワタンか。まず、僕ならここは除外する」


 ディラッソ君が、長い一本線から外れた場所の点を人差し指で突く。その隣で、ポーラさんがまじまじと、その点を見詰めながら問う。


「兄上、ウワタンが真っ先に弾かれる理由はなんだ?」

「伯爵領という土地は、スパイス街道の上に横たわる領地だ。その大半が山林地帯で、あまり農耕に適さん。必然、収益の大半は街道を使う商人たちの落とす税や、宿などの宿泊費用になる」

「そうだな。そしてなるほど、ウワタンはスパイス街道の物流にほぼ寄与していない。騒動を起こしても、影響は限定的になるわけか」

「そうだ」


 ディラッソ君がポーラさんに頷いてからこちらを見る。僕もまたそんなディラッソ君に頷いてから、同じように紙面に指を這わせる。


「帝国が、旧ナベニ圏を支配下においた以上、いずれはこちらの街道からの収益も、以前のものに戻る可能性はあります。ですが、それは最短でも一、二年後の事。いますぐウワタンで騒動を起こしたところで、あまり大勢に影響はありません」


 ウワタンの点においていた指を、スッと移動させてアルタンの点におく。


「では、アルタンで騒動が起きた場合はどうでしょう?」

「どうでしょうもなにも、記憶に新しい話ではないか。バスガルのダンジョンの侵出、そして先の【扇動者騒動】……。去年の伯爵領は、この二つの事件だけでキリキリ舞いだった……」


 大きく嘆息しつつディラッソ君が、僕にジト目を向ける。さらには、妹のポーラさんが阿吽の呼吸で引き継ぐ。


「当事者であるショーン殿が、知らぬわけがないだろう?」


 苦笑して言う彼女に、僕もまた微苦笑で応じる。


「ええ。パティパティアの峠を挟む、アルタン、シタタンの町で事を起こせば、伯爵領全体に波及するような騒ぎにできます。ですが、それもこちらの不意を突けばという注釈がつくでしょう」

「たしかに……――ああ、なるほどそれがか!」


 目を大きく見開き、ディラッソ君が紙の上部に指を指す。しかし、そこには未だ、なにも描かれていない。あえて書かなかった白紙部分を指す辺り、ディラッソ君も僕と同じ結論に達したようだ。

 僕はまっすぐディラッソ君の目を見詰めて頷き、ディラッソ君もまた我が意を得たりとばかりに満面の笑みで頷く。しかし、未だ事態の呑み込めていないポーラさんが、困ったように問うてくる。


「むぅ……。二人でわかり合っているところ悪いのだが、私にはサッパリわからん。できれば、子供に文字を教えるように、丁寧に一から順に説いてくれ」


 僕は再び苦笑すると、インク壺にペン先を浸し、アルタンとシタタンの点の間に大きく蛇行しつつ『J』のような線を引く。あるいは左右反転の『し』か。これがパティパティア山脈である事は、伯爵領に住む人間であれば一目瞭然だろう。


「伯爵領を大きく分かつ要素に、パティパティア山脈がある事は自明でしょう」

「そうだな。それのせいで、先の戦の折には我々は山向こうに孤立する形となった。交通が制限されるせいで、迅速な部隊移動ができないからな」

「はい。しかし、制限されるのは軍の移動だけではありません。人、物、そして情報も、ここを境にその動きが鈍化します」

「まぁ、そうだな……。ふむ……。兄上は先程、アルタンは陽動と言ったな。つまり、山向こうにあるサイタン、シタタンで騒動を起こすという事か?」


 首を傾げて問うてくるポーラさん。残念。それでは、六〇点くらいしか点をあげられない答えだ。


「シタタンで騒動を起こすのは、東西で情報が遮断されている状況を利用するには弱いでしょう。すぐに山のこちら側に伝わります。どうせ分断されているなら、敵方ももっと西で騒乱を起こしたいでしょう?」

「なるほど! ではサイタンか!」


 ポンと手を打ちつつ、線の最上部に打たれた点を指差すポーラさんだが、その隣でディラッソ君がしたり顔で首を振る。


「いや、サイタンは我ら伯爵家が住まう都。街中は常に警邏の衛兵が闊歩し、壁外に対しても昼夜を問わず目を光らせている。これをくぐり抜けて、大きな騒動を起こすのは難事を極める。そも、国境を睨む我ら伯爵領は、常に臨戦態勢も同然。慢心しているならまだしも、この警戒網の間隙を突くのはなかなか難しかろう」

「たしかに……。え? だったら、ここウェルタンか?」


 そう言って、今度は線の一番下部の点、港湾都市ウェルタンを指差すポーラさん。元は旧ゲラッシ伯爵領における、伯爵家の本拠地だった都市だ。スパイス街道の発端でもあり、当然この町で騒動を起こせば、影響は伯爵領全体に波及する。

 ただし――……


「起こす騒動の種類にもよりますが、ウェルタンから伯爵領全体に影響を及ぼすには、それなりの時間がかかります。なにより、いまここは王家直轄領。この都市で大規模な騒動を起こせば、必然的に中央の知るところとなり、事態の収拾が難しくなります。下手をすれば、騒乱罪でのお家取り潰しまであるでしょう。お貴族様が、そこまで覚悟して動けるでしょうか?」

「まぁ、そうだな……。既にギリギリのような気もするが……」


 まぁ、裏社会の暗殺者集団がアルタンに向かい、既に一悶着起こしたあとだ。とはいえ、それが起こったのはあくまでも伯爵領であり、事態の収拾に動くべきなのもゲラッシ伯爵である。騒動の責任を、ゲラッシ伯爵家だけに被せる論は、かなり強引ではあるが無理筋とまではいえない。

 無論、伯爵家が中央の派閥に属している以上は、この事態を大きな問題として取りあげるのは、可能か不可能でいえば可能だ。ただしその場合も、状況証拠しかない現状では、【新王国派】の面々やバカ王子を糾弾するまでには至らないだろう。

 ただ、実際にウェルタンで騒動が起こったとなれば、それは第二王国王家そのものに対する挑戦である。当然、王家や中央の官僚貴族、そして誰よりウェルタンを任されている代官たちが、本気で事にあたるだろう。それこそ、少しでも怪しい者は片っ端からしょっ引かれ、捕らえられた者は拷問紛いの尋問を受ける事になる。

 そうなれば、まず間違いなくなんらかの尻尾は掴まれるだろう。相手が王国内における影響力が大きい相手だったら、そこからものらりくらりと誤魔化すのは不可能ではないだろう。

 だが、斜陽の【新王国派】にそれは不可能だ。韜晦するには、その母体はあまりにも弱すぎる。件のバカ王子がいようとも、だ。


「では、ウェルタンも敵の狙いではないと?」

「さて……。正直そこは、断言しかねるところですね。覚悟さえあれば、ここで騒動を起こすという事態もあり得るでしょう。問題は、今現在この町には僕、ディラッソ様、ポーラさん、そしてウーズ士爵までいる点です。ウーズ士爵が、お噂通りの実力者であるなら、ここで問題を起こすのは避けるのでは?」

「なるほど……。たしかにな……」


 腕を組んで感心したように紙面を睨み付けるポーラさんだが、すぐにすべての点を網羅してしまったのに気付き、僕を睨んでくる。


「おい、ショーン殿。これは、少々意地悪な問題ではないか?」

「まぁ、そう言われても仕方ないですかね……。ただ、伯爵家側でも『伯爵領はスパイス街道上にあるもの』という意識が抜けきらなかったのでは?」

「……そうだな……。これまでずっとそうだったのだ。その意識が根付いていたのは、認めざるを得ん……」


 苦虫を噛み潰したような顔でポーラさんが、先程ディラッソ君が指差した辺りの空白を睨む。僕はそこに、スパイス街道の一本線から外れる横棒を一本引き、その先で点を打つ。

 大きな点を一つ。その周りを囲むように、小さな三つの点。


「先の戦において、帝国から割譲された一つの都市と三つの町。パティパティアの向こうにあり、また伯爵家の支配が根付いておらず、統治は手探りなこの時期……。おまけに、スタァプ家、デトロ家、カシーラ家という、伯爵家の主要な家臣でありながら、その関係性に大いに変動が生じているこの時期……。ついでに、現ゲラッシ伯、次期ゲラッシ伯が山向こう、もしかすれば既に王都に入っているようなこの時期……――僕なら、事を起こすならここを選びますね」



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