第59話 永遠の物のほか物として我より先に

 鏡像の乱立する通路を、俺っちとイニグは進んでいく。

 フバが殺されて以来、問題は起きていない。だが、むしろ何事もないせいで、警戒心はいや増すばかりだ。


「罠がない……?」


 いよいよ緊張も限界だったのか、イニグが声をこぼした。


「そうみたいっす。どういうわけっすかね?」


 俺っちもそう答え、何度目かの小休止に入る。お互いに背中合わせで座り込み、前後を警戒する。


「だが、フバは殺されたんだぞ?」

「そっすね。だから、なにかはあるはずなんす。それはもしかすれば、俺っちたちが警戒している間は、出てこないような罠かも知れねえっす」

「んな罠があるわけねえだろ!?」

「どうっすかね。正直、ここに住んでる子供ってのが、どういう人物なのかは知らねえっすけど、それくらいの事はやってのけて見せそうって、俺っちは思うっす。この地下室だけで、そう思わせるには十分っしょ?」

「…………」


 同意見だったのか、イニグは黙った。しかし、このまま進んでいて良いものか……。なにがあるかわからない、危険な道をただ進むという行為は、非常に消耗する。

 現に、俺っちもイニグも、この鏡部屋の探索を始めてまだ三、四時間程度だというのに、何度も休憩を挟まないと、集中力が保てない程に疲れていた。

 どこかで大休止をとりたくはあるのだが、それでフバの二の舞を演じるのはゴメンだった。だが、そうだな……。


「イニグ、俺っちが仮眠をとるフリをするっす。イニグは周囲を警戒して欲しいっす。俺っちも、寝たフリしながら、警戒しておくっす」

「……そうだな。どのみち、このままじゃ先にこっちが衰弱しかねねえ」


 背中合わせのまま頷き合い、俺っちたちは休息の準備を始めた。


「じゃあ、俺っちは寝るっす。警戒、よろしくっす」

「ああ……」


 顔色の悪いイニグが、もそもそと携行食料を齧りながら応えた。彼もだいぶ参っているようだ。無理もない……。

 仮眠を始めて三〇分。特に、変化はなかった。

 仮眠を始めて一時間。変化はない。さらに三〇分、俺っちは——ッ!!


「そこっすッ!!」


 気配の元に、ナイフを投擲する。そこにあったのは、俺っちの虚像。鏡に映っているはずの、鏡像。

 だがその鏡像は、なんと俺っちとは違う動きをした。俺っちの投擲したナイフを、弾いてみせたのだ。


「んなッ!? どういう事だこりゃあ!?」


 イニグの驚愕の声を聞きつつ、俺っちは駆ける。鏡像だったはずのそれは、即座に撤退を選んだらしく、俺っちの姿のまま、俺っちとは違う動きで駆けていく。

 要は、鏡像のなかに、こちらとまったく同じ姿の刺客を紛れ込ませたのだろう。なんという、悪辣な仕掛けだ。


「うわぁぁあああああ!? ク、クソぉッ!!」


 イニグの悲鳴に、俺っちは足を止める。チッ、そっちにも、奇襲を仕掛けてきたのか。

 鏡像だったものは、一目散に他の鏡像たちの群れに紛れて、消えていった。もう、どれが襲撃者だったのか、判別はつかない。

 追跡を断念した俺っちが、慌ててイニグの元に戻る。彼はちゃんと生きていた。肩に多少の切り傷が付いていたが、かすり傷だろう。


「大丈夫っすか?」

「く、くるなッ!?」


 俺っちが声をかけると、切羽詰まった表情で脂汗を流しながら、剣を抜いた姿勢で俺っちを見ている。俺っちが本物なのか、疑っているのだろう。


「落ち着くっす。俺っちは本物っす」

「ど、どうやって証明すんだよ!?」


 どうやって?

 困った、そういえば存在証明の方法がない。俺っちとイニグは、今日初めて顔を合わせた間柄だ。当然ながら、お互いしか知り得ないお互いの秘密などない。

 であれば、姿形までそっくりだったあの襲撃者でない証明など、できようはずもない。


——疑心暗鬼。


 なるほど、これがこの部屋の仕掛けか。なまじ、他に罠がないからこそ、疑いの目が仲間に向く。

 なにせ、常にそいつがチラチラと視界に入ってきて、そのなかに敵が潜んでいるのだ。


「証明は無理っす! それはお互いにそうっす! イニグにも、イニグの証明ができないっす!」

「あ……、じゃ、じゃあ、どうすんだよ!?」

「イニグ、中級冒険者の心得、覚えてるっすか?」

「こ、心得?」


 事前情報では、ここに住む子供は、下級冒険者だそうだ。つまり、中級冒険者の心得を合言葉にすれば、子供が知らない情報を互いに開示できるという事になる。

 だから俺っちは、まず自らの証を立てる。


「ダンジョンは暗い場合もある、だから明かりを持っていくべし! どうっすか、イニグ?」

「あ、ああ! そういう事か! たしか、え、ええっと……、ダ、ダンジョン探索は時間がかかるから、飯をちゃんと持ってけって話だったはずだ!」

「そうっす! これは下級冒険者であるここの主人も、ウル・ロッドの連中も、まず知らない合言葉っす!」

「な、なるほどな! で、でもよ、俺、その心得あんま覚えてねえぞ?」


 だとすると、この合言葉は、使えてあと一回という事になる。というか、機密性という意味では、かなり緩い合言葉だ。本当なら、証明としては信頼性に欠ける。

 だが、イニグが落ち着いて、こちらを信じたなら、それでいい。


「そ、それよりも、ありゃあなんだ? モンスターか?」

「まさか。ダンジョンでもない場所に、モンスターなんて……」


 言いかけて口籠る。まるで人造ダンジョンのような、この地下施設。そこに、モンスターと思しき異形の襲撃者。

 これは、ここがダンジョンであるという可能性の示唆ではないか?


「おそらくあれは、鏡像に紛れてターゲットの背後に忍び寄り、襲いかかる類の存在っす。だから、警戒心の薄いフバが、真っ先にやられたっす」

「まるで、この場所に合わせたような生態だな」

「というか、ここ以外だと生きてけないっす。そんなモンスターなんて、いるんすかね?」

「俺が知るわけねえだろ」


 敵の姿を真似て、敵の背後から忍び寄る。この、鏡が乱立する場所でこそ脅威だが、そうでなければハッキリいってただの雑魚だ。外に出れば、特に苦もなく倒せるモンスターだろう。それが本当にモンスターだとしたら、だが。


「……モンスターだったとしたら、これは由々しき事態っす。もう抗争だなんだと、遊んでいる場合じゃないっすよ……」

「あ、ああ……。町中にダンジョンがあるなんざ、悪夢以外の何物でもねえ。ニスティスの都の再来なんざゴメンだぜ……」

「俺っちもっす」


 ニスティスは、かつて栄えていた大都市だ。しかし、その大都市のなかにダンジョンが出現した事で、ニスティスはそこに住む民諸共に滅びた。その跡地にいまなお存在するニスティス大迷宮は、世界でも有数の大規模ダンジョンだ。

 これは、この地域一帯では、子供でも知っている話だ。


「でもなぁ……」

「なんだよ?」

「あの襲撃者がモンスターってのが、どうにも腑に落ちねえんすよ。なんというか、もっと無機的な存在のように思えたっす。どちらかというと、属性術の土属性で操る、ゴーレムに近い感じっつーか……」


 たしか、魔導術でも似たような人形が作られていたはずだ。もしかしたら、あの襲撃者はそれかも知れない。


「ど、どうしてそう思うんだよッ!?」

「だってあの襲撃者、寝ている俺っちと同じ姿勢で近付いてきたんすよ? つまり、微動だにしない相手と同じ姿勢で、少しずつ少しずつ、一時間半かけて進んできたって事っす。それって、生き物だったら神経すり減るような真似っすよ? やれって言われてできるっすか?」

「そ、それは……」


 言い淀むイニグに、さらにたたみかける。


「百歩譲って人間ならできるかも知れないっすけど、モンスターがそれをしたって信じられるっすか? ある程度忍び足で近付くとかならわからなくもないっすけど、一時間半っすよ?」


 あれがモンスターという生物であれば、息を潜めて忍び寄るといっても、限度があるだろう。その点、無機物だったと考えれば、合点がいく。


「そして、この場所とあの襲撃者の適合性っす。いかにも、この場所で使う為だけに作られた存在って感じじゃないっすか。あまりにも合致しすぎていて、モンスターという方が不自然な程っす」


 そもそも、もしここがダンジョンなのだとしたら、他にモンスターがいないのは不自然だ。ここまで進んで、ようやく二体だけモンスターが現れるようなダンジョンなど、ギルドの資料でも見た事がない。


「そして、下手にダンジョンだと騒ぎ立てて、もし違ったりなんてしたら、やべえなんてもんじゃねえっすよ?」

「というと?」


 ただ単に、地下の防衛施設をダンジョンと勘違いしたというだけならば、お咎めはない。だが、俺っちたちはいま、不法侵入中なのだ。

 冒険者ギルドなり、衛兵なりに訴え出た場合、俺っちたちはその不法性を自ら認める事になる。そして、勘違いだった場合は、ただただ自分たちの犯行を認めただけのアホに成り下がる。


「そしてそうなったら、特にヤバいのは、ウル・ロッドっすね」

「ヤバいってのは……?」

「町中にダンジョンが生まれる。それはたしかに、ニスティスの再来とも呼ぶべき事態っす。当然、ギルドも国も総力をあげて調査するっす。でももし、それでここがダンジョンじゃないってわかったら、ギルドや国はどう思うっすかね?」


 ただでさえ、ダンジョンを検知するマジックアイテムの使用には、良質の魔石がそれなりの量必要になる。

 無論、ニスティスの例もあるので、定期的に町全体を調べてはいるが、本来ならそのマジックアイテムは、周辺地域のダンジョンを索敵する為に使うものなのだ。

 そんなものを、わざわざ町中で使わせて、成果がなかったら……。


「ど、どう思うんだよ?」

「ウル・ロッドが目障りな存在を潰す為に、ギルドや騎士団を使嗾した、と認識されるっすね。そんな事を、ギルド、領主、国が許すはずないっしょ?」


 俺っちが言った言葉の意味を察したのか、ゴクリと喉を鳴らしたイニグ。彼がなにを想像したのかは、容易に察せる。

 国と一マフィアとの、全面衝突。ウル・ロッドにまず勝ち目はない。


「まぁ、そのとき俺っちたちは、自ら不法侵入を認めたアホとして、投獄されてるっすし、関係ないっちゃ関係ないんすけどね」

「バ、バカ野郎! 俺は捕まりたくなんかねえぞ!?」


 慌ててそんな未来を否定するイニグ。

 俺っちもゴメンだ。なにせ、そのとき俺っちたち二人は、表の社会でも裏の社会でも居場所をなくしているのだから。


「だったら、一回あの襲撃者を撃退したいっす。もしここがダンジョンなら、モンスターは倒しても霧消するっす」


 稀に体の一部、魔力の強い部分を残したりするが、ダンジョンでは大半のモンスターは魔石を残して霧のように消える。ごくごく稀に、ほぼ全ての肉体を残すものもいるが、それは本当の本当に例外だ。

 一〇〇〇体中、一体いるかどうかという確率だ。


「倒して消えたら、ここはダンジョンに間違いないっす」

「もし……、消えなかったら……?」

「ダンジョンじゃない可能性が高いんじゃないっすか? 消えないモンスターの方が稀なんすから、消えなかったらモンスターじゃなく、やっぱりこの地下施設の罠の一部なんすよ」

「…………」


 深刻な顔で黙り込むイニグ。なにやら思い詰めているようだが、大丈夫だろうか。


「イニグ、もしかしたらこの部屋にも、なんらかの幻術が使われている可能性もあるっす。定期的に、生命力で【強心】を使っておくっすよ?」

「……ああ……」


 イニグの思い詰めた声が、どうにも引っかかったものの、俺っちたちは件の襲撃者を探しつつ、探索を続けた。



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