三章 バスガル攻略戦

第1話 秘策

 〈1〉


 ギギ一〇六号からの報告をうけた我は、憤懣やる方ないとばかりに大きくため息を吐いた。途端に、室内が煌々と照される。


「……地上生命どもに放った間諜であったか……。たしかに貴重な手駒よな。我とて、できる事ならば欲しいくらいだ」


 残念ながら、地上生命どものなかに紛れ込めるようなモンスターを作り、受肉させ、なおかつ支配下におく手段など、即座には思い付かない。否。手段があったところで、本当に彼奴輩の巷間に溶け込ませられるかと問われれば、肯んずるだけの自信は持てない。

 おそらくは、彼らも試行錯誤の末に生み出したモンスターだったのだろう。実際、その間諜から得られた生命力は、一体のモンスターのものとは思えない程に大量であった。

 返す返すも、それを我が手で葬ってしまったというのは、痛恨事であった。もしも再び地上生命どもの懐へと戻せれば、どれだけの情報を得られ、ダンジョンにとってどれだけの恩恵になったであろうか……。

 あるいは先方のダンジョンを侵し、我のものとできたなら、その手駒も我のものとなった可能性はある。そうでなくても、向こうもまたダンジョンコアだ。開戦までの時間を使い、地上生命どもの情報をかき集め、基礎知識に書き込むくらいはするだろう。

——ダンジョンコアという種の為に。


「とはいえ、いつまでも失ったものに拘泥していても始まらぬか……」

「やぁやぁバスガル! 相手方の協定破りの件はどうなった? 勿論賠償なりなんなり、ふんだくったんだろうね?」


 金属を組み合わせたゴーレムが現れ、いつもの姦しい声音で話しかけてくる。


「グリマルキンか。その件であれば、お互いに不幸な行き違いが原因であるという結論に至った。向こうが地上生命どもの情報を集める為に放った間諜が、やんごとなき事情で我がダンジョンに侵入し、事情を説明しようとしたところを、我が勘違いのままに手を下してしまったという次第よ」


 ありのままに事のあらましを説明すると、ゴーレムはまるでため息でも吐くように肩を落とした。それから、気を取り直したように我へと向き直る。


「ふぅん。まぁ、私の方でも調べてみたのだけれどねえ、どうも先日このダンジョンで死んだのは、最近現れたダンジョンの研究をしている少年だったって話だ。新たに現れたダンジョンの調査という事で、ダンジョンに潜り、死んだという事になっているらしい。残念ながら、それ程詳細に調べられる時間も伝手もなかったから、どこまで正しい情報なのかはわからないが」


 思えば、この者もまた、地上生命輩から情報を得ている節がある。それも、かなりの手広く繋がりを持っているようだ。


「ふむ。向こうの話と矛盾はないな。ダンジョンの研究者として潜り込ませた手駒だったからこそ、新たに生まれたダンジョンの探索に駆り出された、という事であろう。まったく、惜しい事だ」


 いかんいかん。いつまでも未練がましくせぬと思った矢先からこの調子だ。やはりつくづく、貴重な駒だったと考えざるを得ない。


「人間の社会に潜入できる手駒は貴重だからねえ。とはいえ、私はそこのところがちょっとだけ気になっているのさ」

「ふむ。どういう事だ?」

「聞いた話じゃ、どうやら相手のダンジョンは、まだまだいって話だったじゃないか。私たちダンジョンコアがいかに優れた種であろうと、そんな赤子も同然のダンジョンコアに、人間の社会に潜入できるだけの手駒が用意できるのかなってね」

「ダンジョンコアの型が、たまたまに人間に近い種だった、あるいは人型のダンジョンコアという事もあり得る。別段気にするような事でもあるまい」


 ダンジョンコアというのは不思議なもので、自然と自分に近い姿のモンスターを生み出すものだ。我ならば、竜やトカゲである。使者の姿かたちから見るに、やはり向こうのダンジョンコアはかなり人に近い姿なのだろう。無論、必ずしもそうだとはいえぬだろうが。


「ふぅーん。なるほどねえ。たしかにたしかに、その可能性はあるよねえ……」


 意味ありげにそう言ったゴーレムは、なにかを考えるかのように、ぐるぐると同じところを歩き回り始めた。


「やめろ。鬱陶しい」


 最初は見逃していたが、いつまでも視界の端をチョロチョロと歩き回られるのは、勘に障る。


「おや、これは失礼。なにかを考えるときの癖なんだ。許しておくれ」

「ふん」


 ちっとも悪びれる様子のない謝罪を、鼻息一つで吹き飛ばす。短い付き合いではあるが、こいつがそういう輩であるというのは嫌という程理解している。


「それで、例の秘策は進めているのかい?」

「無論である」

「一気にやろうとしちゃダメだよ? 振動で、地上のやつらにも、向こうのダンジョンにも露見しちゃう。特に、ダンジョンコアであれば私たちがなにをしようとしているのか、勘付かれる可能性だってあるからね」

「くどいわ。しかしな……」


 此奴の言葉を肯定しつつも、我は眉間に皺を寄せて虚空を睨む。


「どうしたんだい、バスガル?」

「……これは、協定違反にはならぬのか?」

「あははは。なるわけないでしょう? 協定はあくまでも、あの宣戦布告の日から十日後に開戦する、という文言だったんだ。私たちがいま行っているのは、侵略にはなんの関わりもない行為。いや、ある意味ダンジョンとしては当然の行いともいえる」

「しかしな……」


 堂々と言い放つゴーレムに対し、なおも言い淀んでしまう。

 たしかに、道理のうえでは我らがいま行っている行為は、侵略戦争に直接の関係はないといえる。だが……、なんというか……、協定の穴を突いているようで、気が引ける……。

 我の煮え切らぬ態度を見て、ゴーレムが呆れたようにため息を吐く。無論、仕草だけで本当に息を吐いたわけではないが。


「はぁ……。さては、今回の協定違反紛いの向こうの行動、特に咎めもせず両成敗という結論に落とし込んだのは、その罪悪感が原因かな?」

「むぅ……。それがないとは言わぬ……」

「……甘いなぁ……」


 ゴーレムから聞こえた声には、かすかに呆れと嘲りの色が滲んでいた。だが、それで構わぬ。

 ただでさえ、我は一方的な都合で、格下ともいえる浅いダンジョンに戦を仕掛けているのだ。このうえ、自ら約した協定の穴をつくような真似などして、どうして矜持が保てよう。

 とはいえ、此奴が言っている事にも一理はある。ダンジョンの維持管理は、ダンジョンコアとして当然の行い。まして、決戦を控えているいま、そのダンジョンに多少手を加える程度の事は、やらない方がむしろおかしい。

 いまごろは、向こうのダンジョンとて我らに対抗すべくその形を変容させているはずだ。我だけ、それを行わぬというのも非合理である。


 しかしなぁ……。


 我の心のしこりとなっているのは、相手があまりにも不利なのではないかという点だ。我が、我の事情で戦を宣した相手は、明らかに我よりも浅く、下手をすれば生まれて一年と経っていない。まさしく、赤子も同然だ。

 いくらなんでも、この状況で万全を期すというのは、大人げないのではないか……。いっそもう、こちらから逃走させるなり、傘下に収めるなりしてやった方がいいのではないか……。それくらいに、状況は我に有利である。

 そこにさらに、相手の意表を突いてまでさらに有利な立ち位置を得る為に動く? あまりにも気が進まぬ行いだ……。弱い者いじめなどで生きながらえて、どうして胸を張れよう。


「……そんなに余裕ぶっていられるのかなぁ……」


 ゴーレムの言葉を、我は特に気にするでもなく聞き流した。すぐに、その事を後悔するとも知らずに……。



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