第90話 幻のモンスター
●○●
「――チッ! ビビらせやがって!」
「ハンっ! ガキの作った幻に騙されて、ザマァないね!」
「うるせぇ!」
クソっ。曲がり角でばったり現れたモンスターに慌てた俺を、ゲルダが笑う。
モンスターは、お世辞にも華麗とはいえないザマで俺が斬り捨てると、手応えもなく霞のように消えた。モンスターが霧消するのとも違う、初めから虚ろであったとわかる、幻術の幻影だ。
「しかし、ハリュー姉弟ってのは本当に悪趣味だね。ダンジョンの真似だけでも眉をしかめるってのに、そこにモンスターの幻影までとは……」
ゲルダが眉を寄せると、彼女の額に付けられた傷跡が眉に合わせて中折れに歪む。その言葉に俺も頷き、血もついていないというのに、癖で血振りをしてから剣を納める。
「侵入者防止用の罠を作っていったら、自然とダンジョンのようになったていうならまだわかるが、ここでモンスターの幻を見せてくるあたり、意図しての事なんだろうなぁ。お前の言う通り、悪趣味に過ぎるぜ」
俺が吐き捨てると、ゲルダ以外の仲間も頷いた。とはいえ、わからない話でもない。侵入者を撃退するって目的なら、どうしたって似たような形になる。そのうえで、ダンジョンのような道にモンスターまで現れたら、並みの肝のヤツならビビっちまうだろう。
まして、上階であれだけビビらせたあとならなおさらだ。
まぁ、ハリュー姉弟の誤算は、俺たち冒険者が上の階の仕掛けを見抜き、この程度で逃げ帰るようなタマじゃねえってところだな。
それからも何度か、モンスターの幻影が現れるが、もはや俺たちに動揺はない。ゲルダなんて、武器すら抜かずに幻影を蹴り飛ばしている始末だ。それだけでも、幻は霧散する。
「しっかし、上の階に比べれば随分と温いとこだね。複雑に入り組んだ迷路の探索は厄介だけど、罠はモンスターの幻影だけかい?」
「たしかにな」
上の階に仕掛けられていた罠に比べれば、この階の罠はあまりにも安穏だ。他の罠があるのかも知れないと、思った矢先にまたあの幻影が現れた。
「またかい。いい加減鬱陶しいね!」
駆け寄ってきたレイザーファングを、ゲルダはさっきと同じように蹴り飛ばそうとした。だが、その狼のモンスターは、ゲルダの蹴りから身を躱すと、その名の由来ともなった剃刀のような牙を、ゲルダの喉に突き立てる。
「ハハハ。油断してるからだぜ! それが本物だったら、今頃お前死んでたぜ!」
さっきのお返しとばかりに、俺はゲルダを笑い飛ばす。……だが、おかしい。バカにされたというのに、ゲルダのヤツから反応が返ってこない。
「……コフ……っ」
やっと返ってきたのは、微かに湿った呼気だけだった。ゲルダが頽れた先にいたのは、そのカミソリ牙に真っ赤な血を滴らせたレイザーファング。
その姿はあまりにも堂々としており、とても幻影とは思えない。その口元を濡らす血は、あまりにも鮮烈で、微かに漂ってくる
「な、なぁ、冗談はいいからよ、さっさと立てよ? お、おい? ゲルダ?」
声をかけるが、冗談が過ぎる。なんで立たない? なんで、あいつの足元に、血だまりが広がっていく? だってこれは、幻だろ?
「おい! いい加減にしろって!」
「やめろハンザ! ゲルダはもう助からん! あれは幻じゃねえ!」
「後ろからもう一匹、ブラッドウィドウ! こ、こっちも本物か!?」
「知らねえよ! 攻撃してみりゃわかんだろ!」
俄かに慌て始める仲間たちだが、いまだに俺は目の前の現実を受け入れられずにいた。だってそうだろう? さっきまで、嬉々として俺をバカにして笑っていたあの女が、あっさりと殺されて二度と動かないなんて、信じられるか?
だがそんな俺は、レイザーファングからすればお誂え向きの餌でしかなかったようだ。飛び掛かってきたカミソリ牙のぞろりと生え揃った口を、腕でガードできたのはただの反射だった。
ぞぶりと肉を削がれる痛みに、二度とこの腕は使い物にならないと覚る。死への恐怖とその激烈な痛みで、俺はようやく現実に意識を戻す事ができた。それと同時に、ゲルダを殺したこのクソ狼に、激しい憤怒が沸き起こる。ゲルダを殺したコイツは、絶対に許さねえ。なにがなんでも殺してやる!!
左腕を噛まれ押し倒された状態では、腰の剣を抜くのは難しい。俺はベルトに差していたナイフを抜くと、腐れ狼の目玉を思いっきり貫いた。その瞬間、狼の姿は霧のように掻き消える。だが――それはそのまま残っていた。
白いブヨブヨとした肉の塊。その頭部には、トラバサミのような形状の口が付けられているものの、それは――
「ゴーレム……」
そうだ。上階の、鏡の部屋にあったゴーレムと同じもの。それが、幻影の皮を壊されただけで、その場に残っていたのだ。つまり最初から、そこにいたのはモンスターじゃなく、命なき人形でしかなかった。
「ク、クソがぁぁぁあああああああ」
ゴーレムは俺の腕から、そのトラバサミを外して、再度狙いを定める。今度こそ、俺の息の根を止められるように、喉を狙ってその血の滴る牙を――
●○●
「あん? お前はたしか……」
探索の途中、すわまたモンスターかと身構えた俺たちの前に、一人の男がまろび出てきた。その姿には見覚えがある。昨日、あの吊り橋の下に送った大盾のパーティの斥候……。名はたしか、マスだったか?
「エ、エルナトの旦那……」
見るからに消耗しているその男は、俺たちの姿を見付けるとホッと安堵するように息を吐いて、壁に寄り掛かった。そのまま気を失おうとするそいつに、斥候が駆け寄ると情報収集がてら介抱をする。
と、後ろからモンスターの幻影が近付いてきやがった。無視してもいいんだが、噛み付かれたり引っ掛かれたりする幻を見せられるのは心臓に悪い。適当にあしらおうとしたところで、気を失いそうになっていたマスが目を見開く。
「油断すんな!! 幻影の中に本物が混ざってるぞ!!」
マスの忠告に、後衛を務めていた仲間がぎょっとしてから、慌てて武器を抜く。
そういうカラクリか……。数多の幻影の中に、ほんの少し本物を混ぜる。すると、幻影だと油断して無防備なところに攻撃ができる。
しかし、本物ってのはどういう事だ? まさか本当に、モンスターを町中に連れてきたわけじゃないだろう?
詳しい話を聞こうと思ったら、さっきの忠告が最後の力を振り絞ってのものだったのか、マスは力尽きたように意識を飛ばしてしまった。仕方ない。情報を聞き出す為に、しばらくここで待機しつつ、こいつを介抱するか。【大盾】の連中がどうなったのかも知りたいしな。
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