第139話 台風一過・1

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 サイタン郊外の戦いから、一週間と三日。

 僕はようやくウカと交代して、サイタンまで戻ってきていた。ついでにサイタンには、ゲラッシ伯や第二王国のお歴々まで集まっており、アルタンとシタタンの間の峠道も、第二王国の軍勢が通る為にいろいろと騒がしいらしい。まぁ、あの狭い峠道を大軍が通過する為には、もう少し時間がかかるだろう。

 第二王国軍がサイタンに集結している理由は、帝国の侵攻を警戒してだ。ポールプル侯爵公子が攻めてきた以上、二波、三波があってもおかしくはない。今度こそ、不意を突かれないようにという意気込みが窺える。

 でもまぁ、来てもたぶん、なんもする事ないと思うけどね。帝国がこれ以上、第二王国と争うとは思えない。いや、この戦が起きた当初も同じような事を考えて、結局サイタンで戦が起きたのだから、僕の読みなんてなんのアテにもならないけどさ……。

 ゲラッシ伯爵領に攻めてきた帝国軍は、ポールプル侯爵公子がいなくても、彼の副官だった歴戦の老将がまとめあげて、ほとんど野盗化する事もなく帰っていったそうだ。ディラッソ君は、それでも出たかも知れない野盗狩りと、ついでに今回参陣しなかった重臣たちに、あのとき率いていた兵を連れて、罰を与えて回っているらしい。


「帝国とナベニ共和圏のポリス連合との戦も、どうやら集結したらしい。さて、これで帝国がどう動くかだな……」


 ディラッソ君に用意してもらった、サイタンの高級宿の一室で、普段着姿のポーラ様がソファに寝そべりながら、世間話のように教えてくれる。それはいいのだが、流石にその姿は、妙齢の令嬢としてはどうなんだろう……。

 使用人以外は、僕とグラしかいない部屋であり、良からぬ噂を立てられたら、いろいろと困る立場だと思うのだが……。


「ナベニとの戦線を片付けた帝国が、第二王国と正面切って争うようになる、と?」

「可能性はないではないだろう? 二正面の状態が解消されたのだ。帝国は、第二王国との戦に専念できる」


 わかりやすい情報だけをざっと斜め読みしてみれば、たしかにそういう捉え方もできるかも知れない。既に戦端は開かれたあとだと考えれば、このまま帝国と第二王国の全面衝突があり得ると考える者がいても、そうおかしくはあるまい。


「無理ですよ」


 だが、無理だ。いまの帝国に、第二王国とまともに戦ができる体力などない。むしろ、第二王国の方こそ、これ幸いと戦端を開かないか、少し気掛かりな程だ。


「むぅ。なぜだ?」

「ナベニ侵攻に際して動員した兵は、未だにベルトルッチ平野です。それをいきなり引っこ抜いて、こちらに充てる事などできません」

「なるほど」


 即座に納得した顔で頷くポーラ様。なんというか、良く考えて頷いたのか、単に無理だと言われたから、無理なのだと理解した事にしたのか、わからない反応だ……。

 ナベニ共和圏の統治を安定させる為にも、帝国とタルボ侯は、しばらくベルトルッチに戦力を逗留させ続ける必要がある。そうでないと、反乱だのなんだのから、またぞろ独立などという、元の木阿弥にもなりかねない。

 とてもではないが、第二王国と争うだけの兵力を南方地域に集めるなど、いまの帝国にはできないのである。そんな事をすれば、帝国の北方地域は完全にもぬけの殻にせざるを得ない。その隙を、公国群や連合王国が見逃すわけがない。


「それ以前に、残りの兵力を南方に移動させるというだけでも、帝国の負担は尋常なものではありません。今回の侵攻軍とて、主体は帝国南方の諸侯から集めた兵と、帝国中央の国軍です。そこに、今回攻めてきたポールプル侯爵公子を始めとした、一部の北方の兵が加わった形です」

「ふむ。たしかにな。第二王国でいえば、このサイタンにシカシカ司教領から兵を集めるようなものか」

「シカシカ司教領なら、まだ近いですけどね」


 ゲラッシ伯爵領からすれば、キャノン半島など隣でしかない。それをいうなら、旧ヴェルヴェルデ王国領の東端から人を集めるといった方が、帝国の負担を想像しやすい。

 なんにしても、横長で楕円に近い国土の第二王国と、縦長の帝国とでは、やはり事情は全然違うだろうが。


「だが、帝国の北部はそれ程気温は下がらん。軍を動かすだけなら、あまり苦にならぬのではないか?」

「帝国においては、冬はむしろ中央から南の方が寒いんですよ。その地域を、あまり寒さに慣れていない北方の兵に南下させるのですから、結局負担の大きさは然程変わりません。下手をすれば、幾人もの凍死者が発生する惧れすらある。まぁ、夏は夏で南の方が暑いそうなので、軍を動かすのに向いているといえるかは微妙ですが……」

「むぅ。良くわからん気候の国だな……」


 仕方がない。帝国北部は海洋性気候、南部は海洋性気候と大陸性気候が混じり合って、夏暑く、冬寒い地域なのだ。帝国というのは、結構気候の違いがある国であり、地域差が強いお国柄なのだ。

 まぁ、それをいったら、第二王国も変わらないか。同じ王冠領でも、南端のゲラッシ伯爵領と、北部の元クロージエン公爵領の一部だった地域では、気候はまるで違う。完全に大陸性気候のあそこは、今頃は完全に氷点下の毎日だろう。地中海の影響で、この時期でもゲラッシ伯爵領は平均気温が十度くらいはある。

 第二王国の首都も、きっと今頃はかなり冷え込んでいるはずだ。第二王国はどういうわけか、北方に位置する帝国よりも冬が厳しい地域だったりする。まぁ、ガッツリ大陸性気候だからだろう。


「それだけの負担を覚悟して軍を動かしても、今度は連合王国や公国群が、帝国北部を侵し始めるでしょう。たしかに二正面の状態は解消できましたが、帝国北方の諸部族や中央の貴族が、南の為に北の抑えを疎かにしてまで、第二王国と本格的に争う為に兵を出すかというと……」


 まずない、とは思う……。だがまぁ、やはり僕の見立ては間違う可能性もあるので断言は控えようと思う。帝国内に、まだあのポールプル侯爵公子のような者がいて、その者が政治の主導権を握っていないとは、断言できないしね。


「なるほどな……。では、第二王国がこのまま帝国と争う可能性は?」


 それに関しては、断言はできないんだよなぁ……。ぶっちゃけ、帝国側から大義名分を与えてくれたのだから、この機に版図を広げたいと思うのは、第二王国側としてはおかしな判断ではない。パティパティア以西の版図が広く、足場がしっかりとしていれば、今回のような事もそうそう起こり得ないだろう。

 ただ、これもたぶんないと思う。


西方侵攻そんなことを始めたら、今度こそヴェルヴェルデ大公が第二王国から離反しますよ? そうなるとシカシカ大司教も身の処し方を考え始めるでしょうし、大公と大司教が動けば、ヴィラモラ辺境伯だって動きます。第二王国は、一気に空中分解。残念ながらかつての大帝国の系譜は、この北大陸からも消失する事になるでしょう」

「むぅ……。たしかに……」


 ヴェルヴェルデ大公も、アレで結構可哀想な立場なのだ。自力での旧領奪還は厳しいが、第二王国からは王位継承のゴタゴタや遊牧民包囲網を理由に、それをお預けされ続けているのだから。このうえさらに、西部の版図を広げる為に奪還を待ってくれなどと言おうものなら、その関係は完全に決裂するだろう。それを非難できる者は、多くはあるまい。


「そんなわけで、たぶん帝国と第二王国とは、なんらかの形で手打ちになるとは思います。交渉は、かなり第二王国有利に運ぶでしょうが」


 なにせ、不意打ち紛いの襲撃だったにも関わらず、第二王国はそれを撃退しているのだ。非は完全に向こう側にあると言い張れる。

 その指揮官の首こその手で落としたが、軍が攻めかかり、敗走のさなかの事だ。戦端が開かれる前にけじめをつけたというならともかく、一戦交え、敗北したあとともなれば、然程交渉を有利に運ぶ材料にはなるまい。まぁ、あのまま伯爵軍が追い討ちをかけて、一切合切こちらで片付けてしまった状況よりかは、まだ帝国も面目を保てているので、無駄ではないだろうが。


「そうか。まぁ、此度の戦で兄上もかなり武名をあげた。領内の有力者たちに、これまでよりも大きな顔ができると、父上も喜んでいたぞ。もしかすると、これを機に代替わりを発表するかも知れん」

「まぁ、倍以上の軍勢を、ほぼ無傷で叩き返したんですからね」


 なにより、ゲラッシ伯になかった武功という箔が、いまのディラッソ君にはあるのだ。領内を回って有力者を罰し、それまでの権力構造を打破し、伯爵家の威令も強くなっている。代替わりにはいい機会と見ているのかも知れない。

 伯爵軍に犠牲が完全になかったわけではないが、帝国が被った被害に比べれば、かすり傷も同然だろう。快勝といっていい。その立役者であるディラッソ君ならば、言ってはなんだが、余所者というイメージが強いゲラッシ伯よりも、伯爵家家臣に対する統率が利くようになるだろう。

 なお、帝国の将の遺体は既に身元確認を終えて、綺麗なままお返ししている。いくら冬とはいえ、傷む前にお国に届けてやりたいのが人情だろうからね。


「第二王国中央でも、兄上の名がしきりに囁かれていると、チェルカトーレ女男爵様からも聞き及んでいる。当代きっての戦術家、戦巧者だとな」

「間違っていないでしょう。ディラッソ様は、戦術には並々ならぬ関心を寄せていましたし、今回も温故知新の戦術で終始敵軍を翻弄しました」


 最後はちょっと危なかったけどね。どうやら、持ち堪えていた帝国軍右翼のあの軍には、伯爵軍を森に押し付けて半包囲する為に、歴戦の猛者が揃っていたらしい。その分、戦死者たちの名簿も錚々たるものになったが……。


「すべては、君の口添えだろう?」

「まさか。僕はちょっと、幻術を使って軍を偽装してみせただけですよ」


 そういう事にしておいて欲しい。そもそも、アドバイスこそしたが、諸々を考慮して、現実的な戦術に落とし込んだのは、間違いなくディラッソ君の手腕なのだ。きちんと、彼の手柄として数えて欲しい。

 こっちは既に、大量の手柄首のせいでてんてこ舞いだ……。グラの家臣入りも、この機会に正式に決まるらしいし、僕の家臣入りの案も再検討されているとか……。このうえあの勝利の手柄までこっちに押し付けられたら、家臣入りの話が、本格的に不可避のものとなってしまうではないか……。



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