第86話 死出の旅路
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「数に怯むな!! 敵は既に疲れ切っている! 落ち着いて、守勢を堅持し続ければ、我らに負けはない!!」
敵陣から響く、マジックアイテムで拡大された大音声に、吾輩は苦虫を噛み潰したような思いで悪態を吐く。これは、味方を鼓舞すると同時に、我が軍の明確な弱点を指摘する事によって、士気を削ごうという腹だろう。そしてそれは、実に効果覿面だ。
帝国軍は見るからに意気軒昂。対する我が軍は、疲労と強行軍の疲れが滲み、いまにも瓦解してしまいそうな有り様だ。防御態勢を整えた帝国軍約三〇〇〇に、まばらなマフリース連合軍五〇〇〇が襲い掛かってから、既に十数分。数だけならば、たしかに我らに分があると言えようが、しかしそれで、我が軍の優位を信じる者などいない。
「流石は帝国の将だな……。まんまと誘い出されたわけか……」
この戦闘の趨勢など、見るまでもない。敵指揮官の言葉通り、我が軍は疲弊しており、敵は万全の状態で動揺もない。
いかに数のうえでは優位であろうと、あれだけ纏まりの欠けた軍では、有機的な連携は見込めない。もし仮に、この一戦にて帝国軍に勝利できたとて、効果的な追撃に移れるとは、到底思えない。
そもそも、この程度の数の差では、帝国の優位は揺るがない。同数の軍の一部に、武装を解除させて油断していると見せかけ、こちらの勇み足を誘うとは……。なかなかに、思い切った事をする。
さりとて、一度動かしてしまった軍を、このタイミングで退かせるわけにもいかぬ。あとは、いかに損害なくこの戦闘を切り上げられるか、だ。適度に戦闘をこなしたのち、適切な機を見計らって撤退の銅鑼を鳴らすしかあるまい。
「デカント殿……、帝国軍には動揺が見受けられぬように思えるのだが……」
馬上にて戦場を見守る、ジャケパーカの領主の不安そうな声。見れば、他のマフリース連合軍の首脳部も、同様に吾輩の顔を見てくる。然もあろう。
この攻撃は、我らの乾坤一擲だったのだ。それがならずともなれば、もはや勝利など望むべくもない。
「ご安心を。彼らの撤退時には、我らマフリースの精鋭が後詰めを務める。この一戦で、帝国は我らの脅威を感じたはずぞ」
自分でも信じていない言葉には、どうしたって説得力というものが乗らない。帝国にとっては、吾輩は勝ちに逸って悪手を打った愚か者としか映らないだろう。
「吾輩が前線におる間、指揮はジャケパーカの領主殿にお願いしたい」
「わ、私ですか!? い、いえ、私は軍を指揮した経験など……」
「この場で、一番の地位がある貴殿にしか、これは任せられぬ。ついては、指揮官だけにしか伝えられぬ事がある。他の者は、暫時席を外してはくれまいか?」
誰も貧乏クジなど引きたくはないとばかりに、そそくさと離れていく連合軍首脳ら。それぞれ、部下らから指示を仰がれて忙しいのもあるが、なによりも回避したいのは、敗軍の将として責任を取らねばならぬ事態であろう。その被害は、自分たちの
そんな彼らを見送ってから、オドオドとしているジャケパーカの領主に向かって口を開く。
「吾輩は、前線に赴き、そこで討たれる。指揮官の死をもって、連合軍は降伏せよ。然すれば、我々はともかく、我らの故郷が酷い扱いを受ける事はあるまい。それが、貴殿に任せたい指揮官としての役割だ」
「デ、デカント殿っ!? ま、まさか……、自ら死にに赴かれるおつもりか!?」
「我らの故郷が、そこに暮らす民が、帝国の隷奴として扱われ、搾取される事は、これで避けられよう。ナベニにつく事もできず、帝国に寝返る事もできぬ現状、勝利の可能性が高い帝国に、一戦交えてから降伏という形は、結末としてはそう悪くはあるまい。其方らの扱いも、正々堂々と戦った敗軍の将として、最低限の扱いは保証されるはずだ」
「デカント殿……」
まるで、吾輩の自己犠牲にいたく感激したかのような顔で震える、ジャケパーカの領主。そのような、高尚な心持ちなどないのだが、どうにも勘違いされているようだ。
「すまないが、最後に指揮官に就いてしまった貴殿の命の保証までは、できかねる。申し訳ないがな」
まさしく貧乏クジを引かせてしまったこの者には、心底同情の気持ちがある。他の者らも、別に喜んでそれを強いたわけではないだろうが、それでも誰かが担わなければならなかった責だ。
「い、いえ、
「残念ながら、既に向こうもこの軍の指揮官が吾輩であるという点は知っていよう。相手はあの【暗がりの手】を有しておるのだぞ? また、こう言っては悪いが、貴殿に殿軍は無理だ。兵らの撤退が覚束ないでは、無用の犠牲を払うだけよ。指揮能力がある吾輩が生き残るというのも、帝国にとっては面白くあるまい」
「…………」
抗弁できなくなってしまったジャケパーカの領主の肩を、ポンと叩く。吾輩は、この軟弱な隣領の領主を好いてはおらなんだが、こうして死出の旅路を惜しんでくれるというのは、なんとも嬉しく、面映いものだ。
だからか、吾輩は努めて明るく語りかける。
「せめて、マフリースの将デカントは、ここにあったのだと語り継いで欲しい。できれば、故郷の我が子ら、孫らの耳に届くようにな」
「ハッ!! ジャケパーカ領領主、アンドロス・プブリウス・エル・マッケカルクス・アウグストゥスの名にかけて、必ずやデカント殿の勇戦とその気高い魂は、マフリースまでお届けすると誓いましょう。万一、帝国に死罪を申し付けられようとも、必ず成し遂げてみせるとお約束いたしますッ!! 必ずや! 必ずやッ!!」
涙と鼻水を垂れ流しながら、ドンと似合わぬ鎧の胸を叩くジャケパーカの領主に、吾輩は「うむ」と頷いてから、踵を返した。
……相変わらず、どこが名前でどこが家名なのか、良くわからぬ名よな……。いや、家名はマッケカルクスというのは知っておるのだが……、呼ぶときはプブリウスが正しいのだったか? それともアウグストゥスだったか? うん? 個人名がプブリウスで、アンドロスが添え名だったか? 氏族名はアウグストゥスで合っていたよな?
ええい! 黄泉路にまで、良くわからぬ悩みを持ち込みとうないわッ! これだから、無駄に歴史だけ長い名家というものは面倒なのだッ!!
吾輩は、結局一度も名を呼ばなかったジャケパーカの領主に見送られて、部隊を率いるべく馬を駆った。
●○●
撤退の鐘が鳴らされる。疲労し切った我が軍の兵らが、それを救いの調べとばかりに、矛の向きを変えて一目散、自陣へと撤退を始めたところだ。だがこのままでは、敵軍からの追撃をその背で受け、大部分が討ち取られてしまうであろう。
だからこそ、我らが後詰めとして役を果たさなければならぬ。
「征くぞ! マフリースの矜持を示し、我らここにありと知らしめよ!! 突撃ィィィ!!」
追撃に現れた敵雑兵に向かって、
本来、敵陣を食い破る為の騎兵戦力で、敵の追撃を追い散らす。その事が既に、我が軍の敗色を物語っていた。だがもはや、それでいいのだ。下手な期待など、より大きな絶望の呼び水でしかない。
勿論、帝国軍が我らの跳梁を、ただただ指を咥えて傍観してくれるわけもない。すぐに我らに対抗すべく、敵軍右翼後方から騎兵が現れ、こちらに向かってくる。
その数、二〇〇ばかし。対するこちらの騎兵は、五〇と三。いや、いま二になったか。
「ぐ……ッ!? 閣下、お先にご無礼ッ!!」
「応さッ! すぐに吾輩も追いつく故、少し待っておれ!!」
「はっ、お待ちしております……ッ! ぉおお! 帝国の雑兵ども、閣下の道を遮るなど、断じて許さぬぞ!! 私の首一つでも、貴様らの懐には余ろう!! 邪魔をするなァァァァ!!」
手傷を負った配下が、雑兵の群れの渦中へと飛び込む。それでは、いずれ騎馬の突破力は減衰し、雑兵どもの槍に四方八方から突かれ、人馬共に斃れる事となろう。だがそのおかげで、我らに対する歩兵どもの圧力は弱まった。
この僅かな時間を最大限に活かして、体勢を整える。そして、ガタガタであろうとも突撃形態を整えると、敵騎兵に真正面から迫る。
互いの咆哮。騎馬らの
けたたましい、金属と肉がぶつかる音が戦場に響き渡り、怒号と悲鳴が敵味方の双方から放たれる。どう、という重たいものが倒れた音は、馬のものだろうか。それはどちらの騎馬だ? 果たしていま、何人が死に、何人が生きているのか。
そのような余事に割ける思考などなく、吾輩はただただ眼前の敵へと対処する。嚆矢の鏃と化した吾輩の視界には、敵しか映らぬ。ならば一切合切を屠る事にのみ、我が全能は注がれている。
一人の騎兵を槍で突き、落馬させ、次の騎兵を槍の柄で叩き落とす。左右から槍が迫るが、最大限体を仰け反らせて避ける。鎧の胸を擦った穂先が、二条の火花を起こしたが、我が命を刈り取るには能わず。
片方の騎士は、先と同じく槍の柄で叩きつけ、もう片方は左手で把持した柄下を起点に、相手を持ち上げる。愛馬がつらそうに鳴いたが、許して欲しい。ここが踏ん張りどころなのだ。
片手で持ちあがった敵騎兵を、次の騎兵に投げつける。といっても、ほとんど馬の勢いで押し付けたようなものであり、そこまで勢いはなかった。だが、鎧姿の成人男性が、馬の勢いでぶつかれば、それだけで立派な威力の鈍器となる。当然、その騎士が馬上に留まっていられるわけもない。
さて、次――ん?
「なんとッ!?」
戦場に翻る旗に刻まれた紋章を、見間違えようはずがない。それは、古くよりこの周辺で知らぬ者のおらぬ、薔薇と水鳥の紋。エウドクシア家の紋章だった。
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