第14話 主席司祭と教会騎士

 ●○●


「うぅむ……」


 拙がショーン少年との交渉の結果と、彼の幻術についての報告をあげると、上役であるメラ主席司祭は、そのでっぷりと肥えた顎肉を震わせて唸った。白髭に隠れた口元は、彼がいま現在どのような表情をしているのかを覆い、感情を隠す。

 クイントゥス・ドミティウス・メラ・ピウス主席司祭。今時、古式ゆかしく添え名アグノーメンまである名付けに相応しい、かなりいい家柄の出身の主席司祭は、その縦にも横にも巨大な体を揺らして呻吟する。


「……オーカー司祭」

「はい」


 そんなメラ主席司祭が、唸り声をひそめて私に問いかけてきた。重々しい声音は、しかし次の瞬間には跡形もなく崩れ去る。


「どどどどどどどどうしよっ!? コ、コレ、完全に先方を怒らせちゃってるよねっ!? や、やや、や、やっぱり、あんな条件で交渉なんて、無茶だったんだよぉ!」

「落ち着いてください、メラ主席司祭」

「で、でもでもだって! 小生の権限で渡せる利益なんて、ちょっとしたワイン用の葡萄畑とかチーズ作ってる修道院くらいだよぉ!? 噂の悪魔君だって、そんなの欲しがんないでしょッ!? スティヴァーレにあるんだもんさぁ! しかもそれ渡しちゃったら、今度は小生の管理する教会や修道院、孤児院のみんなが困っちゃうんだよぉ!? どうしようもないじゃないかぁ!」


 ぐわんぐわんと頭を振り、膝をつき、べしべしと床を叩くメラ主席司祭。もはや、六〇を前にした大人には見えない周章狼狽ぶりであった。

 チーズは高級食品だから欲しがるかもしれないが、その前提の動物の乳を得る手段というのは限られる。前提、モンスターの出没率の低い土地が必要だ。また、乳は傷みやすく、正しく加工しなければ汚物にしかならない。そのノウハウを一から模索するのも至難だろう。人材ごと囲えれば話は別だが……。

 それ故に、管理が面倒臭いのも事実だ。たしかに、欲しがりはしないだろうな。むしろ、そこでできたチーズの専売権とかの方が喜ばれそうだが、それは既に王侯の名で埋まっているはずだ。

 そして、そんな些細な利権すら手放してしまえば、たしかにメラ主席司祭とその庇護下にいる人間は、路頭に迷う事になってしまう。それらの利権も、彼の実家が、素直に家督を譲ってくれたが故の礼のようなものであり、メラ主席司祭が勝手に譲渡するのも、実際問題難しい。


「そもそもさぁ! こういう事を、小生たち神聖術研究の学徒に任せる事からして、やっぱり駄目だよねぇ!? 畑違いも甚だしいんだけど!」

「メラ主席司祭。話がズレています」

「立身出世と権力闘争は、いかに聖なる教会であろうとも、そこが組織である以上なくなる事はないとはわかっているけれど! だとしても、小生はもうそんなものに振り回されるのはごめんだから、跡目争いを避けて弟に家督を譲り、研究者の道を選んだんだ。だってのにさぁ! ここでもまた権力で言いなりにされるだなんて、理不尽だよぉ! 小生はもう、大好きな魔力の理の研究を――」

「いい加減黙れ、クィントゥス!!」

「はいっ、申し訳ありませんウィステリア先輩!!」


 メラ主席司祭――クィントゥスが即座に立ち上がり、気を付けの姿勢で叫ぶ。歳では圧倒的に若輩の拙ではあるが、逆に【神聖術】の研究者としては圧倒的に先輩だ。クイントゥスは拙の教え子にも等しく、聖職者の身分としては彼が上だが、研究においては拙の方が立場が強い。

……まぁ、だからといって、いい歳をした壮年男性が半ベソで駄々をこねる姿や、こうして素直に自分に従う姿を見せられるというのは、なんともいえない脱力感がある。きっと、彼の弟がメラ家を継ぐ事になったのも、彼のこの性格が不安視されたからだろうな……。


「……話を戻す。ハリュー姉弟との交渉は失敗だ。然るに、さっさと本国に報告し、判断を仰ぐ。……気は進まぬがな」

「うぅ……。これ、絶対過剰反応する人、いるよねぇ……」

「…………」


 クイントゥスの言葉に、拙はなにも返せず押し黙る。たしかに、ショーン少年の言う通り、あの地で大規模な騒動を起こす力は、いまの教会にはない。だが逆に、小規模であれば、できない事もない。

 具体的にいえば、少数精鋭による局所的な襲撃は、どうしたって可能なのだ。教会にも、教会騎士テンプルナイトという戦力があり、そこの生え抜きは上級冒険者よりも、直接的な戦闘能力は上だ。特に、対人戦闘能力に限れば、一人一人が一、二級冒険者に相当するとも聞く。そして、それ故に矜持も人一倍高い。

 そんな連中に、拙の交渉結果をありのまま伝えれば、頭の上で湯が沸かせる程に怒り狂うだろう。結果など、火を見るよりも明らかだ。

 だが、まさか嘘を報告するわけにもいかないし、隠す事もできない。


「仕方がない……。例の幻術の恐ろしさを、嘘なくできるだけ強調する形で報告しよう。それで、上層部が慎重になってくれるのを願う他ない」

「だ、大丈夫かなぁ……? その……。大聖堂ではいま、【布教派】が主導権を握りつつありますよぉ……? 教皇聖下も【布教派】で、だからこそ先のアルタンでの陰謀に加担したとか……。ますますハリュー姉弟との関係が悪化するんじゃないの……?」


 クイントゥスの言葉に、拙はまたも黙る。この男は、気は小さい癖に、こういう権力闘争には先見の明がある。やはり、元貴族という肩書きは伊達ではない。当人に、のし上がるつもりがないというだけで、もしもその気概があれば、跡目争いなど起きなかったかも知れない。


「関係は……悪化するだろうな……」


 やがて、ポツリとそう認める。眼前のクイントゥスが、またも青い顔になるのを、努めて無視して拙は考える。

 報告を上げぬわけにはいかない。そこに嘘偽りを混ぜる事もせぬ。さりとて、このまま座視すれば、神聖教とハリュー姉弟との闘争にも至りかねぬ。その争いが、どこまで波及するかは、正直わからない。

 すぐ終息するならば良し。だが、もしも長引けば、ゲラッシ伯爵領、王冠領、第二王国と、騒動が広がりかねない。下手なちょっかいをかければ、神聖教及び【神聖術】の名を貶めるという、最悪の結果にもなりかねない。


「クイントゥス――いえ、メラ主席司祭台下」

「な、なに――なんだろう、オーカー司祭?」

「報告とは別に、キトゥス司教にもご連絡を願います」

「わ、わかった。内容は?」

「ハリュー姉弟との対立を最大限回避して欲しい旨、それが無理であれば【深教派】の実働部隊を、こちらに回して欲しいと」


 そのセリフに、クイントゥスは目を丸くする。まさか、他国である第二王国の地で、【布教派】と【深教派】の派閥争いでも繰り広げるつもりなのかとでも、思っているのだろう。ある意味ではその通りだ。

 拙は、もう二度とあんな恐ろしい幻術を使われたくない。あの、ギュウと直に心臓を掴まれるような、しっかと脳みそを両手でいだかれるような、あんな経験は金輪際味わいたくないのだ。否。味わいたくないというのなら、一度だって味わいたくなかった。

 つまり拙は、なにがなんでもハリュー姉弟とは、敵対したくないのである。だが、教会と姉弟が敵対すれば、当然その最前線には、我々のような【神聖術】の使い手も派遣されかねない。

 その、最悪の事態を回避する為の努力ならば、なんらの労苦も厭わぬ腹積もりをして、拙はクイントゥスに頷いた。



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