第40話 蛙鮟鱇

 〈5〉


 翌日、僕、グラ、ラベージさん、シッケスさん、チッチさん、ラダさんの六人は、早朝から活動を開始していた。

 なお、ィエイト君はセイブンさんの命令で、僕の屋敷を守るように言い付けられた。当人も、弱いモンスターしかいない生まれたての小規模ダンジョンになど興味はないとの事で、お留守番である。

 まぁ、たしかにあのダンジョンに、シッケスさんとィエイト君では、戦力過剰か。というか、グラがいる時点であんな新造ダンジョン、攻略しようと思えばすぐに攻略できる。


「あの、ショーン様……」

「なんですか、ラベージさん?」

「いや、なんですかって……」


 門が開く三の鐘を待つ間、門の前にはそれなりの人だかりができていた。依頼を受けた中級冒険者や、気の早い行商人たちだ。人数自体はそれ程多くないが、全員から注目を浴びていると、やはりその圧力はすごいものだ。

 そんな視線に耐えきれなかったのか、ラベージさんが声をかけてきた。


「きょ、今日はその杖、持ってくんですね……?」


 なにを口にするか、散々逡巡した結果、諦めたように問いかけてきたラベージさんの視線の先にあるのは、グラ特製の――多くの人に狙われている以上、名前があった方が格好も付くという事で命名した――僕の杖【僕は私エインセル】である。

 当然、その杖の先端には、件のブルーダイヤと黒いくちばしが朝日を反射し、燦然と煌めいている。


「まぁ、シッケスさんもいるし、ラベージさんやチッチさんたちもいる以上、安全はそれなりに担保されていますからね。それに、やっぱりダンジョンはなにがあるのかわかりませんし、最高の装備で赴かねば」

「言ってる事はたしかにその通りなんですが……」


 困ったように、僕、【僕は私エインセル】、そしてこちらに視線を向けている連中とを順番に眺めてから、なにかを諦めるように肩をすくめるラベージさん。まぁ、たしかに、持っていかなければならないとしても、布かなんかに巻いて隠せば、ここまで注目もされなかっただろう。

 とはいえ、僕が杖を持っている時点で、注目されるのは免れなかったと思う。この杖が狙われている以上、隠そうが隠すまいが、そこに然したる違いなどない。


「大丈夫ですよ。シッケスさんとグラがいる以上、そんじょそこらの有象無象に盗られるような事態はあり得ませんから。なんなら、この機会に襲ってきてくれた方が、不意討ちされるよりも、よっぽど楽に対応できるまであります」

「……それが狙いじゃないでしょうね?」


 ジトッとした目で見られ、僕は誤魔化すように微笑みながら、ラベージさんから視線を逸らした。勿論、そんな考えもないではない。とはいえ、そこまでのバカはそうそういないだろう。それ程までに迂闊なら御しやすいとは思っていても、これで一網打尽にできるとまでは思っていない。

 ここで杖を衆目に晒したのは、ある意味ではブルーダイヤの実在をハッキリとさせる為だ。実物があった方が、愚か者が道を踏み外す切っ掛けにもなるし、多くの者が僕の所持を確認したという事実は、まともな感性の者には足を鈍らせるだけの枷になるはずだ。

 まぁ、人のものを盗もうとしている時点で、まともな感性もクソもないのだが。

 僕らダンジョン勢としては、侵入者があるのは別に悪くないのだ。DPの補給にもなるし。問題なのは、犠牲者が増えすぎて、ギルドや領主側といったガバメントサイドにダンジョン並みに警戒されるという、本末転倒な陥穽にはまる事態だ。そういう意味でも、敵が凡夫と愚者とで別れるなら、それはそれでいい。


「でもまぁ、ぶっちゃけ僕のブルーダイヤなんかよりも、グラのものの方が価値は高いんだけれどね……」

「え? そ、そうなんですか……?」


 恐る恐るという様子で、グラが携えている斧槍ハルバードを見るラベージさん。その視線の先では、朝日を反射する鈍色の斧頭アックスヘッドの中央で、装飾の真ん中に鎮座している真っ赤な宝石がある。

 バスガルのダンジョン探索で壊してしまった突撃槍【豹紋蛸ヒョウモンダコ】の代わりの斧槍には、なんと七カラットの赤金剛石レッドダイヤモンドが誂えられている。

 ちなみに、地球において最大のレッドダイヤとされているのは、五・一一カラットのムサイエフ・レッドであり、たしか二〇〇〇年代初頭に八〇〇万ドル(約九億八〇〇〇万円)で取引された代物だったと記憶している。なぜそれ程までに高額で取引されるのかといえば、ダントツで希少価値が高いからだ。希少過ぎて、市場価値がないとまでいわれているらしい。基本はオークションで取引されるからだろう。

 まぁ、こちらのは完全に人工ダイヤなので、そこまでの価値はないだろうが。

 だが、人工ダイヤという概念のないこの世界の人間が、グラのレッドダイヤに注目しないのは、そもそも希少価値が高すぎてレッドダイヤそのものの存在からして知られていない為だ。

 グラの斧槍の宝石も、柘榴石ガーネット紅玉ルビー、あるいは尖晶石スピネルあたりだと思っているのかも知れない。……いや、それでも宝石としての価値は高いだろうが、幻のホープダイヤと比べると注目度は低くなる。

 なお、グラのレッドダイヤは、ムサイエフ・レッドと同じくトリリアントカットだが、別にそっちに形を合わせたわけではなく、僕のブルーダイヤとお揃いにした結果だ。


「……。俺はなんも聞きませんでした。そういう事で……」

「そうですか。まぁ、世に【グラの赤金剛グラス・レッド】の伝説ができたら、その伝説の発祥はラベージさんの口から、という事になりますね」

「やめてください! マジで、誰にも言いませんから! 伝説を作るなら、別のところから作ってください!」

「ははははは」


 楽しく雑談していたら三の鐘が鳴り響き、門が開かれた。僕とグラ、そしてシッケスさんもいるという事で、列に並ばず門を通してもらう。僕らだけだったら、まだまだ新参冒険者という点から遠慮したところだが、そんな行動にシッケスさんを交えるわけにはいかない。


 草原にでて一時間程。本当に危なげなく、本日の食事用に何羽かウサギ系モンスターを狩り、ついでに虫系モンスターも狩り、一行は新造ダンジョンへと進んでいた。一応、あとを尾行つけてくる連中がいないか、斥候のラベージさんとチッチさんに確認してもらったが、門から離れた辺りでそういう動きはなくなったそうだ。

 やだねぇ、ちょっとピクニックするだけなのに、盗賊の心配をしなければならないなんて……。


「見て見てショーン君! ホラ、これ!」


 散歩に連れだされた犬もかくやというはしゃぎぶりで、草原を駆けるシッケスさんがこちらに槍を掲げてみせる。いや、掲げているのは、その槍を把持している手だろうか。

 その右手には分厚い革のグローブのうえから、僕が作った鉄製の【鉄幻爪】が装着されているのが見て取れる。あの【鉄幻爪】は【蘭鋳ランチュウ型】という、【誘引】が施されたものであり、我が家に滞在しているのだからと、優先的に注文を受けて作ったものだ。まぁ、僕の方にくる注文は、グラにくるものより圧倒的に少ないので、優先してもそれ程ありがたがられるものでもない。

 なお、ィエイト君には結界術の施された【大樽廻オオタルマワシ型】と、【怯懦】が施された【隠隈魚カクレクマノミ型】の【鉄幻爪】を売った。彼の戦闘スタイル的に、その二つが合っているらしい。

 だが、そのラインナップではやはり、不安材料が残る。【恐怖】で下拵えをしない【怯懦】では、効果が限定的になるのだ。ィエイト君は、万が一の際に相手の足を一瞬止める程度の効果でいいとの事だが、やはり命を預かる装備である以上妥協はしたくない。

 早いところ、【恐怖】と【怯懦】を複合した術式を開発しよう。


「誘え――ランチュウ!」


 シッケスさんがキーワードを唱えれば、周囲に潜んでいたモンスターが興奮して押し寄せる。大半はウサギとネズミだが、一匹だけ虫系がいる。盾虫こと、デカいカメムシだ。体当たりと、刺激されると嫌な臭いを発する以外は、特に気を付けるような特性はない。

 だが、臭いのは嫌だし、盾虫の名に恥じない硬さなので、倒すのに手間取ると嫌だなと思っていたら、シッケスさんも同意見だったようだ。真っ先に盾虫のところに駆けていき、一突きで頭を潰す。おかげで、盾虫は嫌な臭いをだす間もなく地面に転がった。まだビビビと翅や脚を動かしているが、そのうち息絶えるだろう。

 ただその分、他のウサギやネズミたちに無防備な姿を晒してしまっているシッケスさん。当然、そんな隙を見逃すはずもない齧歯類のモンスターたちは、いっせいに彼女に躍りかかった。

 ザコも積もれば脅威となる。モンスターの基本戦術は物量。あわや、上級冒険者であるシッケスさんが、下級も下級のモンスターの群れに倒されるのかと、一瞬心配したところで、振り返った彼女はニヤリと笑う。


「当惑せよ――カエルアンコウ」


 シッケスさんの左手の【鉄幻爪】に施された橄欖石ペリドットが鮮やかなエメラルドグリーンに輝くと、モンスターの群れは身を躱したシッケスさんの残像に殺到する。

 この【蛙鮟鱇】には、雛形となった【提灯鮟鱇チョウチンアンコウ型】に施されている、【幻惑】の効果とは少し違う、オリジナルの術式が付与されている。鉄本来のものに橄欖石ペリドットの魔導術的リソースを加えた事で付与できた、相手を傷付けなくても効果を発揮する、両手で武器を把持するシッケスさん仕様である。

 ヒット&アウェイが基本戦法の彼女にとって、以前渡したイヤーカフと同じように、離脱用の装具はどれだけあっても重宝するようだ。

 なお、このオリジナル術式、相手に傷を与えなくてもいいうえに、複数の対象に効果を発揮するのだが、やはり強いモンスターには簡単に抵抗レジストされ、おまけに効果も一、二秒という超短時間しか持続しない。単純に【幻惑】の上位互換というわけではなく、甲乙つけがたい術式になってしまった。【提灯鮟鱇型】と【蛙鮟鱇型】とで、作り分けをするべきなのか、少々迷うところだ。

 幻のシッケスさんに殺到したモンスターたちは、肩透かしを食らってたたらを踏んだところに、天から降ってきた本物のシッケスさんによる一人槍衾で、その命の灯を一気に刈り取られてしまう。生き残りも、寿命が一瞬延びただけで、彼女の槍はその生存を許したりはしない。

 最後には、立っているのはシッケスさん一人であり、しゃらりと遅れて垂れる銀糸の髪が、此度の演目の終幕を告げる。ラベージさんやチッチさん、そして同性であるラダさんすらも目を奪われるような、美しい演武だった。



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