第137話 政治家なりの戦術

 ●○●


 侵攻軍とナベニ軍は一進一退の攻防を繰り広げていた。

 こちらがウォロコの防衛すらかなぐり捨てて、ひたすらに侵攻軍の物資の破棄と、補給路の断絶を念頭に攻勢をかけても、敵侵攻軍は手堅く守勢を取り続け、決して迂闊な真似はしなかった。結果、我らの根拠地であったウォロコの街は、いまも無防備で放置されている。

 だが、おかげで戦のイニシアチブはこちらのものだ。ベアトリーチェの不在で士気に欠ける侵攻軍は、定石を完全に無視したこちらの動きに翻弄され、目に見えて消耗している。


「これでハッキリしたな。帝国は、兵站に深刻な憂慮を抱えている。だから、こちらの動きに守り一辺倒にならざるを得ない」

「はい。斥候の報告は、どうやら間違いなかったようですね」


 ガチャガチャという、鎧が擦れる音や馬の嘶きに邪魔されぬよう、努めて大きな声で話すと、隣の副官が肯んずる。あの兄弟をベアトリーチェへの囮として離してから、随分と気楽になった。


「ああ。補給路に瑕疵がないのなら、ここでウォロコを取らぬ手はない。戦の常識であれば、それは勝利と同義なのだからな」


 敵が野戦に打って出た隙に、別から回した手勢で本拠となる城を奪う。戦記ものでも良くある戦法だ。これが叶えば、戦の趨勢はほぼ決したといっていい。

 だが、いまの帝国軍にそれはできない。

 ウォロコという拠点を得てしまえば、彼らはその地を守る為に身動きできなくなる。侵攻軍がベルトルッチに入れた兵の多くを、各自治共同体コムーネに貼り付けざるを得なかったのも、そこが反抗を試みて補給線が途絶するのを恐れてだ。

 彼らは遠征軍であり、その常として補給路と退路の確保には、常に気を配らねばならない。それを無視できるのは、伝記の中の英雄だけだ。


「侵攻軍がウォロコに篭ってくれれば、我らはそれを攻囲して補給を閉ざす。帝国とベルトルッチの間の道が健全であれば、挟み撃ちにされるだけの愚策でしかないが、敵の動きを見るにそうではない」

「はい。侵攻軍の動きには、背後を閉ざされる事に対する、強烈な忌避感が窺えます。援軍や物資の輸送に対して、絶対にあるという確信が抱けぬのでしょう。いえ、半ば以上『ない』と思っていなければ、勝機を捨ててまでここまで消極的にはならないはずです」

「ああ、その通りだ。あのウォロコを取ってしまえば、籠城戦と攻城戦という、我々の役割は逆転する。帝国軍にとって、ベルトルッチ内での籠城戦など、悪夢以外の何物でもあるまい」


 なにせ、彼らにとってここは敵地。籠城しても、援軍がくる保証など微塵もないのだ。そうなれば、開城までは時間の問題である。武人たちの腕っ節など関係ない。


「だが、流石に帝国の将はその程度の餌には食い付いてはくれんか……。なんとしても、この一戦でケリをつけようとしてくる」

「将だけが意気軒昂でも、どうしようもありません。兵らには不安があり、目の前には安易な『勝利』がぶら下がっているのです。このまま攻勢を強め、彼らの心が挫けたとき、彼らは逃亡するようにウォロコに入り、占領するでしょう」

「一度兵らがウォロコに雪崩れ込めば、首脳部もそれに倣わざるを得ん、か。常とはあべこべだな」


 普通は将らの号令で兵を動かすのだが、大多数の兵らの動きに合わせて、将が方針を合わせねばならぬというのは、なんとも皮肉な話だ。とはいえ、軍というものは、ある意味常にそのようなものだ。

 我らとて、本拠地を敵に取らせると、事前に兵らに知らせていれば、動揺から既に軍が瓦解していてもおかしくはない。帝国軍がウォロコを占拠すれば、一時的には士気も払底するだろう。だが、包囲する内に、こちらの優位を実感するはずだ。


「ふっ。まるで兵士らのご機嫌取りをしている気分だな……」


 苦笑しつつシニカルにそうこぼした私に、副官もまた曖昧に笑ってみせる。直後、双方の軍勢から動揺のざわめきがあがる。直後、近付いてくる歩兵の姿があった。


「ほ、報告!」

「どうした?」


 伝令兵の報告は、概ね予想通りだ。こちらの意図通り、帝国軍がウォロコに雪崩込み、我らがそれに追撃をする形になったと。当然、彼らの守っていた兵糧は放置され、補給路はこちらの支配するところとなる。


「わかった。前線指揮官に伝令。引き続き追撃を行い、敵兵力をできる限り削れ。ただし、ウォロコに篭った敵軍に対しては、深追い無用。以降は、攻城戦に移行する。外部からの攻撃に警戒しつつ、奴らに補給をさせるな」

「は、はっ!」


 駆けていく伝令兵の、信じられないモノを見るような目が、脳裏にこびりつく。ウォロコの中には、まだ多くの市民らが取り残されているのだ。そのような都市に、兵糧攻めなど仕掛ければどうなるのか。

 考えるまでもない。帝国の将が最優先するのは、帝国の兵だ。敵国だったウォロコの住民の優先順位は、当然最下位になる。どころか、残った食料を徴発していくかも知れない。

 だがしかし、我らは数にも地力にも劣る状況で、帝国に勝利せねばならぬのだ。その為ならば、人間性など容易く捨ててみせよう。本当にウォロコ内が飢餓地獄になってくれるなら、市民らと帝国兵との間で、深刻な殺し合いに発展する可能性とてある。

 そうなればもはや意地も張れまい……。我ながら、悪辣という言葉ですら生温い手法だな……。


「これ見よがしに、奴らの物資をウォロコ城門前で焼き払おう。幾らかは私掠しても構わんが、目に見えて少ないと飢えた帝国兵が、こちらの物資をアテにして襲撃をかけてくる原因にもなりかねん。できるだけ高く積んでから燃やせ」

「はっ」

「この際だ。徹底的に、奴らの心を折りにかかるぞ」

「と言いますと?」


 遥か東方の古い訓話に、四方から聞こえてきた歌で、祖国の陥落を知り、己の敗北を受け入れた、当代無双の英傑の話があったはずだ。とはいえ、ここで帝国の歌など歌っても意味がない。それで、我らが帝国を占領したなどと勘違いする帝国兵などいまい。


「だからここはあえて、四方からスティヴァーレ語の歌を聞かせよ。ここがベルトルッチ平野であり、彼らにとっての異郷であると知らしめよ。異国の地、補給も途絶えた見知らぬ城の中で、あちこちから聞こえる異国語の歌は、さぞかし帝国兵の心を苛もう」

「随分と、優雅な攻め手ですね」

「無駄だと思うかね?」

「いえ。十二分に効果的な一手です。兵を損じる惧れもない、最良の策であるかと存じます」


 副官はそう言って優雅に一礼すると、策を実行すべく馬を駆る。あとは、あの兄弟がどれだけベアトリーチェに打撃を与え、時間を稼ぐかだ。万が一ベアトリーチェの手勢が戻ってきても、それを追撃しているであろう、兄弟の軍勢と挟撃できれば、ものの数ではない。侵攻軍の心の支えたるベアトリーチェの軍勢が退けられれば、彼らの心を折る一助となろう。

 そうだ。やるなら徹底的に、だ。完膚なきまでに彼らの心をへし折り、二度とスティヴァーレに食指など動かさぬよう、徹底的に帝国軍を追い払う。

 後方に駐留している侵攻軍の動きにも、注意を払わねばなるまいが、彼らが占拠している自治共同体コムーネから離れてくれるなら、願ったり叶ったりだ。すぐさま、この最前線の戦況を伝えて蜂起を促す。そうなれば、ベルトルッチ内の帝国補給線などというものは、跡形もなく消失するだろう。

 その段に至れば、ウォロコを包囲し続ける意味もあまりない。退路を断たれた軍勢など、結局は兵糧攻めも同然だ。あとは、ベルトルッチ内を七転八倒する帝国軍を、好き勝手に突つき回すか、惨めな逃避行に心折られて、投降してくるか。ああ、もしかすれば、内紛から寝首を掻かれるという事もあり得るか。


 ウォロコに篭った敵兵を包囲した翌日。ベアトリーチェ率いるエウドクシア軍の帰還を知り、私は己の策が成ったと思った。彼女の軍がほぼ無傷であり、それを追うこちらのエウドクシア軍の姿がどこにもなく、彼らの旗の下に、布に包まれた首が確認されるまでは。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る