第140話 台風一過・2
「ふむ。まぁ、ショーン殿がそう言うなら、ありがたく手柄は兄上のものとさせてもらおう。家督を継ぐにあたって、やはり武功があるのとないのとでは、発言力に格段の差が生じる。我が家の立場も、安穏としていられる程盤石ではない。正直、断られたら頭を下げてでも、対外的には兄上の手柄にしてくれと頼んでいたところだ」
そう、苦笑しながらこぼすポーラ様。勘弁してくれ……。これから姉の上司になるディラッソ君の、同腹の妹に頭を下げさせたとなれば、グラの立場にも関わる。
ホント、遠慮なく自分のものとして欲しい。こっちは要らないし、そっちは欲しいのだから、黙って有効活用してくれればそれでいい。
「帝国兵は、よっぽど君たち姉弟を恐れているようだな。敗残兵がほとんど野盗化しなかったのも、どうやら第二王国に留まって、君たちと再び
「まぁ、恐れられるような事をしましたからね。その点は否定しませんよ」
僕らが【
ポーラ様はふふふと、まるで弄ぶような笑みを浮かべて続ける。
「帝国に逃げ帰った兵らの間では、君たち姉弟を【
「それは……、ちょっと笑えないですね……」
頼むから、この状況で神聖教を煽るような異名を付けないで欲しい……。
僕はともかく、グラは完全に異教の神の名を冠されているじゃないか……。僕だって、神殺しの巨人や死神を生みだした、巨人なのか巫女なのかよくわからない存在だし……。そもそも男女があべこべなうえ、それじゃ僕とグラが夫婦じゃないか。
それだけ、あの【
いやまぁ、冒険者が異教の神話や異邦の神の名になぞらえた名を付けるのは、それ程珍しい事ではない。たしか、以前ウチに攻めてきた冒険者にも【
だけど、既に死神術式の件で、教会と険悪な間柄なのに、その異名のせいでさらに軋轢が深まってしまう惧れがある。ホント、勘弁して欲しい。滅茶苦茶実害が生じるのだ。暗殺者とか、暗殺者とか、暗殺者とか……。
「まぁ、異教の神話に由来する異名だからな。こちらではあまり広まらないだろう。安心してくれ。サイタンにおいては、兵らを中心に君たち姉弟を好意的に見る向きが強い。ハリュー姉弟がいる内は、帝国兵など恐るるに足らん、とな。実際、君たちが存命の内は、帝国はもう攻めてこないのではないかと、我々も楽観している部分はある」
「それは重畳ですね。アルタンなどでは、まだまだ腫れもの扱いですから。ですが、油断は禁物です。今回みたいに、隙を突かれてしまいますから」
「肝に銘じよう。ともあれ、我々伯爵家としても、サイタンの住民たちの反応には一安心だ。サイタンでも君たちを忌避するような事になれば、我が領は英傑に報いる事も出来ぬ、恥知らずの集まりと認識されてしまう。特に【
たしかに。あの人、戦士としての在り方と扱いには、一家言ある人みたいだしね。常々、アルタンの住民らが僕らに向ける態度が気に入らないと、愚痴をこぼしていた。今回のサイタンの住人たちの反応は、彼女のお気に召しただろうか?
少しだけ話の内容が雑談じみてきたので、別の話題をポーラ様に振る。なお、やはりグラは他者がいる間は、基本的に聞き役だ。
「それで、ナベニ侵攻戦の方はどうなったんです?」
「うん? あまり詳しい事は知らんな。諸悪の根源であった
「まぁ、たしかに劇的ですからね」
ナベニポリスを追放され、あわや娼婦にまで落とされそうになる。だが、いつの間にかアルタンを通じ、帝国に渡る際に竜を得て助力を獲得し、復讐を旨にベルトルッチへと舞い戻った公女。タクティ山麓の戦い、ウォロコ夜襲防衛戦、ナベニ・エウドクシア軍追撃と、ウォロコ反包囲戦の同時攻撃。
悪辣なる
酒場の酔漢たちにとって、普通の戦に、腐臭と蛆をトッピングした、グロテスクなサイタンの話よりも好まれるのは、ある意味当然である。
「ナベニ侵攻戦に関しては、むしろショーン殿の方が詳しいのではないか?」
「さて、なんの事やら……」
「ほぉ。君は、緋熊殿とは随分と仲が良かったと聞いたが?」
しまった、この話題は藪蛇だったか……。面白がるようなポーラ様から目を逸らすように、僕は適当にはぐらかす。
ホフマンさんは、いまでも第二王国内で治療中だ。残念ながら、その両腕と左足の先は切り落とさざるを得なかったが、一命は取りとめた。
脚と手は、少し訓練すれば義足と義手で、日常生活には支障のないレベルになるだろう。流石に、僕の作った程度の代物じゃ、戦闘には耐えられないだろうが……。あとはまぁ、帝国内でホフマンさんの手足を治すのに、【神聖術】の使い手を回せるのかどうかだな。
それでも流石に、あの規模の部位欠損は、一度では全快はできないだろう。
極寒のオーマシラ連峰を独力で――それも、冬眠中の熊を殺し、肉を食らい、毛皮を剥いで越えてきたという事で、第二王国内では畏怖の目で彼を見ている者も多い。騎士たちの間では【オーマシラの
「緋熊殿が、ホフマン商会の会頭として我が領に逗留している間は、随分と親密だったようだな。いま、ナベニ周辺で聖女のごとく崇められている、竜公女殿とも仲が良かったと聞くぞ?」
「誤解ですね。ウル・ロッドとのつながりで、少々厄介な商品を商ってしまったと相談を受けた結果、丁度アルタンを訪れていたホフマンさんに転売したというだけですよ」
「ふむ。緋熊殿は、なぜか二ヶ月もアルタンに逗留していたようだな。商人としてはいささか不審な行動だ」
「商人としてでなく、【暗がりの手】として僕らハリュー姉弟と接触をしたかったのでしょう。ゴルディスケイル島では、少々ゴタゴタもありましたしね。関係を良好に保ち、万が一帝国と第二王国とが争う事になっても敵対して欲しくなかったのでは?」
彼が【暗がりの手】の一員である事は、既に周知である。そこから、僕とホフマンさんとのつながりを勘ぐられるのも、当たり前の事だ。むしろ、そこを疑わないようなら、ゲラッシ伯爵家の危機管理には懸念を禁じ得ない。
とはいえ、だ。
「正式に帝国からの使者として自己紹介されたわけでもありませんし、きちんと関を通ってきた商人との取り引きです。仕官前に他国の人間とのつながりがあったというだけなら、あまり目くじらを立てないでいただきたいですね」
「まぁ、その台詞も、相手が本当にただの商人で、扱ったのがただの娼婦だけなら通るのだがな。よりにもよって、先のナベニ侵攻戦のキーマン二人だ。看過しろというのも、なかなか無体な要求だと思うぞ?」
「当時は、本当にただの商人と商品でしたよ? ホフマンさんが帝国の将として抜擢されたのは開戦後ですし、ベアトリーチェに関しても、帝国が上手くその身の上を政治利用した結果でしょう。供与した武装に関しては、既にディラッソ様からお𠮟りは受けてますから、その点はご容赦を」
「いや、既にそのような些事には誰も着目しておらん。あの時期に、君、緋熊殿、竜公女殿が一緒に行動していたという事実は、取り引きされた竜すらも些事にするだけの事実だ。否。竜という、わかりやすく派手な商品を囮に、なにかしらの密約が交わされたのではないか……というのは、穿ちすぎた見方かな?」
「流石に、その二人と並べられると、ちょっと気が引けますね……。どちらも、この戦の立役者じゃないですか」
韜晦するように苦笑するも、しどけない姿のままのポーラ様は、僕の内心を見透かそうとするかのように、その瞳に冷たい色を湛えて畳みかける。顔こそ笑っているが、その目はこちらを品定めしているようだ。あるいは、敵か味方を判別しているのか。
元々、あまり貴族的なやり取りが得意でないポーラ様だから後者かな。
「君たちハリュー姉弟とて、既にその立役者の一人であろう? たしかに民らは、あまりサイタン郊外の戦いに対して、それ程関心は向けん。だが、国や軍の上層部、各領主はたいそうあの戦を重視している。兄上の名がしきりに語られているのも、そのせいだ」
「これまでは、幻術はあまり戦場向きでないと見られてきた技術ですからね。それが一変したというのは、かなり大きいでしょう」
流石に、一人であれだけの規模の幻影を作れる人間は、それ程多くはないだろう。だが、一人でできないなら、二人、三人でやればいいだけだ。あるいは、多少大がかりなマジックアイテムで代用してもいい。まぁ、その場合柔軟な運用は難しくなるだろうが……。
兵の規模や居場所を偽れるというのは、将からすれば垂涎の能力のはずである。これまでその発想がなかったのは、【魔術】そのものがまだまだ発展途上にあるからだ。
だがしかし、ダンジョンという明確で差し迫った競争相手がいるからか、その発展は日進月歩だ。いずれは、幻術を戦術に応用する輩が出ていただろう。
「いや、幻術だけではない。戦場における【魔術】そのものの価値を、一度ゼロベースから見直す必要があるのではないかと、いまサイタンにいる国軍の将や兄上はしきりに語り合っているぞ。暇を見付けては、延々同じ内容を繰り返しているのだ。なにが楽しいのやら……」
まぁ、楽しいんだろうな、ディラッソ君にとっては。特に、国軍の将という、軍事における知識層の上澄みと意見交換する機会は、伯爵領から出られない彼にとっては、なかなか得難いものだろう。
「君たち姉弟に関しても、我が家に探りを入れてくる者は多い。第二王国、王冠領の主だった者らは勿論、既に帝国や教会からも使者が来ているぞ。今後、我が伯爵領の敵は、あの死神を相手にしなければならないからな。特に、教会にとっては、気が気ではあるまい」
うへぇ……。いやまぁ、想定の内だ。舐められるよりかは、恐れられた方がいい。ここまでやれば、そうとうの馬鹿でもない限り、グラを侮ってかかる者はいまい。
「そんな君たち姉弟と、【
相変わらず、目は笑っていないポーラ様がカラカラと笑いながら問うてくる。冗談めかしているが、やはりこちらの心底を疑っているらしい。まぁ、伯爵家の家臣として受け入れる相手が、帝国のスパイだったら目も当てられないからな。
とはいえ、僕らがスパイだったら、あれだけの被害を帝国軍に与えるわけもない。彼女も、本心から僕らが帝国の先兵だと思っているわけではないだろう。
「流石にその理屈は無茶苦茶でしょう? 帝国のナベニ侵攻の動きは、ホフマンさんやベアトリーチェが伯爵領を訪れる前からのものですし、僕らは単に伯爵領の一員として防衛に動いただけです。特に、僕らの働きは死神術式のせいで注目こそされていますが、他の二人と比べれば、戦争そのものに然したる影響を及ぼすものではありませんでしたよ」
せいぜい、局地戦における功労者程度のものだ。一軍の将として働いた、ホフマンさんやベアトリーチェとは、比べるべくもない。
「ふむ。まぁ、たしかにな……。」
ポーラ様はそう言って嘆息すると、「疲れた」と言って大きく伸びをした。どうやら、追及はこの辺りで勘弁してくれるらしい。納得したかといえば、まぁしてないだろうが……。
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