第87話 ドラキュリア
旗の下には二人の騎士。一人は馬に跨る、体格の良い騎士だが、もう一人は戦場にあっては異様の一言に尽きる。
まず第一に、跨っている生き物が異様だ。おそらくだが、あれが竜というモンスターなのだろう。
ベルトルッチ平野に属しているとはいえ、我らマフリースはパティパティア山脈に面する領地。当然ながら、モンスターの数もそれなりにいる。とはいえ、幸か不幸か竜種が現れる事は滅多にない。第二王国や帝国領の北パティパティア山系では、バスガルのダンジョン由来の竜種が跋扈していたらしい。第二王国や帝国では、それを馴致した例もあると聞く。だがこれまで、実際に目にする機会はなかった。
そして、それに跨る騎士も異様だった。その黒く、艶を帯びない胸甲鎧も、所々から覗く、黄金紛いの色を見せる鎖帷子も、長柄の武器を一切帯びていない姿も、戦場という場所にあっては違和感だったが、やはりなによりおかしかったのは、そのシルエットが女性に見える点だった。
「よもや、エウドクシアの家紋を、ここで見る事となろうとはなッ!! 我が名は! マフリース領将軍、デカント・タラチネスである!! エウドクシア家の騎士とお見受けする! 黄泉路の
エウドクシアに恨みはない。吾輩にとっては、長年ナベニポリスに君臨した名家という認識しかない。海の物であるナベニと、山の物であるマフリースとでは、在り方も考え方もまるで違う。
開戦の切っ掛けでもある、エウドクシア家の家督相続にまつわる不義不仁に関しても、武人として憤りを覚えなかったと言えば、嘘になるだろう。マフリースの自主独立を堅持する為に、領主からの命で、そのような輩とも手を組まねばならなかったのは、実に業腹だった。
無論、彼らとて、帝国という脅威に対抗する為、やむにやまれずとった手段であるというのは、理解できるのだが……。
然りとて、こうして敵として戦場で
吾輩の名乗りに、華奢な方の黒騎士が竜を駆り前に出る。腰に携えていた一振りの戦斧を抜き放つと、それを掲げて高らかと名乗りをあげる。
「我が名は、ベアトリーチェ・カルロ・カルラ・フォン・エウドクシア! 初陣にて、貴殿と相見えられた事、誠に嬉しく存じます! さぁさぁ、いざ尋常に勝負いたしましょう!」
「……なんと……」
思わず絶句する。よもや、帝国が大義名分として掲げたエウドクシアの惣領娘、ご当人とは思わなかった。
だが、思えば当然の事でもある。エウドクシアは、帝国にとってはあくまでも、侵略に綺麗な理由を持たせる為の建前なのだ。戦後も、エウドクシアが帝国にあり続け、盤石な地位を得るには、この戦でたしかな名を残さねばならない。
故にこそ、女だてらに鎧に身を包み、戦功を欲して戦場を駆けるか。ナベニポリスという、長年エウドクシア家の影響下にあった地を遠く離れ、縁故もなく、ひたすらにお家の為に東奔西走。挙句の果てには、戦場にて戦功を立てんと、自ら武器を手に竜を駆る……。
その誇り高く健気な姿は、貴族とはかくあれかしと言わんばかりであり、実に気高いものである。彼女と同じ立場に立たされた場合、自分が同じ事をできるだなどとは、とても言えぬ。多くの者がそうであろう。だからこそ吾輩は、ベアトリーチェ・エウドクシアという、一人の貴族家当主に対し、対等の敬意を払う。
この者の戦功となるのなら、我が首の価値も高まろう。無論、むざむざと取られるつもりはない。だが、戦というのはそういうものだ。彼女の首にも、計り知れぬ価値があり、吾輩もそれを狙っているのだから。
「おうさ!! いざいざ尋常に!」
「はい。尋常に! 尋常に!」
互いに言い合い、タイミングを計り――そして――
「「勝負!!」」
馬の腹を蹴って吶喊する。喉よ裂けよとばかりに咆哮し、最後の疾走とばかりに力を振り絞る我が愛馬に、手綱越しに感謝を伝える。
愛馬の背から伝わる一定の振動が、どんどんと間延びしていき、空気が粘り気を帯びたように重くなる。身体がゆっくりと動いている気がするが、その分細部に至るまで、気を配る事ができる。携える槍は、これまでで最高に手に馴染み、構えた己の体勢は、我が人生最高の一突きが繰り出せるという確信を抱かせた。
「さぁ、届きなさい――【
ベアトリーチェが戦斧を手に唱えれば、瞬く間にその柄には土が絡み付き、瞬時に硬化して長柄と化す。にわかに手斧は斧槍へと変じ、黒の姫騎士は前傾姿勢となった竜の背に跨りつつ、両手でその柄を掴む。
間合いが変わった。すぐに対処せよ。否。やる事は変わらぬ。最高の一突きを。ただただ、己が人生の集大成を――。
一騎打ちの結末は、一瞬である。吾輩の放った一突きを、ベアトリーチェは見事に斧槍で弾いてみせ、横薙ぎに振るった斧頭の刃は吾輩の胴鎧を斬り裂いた。起こった事を整理すれば、ただそれだけの事だ。
そう。それだけの事。なれど、間違いなく我が生涯の結実であった……。
「――――」
もはや「見事」という一言すら、口にできぬ己の不甲斐なさよ……。肺腑が傷付いたか、ろくに息もできぬではな。
事切れる刹那に、その兜がこちらを見た気がしたが、残念ながらその武辺を褒め称えられるだけの時間は、残されていなかった。故にこそ、口元に浮かべた笑顔だけで、精一杯彼女の生き様と奮戦を称えるとしよう。
●○●
「敵軍御大将、デカント・タラチネス殿! ベアトリーチェ・エウドクシア様が討ち取ったり!! エウドクシア様が、敵大将を討ち取ったぞ!! 我が軍の勝利だ!!」
精一杯声を張って、シモーネさんがベアトリーチェの手柄をアピールする。まぁ、彼もエウドクシア家の一員だからね。将来的にも、ここでエウドクシア家の地位を盤石にしておきたいのだろう。
そのシモーネさんの声でベアトリーチェの戦功が伝わり、ついで敵の大将が討ち取られた事によって、緒戦での勝利が確定した帝国軍に勝鬨があがっていく。
僕はといえば【藤鯨】の長さを元に戻してから、腰にかけ直す。まさか、敵の総司令官が、撤退戦の殿軍として出てきているとは思わず、名乗られた際には実に驚いた。
「まぁ、どうやら端から玉砕覚悟だったみたいだな……」
周囲の歓声が大きすぎて、あまりベアトリーチェらしからぬ独り言は、幸いにして誰の耳にも届かない。
渾身の奇襲が失敗した以上、連合軍は今後の抵抗が難しくなる。あんなものは、僕が素人考えでも思い付くような策であり、当然そこにはリスクが伴う。失敗すれば、作戦そのものが瓦解しかねぬ程の、絶大なリスクを。
「どうするんだろうね。これじゃ、ナベニ侵攻の時間稼ぎは失敗なんだけど。まぁ、僕には関係ないか」
そういうのは、帝国のお偉いさんや、攻められているナベニのお偉いさんが考える事だ。僕としては、今回の戦における、最低限こなさねばならない仕事は、これで果たした。
正直、今後はあまりこの戦争に関わるつもりはない。このままなら、たぶん帝国のワンサイドゲームで、この戦は終わるだろうし。
僕は一人でそう納得すると、いま一度地面に横たわる、デカントさんとやらを見やる。実に満足そうな顔で倒れている壮年男性。
……実を言えば僕が、いまここで戦場に立っている理由は、エウドクシア家の立場を盤石にする為、ではない。戦という、人と人が殺し合う場に赴く事で、僕の中にある殺人や食人に対する忌避感の克服、ないしは緩和が見込めるのではないかという思いから、こうして危険を冒しているわけだ。
成果はといえば、あったような、なかったような……。少なくとも、人間だって己の利害によって、人を殺すのだという事実を、肌で再確認できたというのは、それなりに大きい、かな……? いまさらだけどさ。
あと、この人の死ぬ間際の目が、まるで孫の成長を見詰める好々爺のようで、ちょっと心苦しかった……。
なぜか、最初に殺した浮浪者の男の、呆気にとられた顔とか、モッフォとかいう六級冒険者の、憎しみや悔しさの浮かんだ顔とか、それからも僕が手に掛けてきた多くの人間たちの死に顔が、走馬灯のようにフラッシュバックした。そのうえで、この笑顔である……――
「お見事でした、エウドクシア殿! よもや、敵軍大将がお出ましとは、思いもよりませんでしたな!」
一人の帝国騎士が駆け寄ってきて、馬上から僕――ベアトリーチェに称賛を述べる。僕は余事に割かれていた思考を、眼前の状況に向け直す。
いけないいけない。ここは戦場であり、敵は頭を失ったとはいえ、彼ら騎兵部隊の犠牲によって、歩兵らの撤退には成功しつつある。とてもではないが、気を抜いてもの思いに耽っていられるような状況ではない。
こんな事では、またぞろ心配性の我が姉に、小言を言われてしまうな……。
「はい。まさか初陣にて、このような大手柄に預かれるとは、運が良かったと思います」
「いやはや、それにしてもお見事な槍捌き! そこらの男どもにも引けを取りませんな!」
うーん……、これは素直にお礼を言っていいのか? 僕的には普通に誉め言葉なのだが、この世界の女性に向けるべき言葉かと言われると……、判断に迷う。
そこで、相手の騎士も自分の失言に気付いたのか、慌てて言い繕う。
「いや、これはとんだ失礼をした。こちらに、貴殿を貶める意図は、一切ない! 戦友を辱めて喜ぶような恥知らずではないつもりだ。信じて欲しい」
「ええ。あなた様にわたくしを揶揄する意図はなかったのだろうと、理解しておりますとも。だからこそ、わたくしも少々戸惑ってしまいました」
そう、柔らかい口調で返しておく。実際、この人的にはたぶん、同じ戦場を駆ける同輩に向けた賛辞のつもりで、口にした言葉だったのだろう。それは、この慌てようを見てもわかる。
だが、だからこそ、ベアトリーチェとしてはここで、ただ許すという真似はしないだろう。
「ご安心ください。戦場の作法は不慣れでも、社交の心得は十分ございます。もしもあなた様が、あえて嫌味を言っていたならば、わたくしも十倍、二〇倍にして嫌味を返しておりましたわ。わたくし、そちらの戦いでも、あまり負けた経験はございませんから」
「そ、そうか……。うむ。淑女としても、頼もしい限りだなっ!」
取り繕うようにそう言ってから、その騎士は慌てて離れていった。まぁ、ベアトリーチェの性格と立場的に、こんな感じでいいだろう。
なお、あとでめっちゃ怒られた……。僕としては、完璧な悪役令嬢ムーブだったのだが……。
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