第138話 いっぱいちにまみれ
まだだ。まだ挽回は可能なはずだ。私は己にそう言い聞かせ、指示を出し続ける。
「敵は一万! 一手を向かわせて、確実に抑えよ!!」
「閣下! 敵、ウォロコから打って出ます! エウドクシア軍に呼応した模様!」
「クソ、行動が早い! そんなにベアトリーチェ嬢が好きか、帝国軍!?」
悪態を吐きつつも、私は対処を命じ続ける。だが、状況は切羽詰まっている。
明らかに、帝国軍の兵士たちが活気付いている。昨日までは、こちらの本拠地という鳥籠を占拠してしまったせいで、強いられる負担を目の当たりにして、意気消沈していたというのに。
ベアトリーチェの帰還は、彼らにとっては万軍に勝る援軍だったらしい。
「それにしても、なんとも情けない話だ……」
伝令に指示を出し続ける間隙に、私はなんとも言えない気分で独り言ちる。口元には、微苦笑が浮いていた。
ベアトリーチェの軍勢が、どうしてほとんど無傷で戻ってきたのか。それはわからない。エウドクシア兄弟には、時間稼ぎを念頭に行動せよと指示を出していたはずだ。もしも、こちらの急襲を知ったベアトリーチェらが大返しを試みたのだとしても、その背後から襲い掛かる事くらいできたであろう。そうなれば結局、ダラダラと応戦と撤退戦を繰り返し、もっと時間も兵も損じていたはずだ。
だが、厳然として眼前には意気軒高なベアトリーチェの軍勢が迫っている。あまつさえ、敵軍の言を信じるならば、ベアトリーチェ自らフィリポ・エウドクシアの首を獲ったというではないか。
どうすれば、そのような真似ができるのか。こちらの戦術目標はほぼすべて失敗し、向こうの目標はほぼすべて達成されているではないか。これを単に、エウドクシア兄弟の指揮能力の低さ故と断じて良いものか……。従軍経験の浅い私には、とんと見当が付かない。
とはいえ、ベアトリーチェとて、これまでまともな従軍経験などなかったはずだ。それは、エウドクシア兄弟も同じだが。恐らくは、定石通りの戦闘ではなかったのだろう。それなら流石に、彼女ももう少し私の思惑の範疇にとどまる形で、戦場に戻ってきたはずだ。
無理を通して道理を引っ込める、それこそ伝記や叙事詩に語られるような、帝国兵が思い描く
武人としての才が皆無な私からすれば、少々羨ましく、妬ましくもある……。私にその才があれば、きっと味方にこれ程までの苦渋を味わわせずとも、勝利の目を手繰り寄せられたのだろう。
ともあれ、帝国軍もナベニ軍も、一人の少女に一喜一憂させられ、その動向に勝敗を左右されている。いい大人が、最善たらんと欲し、思い、願い、毒も皿も苦渋も苦虫も咀嚼して、足掻いて藻掻いて築きあげた現状を、少女の切なる思いが打ち破る。
なんとも叙情的で、吟遊詩人たちの好みそうな展開じゃないか。七転八倒して現状を作りあげたものを、感情論だけでひっくり返される身としては、理不尽にも思える程である。
「そこで語られる私は、さしずめ諸悪の権化、倒されるべき悪役か……」
苦笑が止まない。だが、それでいい。この期に及んで自分の為した数々の蛮行を、正義だなどとのたまうつもりはない。この戦の勝敗如何に因らず、我が悪行は千里を駆け、後々まで語られる事だろう。
「伝令! ロドス殿、デルピエロ殿、ザッサス殿、お討ち死に! ウォロコより出撃した侵攻軍、止まりません!」
「伝令! デレロ殿、パッサ殿、お討ち死に! ファルマ将軍からの伝言です。我、これより吶喊す。おさらば。以上です! 敵エウドクシア軍、なおも接近!」
ふぅ……。どうやら、これまでのようだ。
「副官。兵をまとめ、ナベニポリスを目指して撤退。できる限りの将兵を、故郷に帰してやれ」
「閣下!」
悲痛な副官の声にそちらを見れば、今にも泣きそうな顔で私を見ていた。私はその顔に、苦笑を返す事しかできない。
「ナベニポリスで再起を図りましょう! ここからさらに南下すれば、彼らの補給線はよりいっそう延びます! 必ずや、付け入る隙はあるはずです!」
その言は、たしかに正しい。帝国軍の補給に、重大な懸念が生じているのは間違いないのだ。徹底抗戦は不可能ではないし、勝機も十分にあるといえる。
「だが、残念ながら、我が軍にはこの敗北を受け入れてなお、戦えるだけの士気はない。既に我らの体内には、時間という毒が回り切っている。こちらに
「……ッ……」
悔し気に唇を噛む副官の肩を、宥めるようにポンポンと叩く。
我ながら、随分と無理と無茶をしてきた。これ以上兵士たちを付き合わせるのも可哀想だ。
「主だった者は私に続け。同胞を逃がす為の殿となるぞ! どうせ生き残ったところで処刑は免れん! せいぜい大暴れをして、その首の価値を高めようぞ。兵らが首狩りに夢中になって、追撃を忘れる程にな!」
「「「応!」」」
陣中に笑いが漏れる。私も笑った。
ここにいるのは、私と一緒になって人道に悖るような真似をしてきた者らだ。悪名を背負うのも厭わず、私の為に尽くしてくれた忠臣たちだ。だが、無力な私は、彼らの名誉を守ってやれぬ。
後世、私は悪人として語り継がれるだろう。彼らはその先兵だ。
だが、それで守れるものもある。後の事は、ナベニに残してきたマレトリア殿がいいようにしてくれよう。存分に、私とその仲間を悪役として語り、憐れな被害者として戦後のナベニ圏を支えていって欲しい。例え、ナベニという国が、歴史の波に消えていく事になろうとも……。
「ふぅ! それにしても、武人の真似事というのは疲れるな! やはり、私は政治家の方が向いていると、つくづく痛感したよ。戦など、すべて将に任せて、私は他国との交渉に動いていた方が良かったかも知れないな」
「そう卑下なさいますな。なかなかのご采配だったかと」
「やめてくれ。どうせ、後世には卑怯卑劣と語られるのだ。だが、諸君らからの誉め言葉は、私にとってのなによりの宝だ。精一杯戦った君たちに、勝利の美酒を奢ってやれれぬ、我が身の不明を詫びさせてくれ」
頭を下げる私に、直属の部下や副官、居合わせた兵らが慌て、口々に頭をあげてくれと懇願する。だが、彼らの献身に対して、もはや私にできるのは、こうして頭を下げる事くらいなのだ。これくらいさせて欲しい。
その働きに見合う報酬である、ナベニポリスの存続は、私には用意できなかったのだから……。
「さて、それじゃあ行こうか!」
顔をあげた私が、スッキリとした表情で仲間たちに笑いかける。残念な結果とはなったが、ここ数ヶ月続いた懊悩から解放された、いまの心境はそれ程悪くない。新調した服に袖を通したような気分だ。残される者らには、本当に申し訳ないがな。
喊声をあげ、槍を掲げ、馬を駆る。なんとも似合わぬ真似だが、子供の頃にやった英雄ごっこのような気分で悪くない。武人どもめ、たしかにこれは、ちょっと楽しいじゃないか。こんな楽しみを独り占めしおって。
「ピエトロ様、どちらに向かいましょう?」
部下の問いに、逡巡する。どちらかと問われているのは、侵攻軍本隊かベアトリーチェか、という意味だろう。
「侵攻軍本隊だ! 諸君らに死に花を咲かせてやりたくはあるが、ベアトリーチェの軍は一万程度で、疲労も強いはず。追撃に動く事はまずない。より大きく混乱させ、同胞への追撃の足を鈍らせるなら、侵攻軍の方にこの首を落とす必要があろう!?」
「左様ですな! 然らば、露払いはこの私が!」
「応! せいぜい当代無双の武人のように、堂々たる名乗りを上げるのだ」
「はい!」
笑う。我らは笑う。笑って死に征く。これが物語ならば、悪の権化の末期だ。せいぜい、舞台を盛りあげてやろうじゃないか!
ふと、ベアトリーチェ率いる軍が目についた。掲げている旗は、エウドクシア家のものや、マフリース連合のもの。あそこで争うという事は、ナベニ共和圏の者らと殺し合うという事だ。
少しワガママを言ったか。だが、最期くらい殺す相手は選びたいものだ。それができなかったこれまでと比べれば、なんとも胸の空く思いだ。
「我こそはぁ、ナベニポリス
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