第58話 第一の愛、我を造れり
「これは、鏡っすか?」
「すげーな。これだけのガラス鏡、地上に持っていけたら一財産だぜ?」
「持って行けたらな……。っていうか、ここの主だっていうガキは、どこからこれだけの鏡を集めたんだ? 目立つだろ?」
俺っち、フバ、イニグの順に、部屋の威容に感嘆の声をあげる。
フバの言う通り、天井も床も、そして通路になっている壁も、四方八方が鏡になっている部屋。その鏡に、俺っちたち三人が何人も何人も映り込んでいる。
たしかにこれがすべてガラス鏡なら、一財産どころではない。お貴族様並みの財力だ。
そして、イニグの言う通り、これだけの鏡を集めようとすれば、確実に目立つ。ましてスラムに運び込むともなれば、噂にならないはずはない。
だが、俺っちはそんな話を耳にしてはいない。不自然だ。
「とはいえ、当初の予定通り少し休むっす。俺っちとイニグは、生命力と魔力の回復に専念するっす。フバ、その間の護衛を任せても大丈夫っすか?」
「おうよ! つっても、俺も怪我してんだけどな」
そういえば、フバは吊り橋で全身に矢を浴びていた。急所こそ避けていたものの、それなりに怪我を負っている。彼にだけ負担を強いるのは、フェアじゃない。
「そうだったな……。フバがピンピンしてたから、忘れてたぜ。じゃあ、やっぱり交代にしよう。一人ずつ、一時間警戒すればいいだろう」
「いや、イニグは生命力を削ってるから、十分に休む必要があるっす。俺っちとフバで、一時間半ずつ警戒すればいいっすよ」
生命力の消費というのは、ときに致命的な事態をも引き起こしかねない。ここでイニグに無理をさせるより、回復の早い俺っちや、軽症であり、これ以上傷が悪化する恐れもないフバが、均等に負担をするべきだ。
というか、当初の三時間フバに負担を強いるという案は、いくらなんでも理不尽すぎるだろう。どうやら俺っちも、魔力が少なくなっているせいで、頭が回りづらくなっているらしい。
扉のすぐ側で、三人座り込む。イニグは携行食料を水で流し込んでから、すぐさま横になった。俺っちとフバは、少しだけ言葉を交わす。
「どうもこの鏡、ガラス鏡じゃないようっすね」
「そうなのか?」
「触った感触が、ガラスとは違うっす。磨き上げられた大理石みたいな感触なんすよ」
「へぇ……、そんなのもわかるもんなのか……」
「まぁ、勘みたいなもんっすから、あまりアテにされても困るっすけどね」
だとすると、ガラス鏡を他所から持ち込んだわけではないのだろう。しかし、だったらそもそも、この鏡はなんなのか、という話になる。
「ホント、不思議な場所っすね……」
そう言ってから、俺っちも横になる。まずはフバに見張りを担当してもらって、魔力の回復を図る。冷たい床に寝転がるのは、生命力回復の妨げとなるが、贅沢も言っていられない。
「こんな事してたら、後続のやつらが追い付いてくるんじゃねえのか」
仮眠によってぼんやりとした意識のなか、フバのそんな声が耳に届いた。それもいいかもなと、ウル・ロッドに自らを売り込むつもりもない俺っちは、無責任にそう思ったのだった。
それが、俺っちが聞く、フバの最後の声だとは、そのときは知るよしもなかった。
「あぎゃああああああああああああああッ!?」
絶叫。俺っちはガバりと身を起こした。既に、取り出しやすいところに装備していた短剣を、両手に携えている。
だが、一瞬俺っちは、誰がどこで悲鳴をあげているのか、把握できなかった。いや、誰がはわかる。この場合、どれがと表すべきだろう。
真っ赤な鮮血を撒き散らし、のたうち回るフバ。彼が悲鳴をあげているのはわかる。だが、壁、天井、床に映る鏡像の、どれが本物のフバなのか、一瞬わからなかったのだ。
だが、判別する手段が皆無というわけではない。俺っちは、床に広がるフバの鮮血から、彼の位置を特定し駆け寄る。俺っちと一緒に、俺っちの鏡像まで動くせいで、気が散ってしょうがない。
「おい、大丈夫っすか!? フバ、聞こえるっすか!?」
声をかけてみるも、反応はない。失血具合、呼吸、鼓動の有無、そして目の感じを見るに、もう無理だというのはわかっていた。せめて、意識でもあればどうしてこうなったのか、聞き出す事は可能かも知れないと声をかけたが、意味はなさそうだ。
「フェイヴ、なにがあった?」
俺っちからそう遅れず、イニグも駆け寄ってきた。そして、フバの様子を見て絶句する。
「わからねっす。俺っちも仮眠中だったもんで」
「くそ……っ! おい、フバ! 起きろ! なにがあった!?」
「ダメっす……、背後から胸を貫通されてるっす。もう息はないっす」
「クソッ!!」
仲間が一人死んだというのに、事態が把握できずに悪態を吐くイニグ。その苛立ちはわかる。
フバはどうして死んだ?
ここの壁は、すべてが鏡だ。四方八方に俺っちたちの像が反射して、奥行きや方向感覚まで惑わしかねないような部屋だ。だが、逆にいえば、鏡のせいで他に仕掛けを仕込める余地がない。
鏡像に歪みや穴があれば、それに気付かないわけがないのだ。
「どうやら、この部屋にもなんらかの仕掛けがあるようっすね」
「そうだろうな。クソガキが!」
地下室の主である子供に対して、唾でも吐きかけるように悪罵を放つイニグ。そうとうに、精神的に追い込まれているようだ。
「クソ、クソ、クソッ!」
「落ち着くっすよ、イニグ。ここで取り乱すのは、敵の思う壺っす。ここでの休息は諦めて、先に進みましょうっす」
地団駄を踏むように足元の壁を蹴り始めたイニグを落ち着かせようと、俺っちは声をかける。冒険者崩れであるイニグは、それで落ち着きを取り戻しつつあった。
こういうとき、冷静さを欠く事が死に直結するのだと、経験で知っているのだろう。
「ふぅぅう……」
大きく息を吐き出したイニグは、気を取り直すように「悪い」と言ってから、俺っちを見返す。
「なんすか?」
「なぁ、フェイヴ。あんた、うえのマフィア連中が、ここまでたどり着けると思うか? いや、ここまでは来れるかも知れねえが、この先も進めると思うか?」
「それは……」
吊天井と吊り橋なら、タネも割れている以上、少しずつなら損害も少なく突破できるだろう。皆無になるとは思えないが。
だが、あの暗闇の部屋は、人数が増えれば増える程、混乱は増す。俺っちたちが易々と突破できたのは、属性術も一因ではあるが、人数が少なかったという方が大きい。
まして、本隊はフバと同じ、マフィアやそれ以下のチンピラたちなのだ。最初にあの部屋に入った二人組の二の舞になる未来が、容易に想像ができる。
そして、そこを突破してもこの鏡部屋だ。ここになんらかの危険があるというのなら、件の子供の拠点はさらに奥という事になるだろう。もしかしたら、まだまだ先は長いのかも知れない。
そんな場所を、フバと同じような連中が、探索する? 七〇〇人という数が、なんのアテにもならない。
「もしもだ。ウル・ロッドがここに七〇〇の兵を突っ込んだとして、それが全滅したらどうする?」
「ウル・ロッドにとっちゃあ、死活問題……っていうか、ほぼ終わりっすね。他の組織に舐められるどころじゃないっす」
「そうだ。だとすると、今回俺たちが命を懸けて進んだって、報酬が無価値になるって事じゃあねえのか? これ以上、命の危険を冒してまで、先に進む意味ってあるのか?」
なるほど。イニグの言い分は、わからなくもない。
イニグが今回、ウル・ロッドの招集に応じたのは、いわば自らを売り込む為だ。だとすれば、その組織そのものが弱体化するのが目に見えているのに、これ以上危険を冒す意味は少ない、と考えるのは自然だろう。
だがそれは、ウル・ロッドが弱体化すれば、という前提に基づく話であって、そうでない可能性だって十分にある。
「たしかに、人海戦術でここを突破するのが不可能な以上、無理に突破を試みれば犠牲が増えるのは確実っす」
「だろ?」
「それでも、今回の襲撃が必ず失敗するとは言い切れないっす。あの暗闇の部屋だって、俺っちたちが戻って、仕組みさえバラしてしまえば、犠牲覚悟で抜ける事は、できなくはないっす。そのとき、イニグはどうするっす?」
「うっ……」
ウル・ロッドが勝利した場合、ここで任を投げ出したイニグや俺っちは、彼らの顔に泥を塗ったという事になる。立場は、ここに住むという子供と同じだ。
俺っちはともかく、既に表社会をドロップアウトしたであろうイニグにとって、それは強すぎる逆風だろう。
「とはいえ、たしかにちょっと、厳しいっすね……」
この鏡部屋になにがあるのかはわからないが、既にフバが死んでいる以上、生半可なものではないはずだ。暗闇の部屋からここへ抜けたマフィア連中が、さらにここを突破できるのか。突破できたとして、そこに子供はいるのか。
そして最大の懸念は、最終的に子供を見つけて、なんらかの報復が成就したとして、そのときウル・ロッド側の人間が、何人生き残っているのか、だ。
子供一人を殺す為に、三〇〇人を犠牲にしたともなれば、組織の弱体化は免れ得ず、また外聞は非常に悪い。張り子の虎だと思われれば、他の裏組織や他所から参入する連中に、ウル・ロッドはたちまち蚕食されるだろう。
目的の達成が困難であるという、イニグの意見はもっともだ。正直、いまからでも引き返して、あのママに撤退を進言するのが、賢い判断だろう。
この場合、問題になるのは俺っちたちの身の安全だけだ。
「この部屋にある危険が、ウル・ロッドに致命的な損害を与え得ると確認できたら、戻って報告を優先するのも手っす」
「……そうだな」
組織に致命的な害が及ぶ可能性があったから、という理由であれば、言い分は立つ。ウル・ロッドの顔に泥を塗ったとは思われない。
「その為には、なにがフバを殺したのか、確認する必要があるっす。慎重に進むっすよ?」
「ああ……」
俺っちは、強ばった顔のイニグと一緒に、鏡の通路を進んでいく。
無数の虚像。
薄暗かった他の部屋と違い、明るいこの部屋では周囲の様子がよくわかる。だからこそ、俺っちとイニグの姿が動くたびに、全方位を警戒している神経が、過敏にその動きを捉える。
一つ前の暗闇の部屋は、なにも見えないからこそ恐怖心を煽られたが、この部屋は逆だ。見えすぎるからこそ、集中力が削がれる。
慎重に慎重に進む俺っちたちは、しかしそんな部屋を着実に進んでいった。
「ちょっと休もう……」
「そっすね」
二〇分程進んだところで、俺っちとイニグは背中合わせで小休止をおく。流石に、二〇分も神経を尖らせていたせいで、気疲れしたのだろう。
背中合わせなのは、フバのように背中から攻撃されるのを防ぐ為だ。
「ここまで、罠らしい罠はなかったっすね……」
「ああ……。ただ合わせ鏡になった通路があるだけだった……」
「それはそれで、方向感覚や、下手したら平衡感覚まで狂いそうで、難儀するっすけどね」
鏡の通路は、奥行きや方向を見失いやすい。しかも、通路の形状が画一的でない為、鏡像が乱反射しており、通路の先から突然自分の姿が現れる、なんて事もままある。
正直、罠はほとんどないのに、この鏡のせいで精神の消耗は、これまでの道のりよりも激しいといわざるを得ない。
「まさか、鏡にこんな使い方があるとは、思わなかったっすね……」
合わせ鏡にすると、無数の虚像が生まれるという話は、聞いた事があった。ガラス鏡自体、あまり普及しているものではないうえに、大きなものはさらに高価である為、これだけの規模で鏡を使う事などまずなかった。
それがこれ程までに厄介だとは……。
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