第40話 逮捕

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 ウカに、グラへの伝言を任せた僕は、ウワタン屋敷の防衛を【愛の妻プシュケ】の二人に任せ、その足で駆け出した。時間は既に夜だったが、ここで下手に時間を食うわけにはいかなかった。

 いつかのポーラさんの真似をして、海上を一直線に移動する。まぁ、流石に生命力の理で海面を走って移動するのは憚られる為、基本的には水の尾で水上スキーのように移動している。

 いつかの海賊相手にやってたのと同じだ。ああ、そうだ。そういえばウチ、船持ってたっけ。ウェルタンからウワタンの移動には使えなかっただろうが、ウワタンからウェルタンへの移動には使えたかも知れない。すっかり忘れてたから、いま港に停泊していたかどうか、確認すらしてなかったが。

 どの道、この状況では船ですら足が遅すぎる為、とれる選択肢はこの一択だっただろうが。

 ちなみに、ポーラさんのように生命力の理を用いて、海上を走るという選択肢は、端からない。いかに【竜卵EE】であっても、あんなのはやりたくない。別に、ポーラさんの生命力が人間離れしているってわけでもないのだが、生命力の理の効果には、個人差があるからなぁ。

 走るのに最適なフォームというものが考案されて、効率的なトレーニングの仕方が確立されているのに、成績には明確な差が出て、インターハイに出られる人と、地区大会予選落ちの人が出るのと同じだ。

 いや、高校生で例えると、単に練習時間や鍛錬効率の話になるか。この場合、スケールを大人にして、プロのトレーナーの元で練習した人が、オリンピックに出られるか否かで考えた方がわかりやすい。

 要は、生命力の理は効率的な運用ができる人と、できない人がいる。僕は割とできない人で、グラはできる人。中には、オリンピック級の人がいて、それがポーラさんやセイブンさんだと考えてくれればいい。

 セイブンさんが短距離走者スプリンターで、ポーラさんが長距離走者ステイヤーという違いはあるが、どちらも並の人類からは一頭地を抜く存在――英雄である。中規模以上のダンジョン攻略には、こういう英雄が最低一人は必須となる。いないと、ダンジョンコアが倒せないのだ。


「――……見えた……」


 暗い夜の海の上を走るというのは、非常に恐ろしいものだ。前世の死因が海の事故である僕としては、その恐怖は一入である。

 取り止めもない事を考えて気を紛らわせていたのも、足元に開きっぱなしの地獄の顎門あぎとから意識を逸らす意味合いが強い。

 ともあれ、幸いな事に視線の先にはウェルタンの灯台の明かりがある。時刻は、日本でいうなら既に午後十時から十一時といった頃合い。一般人は寝静まっているはずの時間帯なのだが、ウェルタンの港にはあちこちに明かりが灯されている。

 夜に航行する商船は多くはないが、逆に軍船や海賊などは夜闇に乗じて襲ってくる事がままある。人々が寝静まっているからといって、海の男たちは同じように無防備に、寝こけるわけにはいかないのである。小さな漁村なんかでも、松明を使った歩哨を立てるようだ。

 まぁ、あの港湾都市の明かりの元で起きているのは、衛兵や港で働くおかの人間だろうが。


「ふうっ!」


 そうして僕は、港の桟橋に降り立つ。ようやく、足元から地獄がなくなった事に、安堵の息を吐いた。そして当然――


「動くなっ!!」

「武器を捨てろ!!」


――こんな上陸の仕方をすれば、警備をしている港の衛兵たちが集まってくるわけで……。

 鋭い槍の穂先を向けて、敵意も露に武装解除を命じてくる港の兵士たち。あまり海賊被害がないトルバ海だというのに、しっかりと対策できていて偉いものだ。

 僕は両手を挙げて無抵抗を示しつつ、第一声を発する。


「この街に滞在している、ゲラッシ伯爵を呼べ。急報である!」


 ●○●


「……いくらなんでも、やる事が派手すぎないか?」


 僕の身柄を引き取りにきたのは、ディラッソ君とポーラさんだった。この二人が寄越されている以上、たぶんゲラッシ伯も叩き起こされた事だろう。申し訳ないが、仕方がないと諦めてもらおう。


「シタタンからウェルタンまで、海路を走って渡るとは……。いつだか、海上を走って渡った妹に苦言を呈したのは、はて、誰だったか……?」


 珍しく当て擦りを言うディラッソ君に、僕は涼しい顔で肩をすくめる。


「距離が違いますから」

「そういう問題ではない」

「生命力の理ではなく、魔力の理を用いましたし」

「そういう問題でもない……」


 ディラッソ君が、疲れたからもういいと言わんばかりに肩を落として、盛大なため息を吐く。それから隣の妹を見てから、再度僕を見て「案外似合いの二人だったかも知れないな……」とこぼす。

 いや流石に、生命力の理で海上を、それもマラソンの距離を走って渡ろうとする人と一緒にされても困る。それこそ、オリンピック出場選手とインターハイ出場選手を比べるようなものだ。


「それで? 急報とは?」


 だが、弁明の言葉を述べる前に、ディラッソ君は真剣な表情になって問いかけてきた。仕方がないので、僕も神妙な面持ちで答える。ただし、その内容は曖昧なものにならざるを得ない。


「この場ではちょっと……」


 場所は未だ港湾施設の一室である。伯爵家の関係者という事で、いきなり牢に入れられるという事はなかったが、それでも監視に四人も人がついており、武装も全部取り上げられている。まぁ、当然だろう。

 ここで僕がただの暗殺者で、ディラッソ君やポーラさんを害されたりしたら、港湾職員は全員首を切られる。馘首クビという意味ではなく、斬首という意味でだ。

 僕の名前や容姿、取り上げた装備なんかを確かめたからこそ、ディラッソ君自らがこうして迎えにきてくれたのだろうが、確認がとれなければ手続きはもっと面倒な事になっていただろう。たぶん、ポーラさんがついて来たのも、ディラッソ君の護衛の意味合いが強い。

 ただ、そういう意味では、ゲラッシ伯本人がこなかった点は、ちょっと引っかかる。言っちゃ悪いが、伯爵領における重要度では、既にゲラッシ伯本人よりもディラッソ君の方が上だ。ここで、危険に晒すなら跡取りではなく、伯本人だろうに。


「……。わかった――」


 僕の様子から、事の重要性を察してくれたらしいディラッソ君が、ポーラさんに目配せをする。すぐにポーラさんが僕が伯爵家家中の者の配下であると明言し、いくつかの書類に署名をしていく。

 また、僕の武装一式もガチャガチャと運び込まれてきた。

 僕はそれを装備し直しつつ、大きくため息を吐く。このあと、宿に戻ったらまた、武装解除しなければならない。着けたり外したり、その手間を思えば非常に面倒なのだが、この街には荷物を持ってくれる使用人はいないので仕方がない。

 やがて、すべての武装を整えた僕は、ディラッソ君に頷いてみせる。彼は頷き返すとすぐさま振り返り、無言で歩き始めた。僕とポーラさんはその後をスタスタとついていく。

 港湾施設を出たところに待機していた馬車に乗り込んだ直後、矢も盾もたまらずとばかりに、腰を落ち着ける前にも関わらずディラッソ君が訊ねてきた。


「それで? なにがあった?」

「敵の狙いはゲラッシ伯爵領――いえ、第二王国西部の騒乱です」


 僕は諸々の過程を省いて、まずは結論から告げた。



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