第24話 民族衣装と伝統
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僕らがパジャマに使っているダルマティカもどきによく似た、白いビザンチンファッションのゲラッシ伯が、ゲラッシ伯爵家家臣団の一同が会すホールに現れる。ゲラッシ伯のその姿に、会場は大きくざわめいた。
周囲の家臣団の礼服は、ツーピースかスリーピースの、所謂洋服に近いものだ。なかには軍服のような詰襟のものや、モーニング・コートや燕尾服のような丈の長いものもある。全体的に落ち着いた服装なのは、彼らが貴族ではなくその家臣だからだろう。
ここに貴族がいたら、その財力をわかりやすく示す為にも派手な刺繍や、上質な生地や技術の粋を凝らして染め抜かれた布などが用いられ、かなり目に痛い事になっていただろう。
第二王国においても、礼服のトレンドはこういったスーツにスラックスといったものだ。では、ゲラッシ伯の装いは場違いなのかといえば、そうではない。むしろ、かなり格式高いものとなる。格式高すぎて、誰もが事態の重大さを一目で察する程だ。
そして目敏い者は、長男のディラッソ君の姿が未だに見えない点に気付き、本日の集まりの内容を察しては、周囲の者と密やかに言葉を交わし始めていた。
だがそれも、白い伝統的な装束に身を包んだゲラッシ伯が、ホールの奥で一段高くなっている、舞台というよりはただの上座といった壇上にあがり、声を発するまでだった。同時に、僕らに注がれていた奇異なものを見るような視線も、ようやくなくなる。
ふぅ、やれやれ……。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。こうしてワシの呼びかけに応えてくれた事、誠に嬉しく思う」
家臣団を睥睨し、ゆっくりと言葉を紡ぐゲラッシ伯。彼をゲラッシ伯と呼ぶのも、今日までになるのかも知れない。多くの家臣らが、きっとそう思ったのだろう。会場内は水を打ったような厳粛な空気に包まれる。
古くは大帝国の流れを汲む第二王国にとって、ゲラッシ伯の姿は由緒正しい装いである。また、その装いができる事自体が、第二王国内では一種のステータスともいえた。なにせ、第二王国の貴族以外がやっても、それは言ってしまえばただのコスプレにしかならないのだから。
とはいえ、服飾というものにはトレンドが存在し、古ければいいというものではない。実際、僕ら姉弟を含めてこの場に集う面々に、同じようなビザンチンファッションの者は皆無である。
時代の流れと共に、流行り廃りが起こり、それに合わせて衣装を新調するのも、貴族としては欠かしてはならない義務である。それを『しない』という事は、周囲からは『できない』と見做され、嘲笑の対象となる。
だがそれと同時に、伝統を守り、後世に伝えていくのも貴族の大事な仕事である。故に、冠婚葬祭といった大事な節目において第二王国貴族は、大帝国や、ひいては聖ボゥルタン王国の伝統的な衣装を纏うのである。
そんな、日本でいえば衣冠束帯に身を包んだゲラッシ伯が、先の戦における家臣らの貢献と戦功に、感謝と称賛を述べ、逆に非協力的だった者に対する罰則や、賠償として帝国領の一部が割譲された点について告げる。自分の報告に、多くの家臣らが顔を綻ばせたり、厳めしい顔で頷いていたり、バツの悪そうに顔を逸らしているのを確認してから、ゲラッシ伯は本題とばかりにゆっくりと、重々しく言葉を紡ぐ。
「――先の戦によって、我らゲラッシ伯爵家はより強い紐帯で結束し、新しい風が吹き込んだ。既に察している者もいよう。これを機に、ワシも己の去就を考え、倅のディラッソに伯爵位を継がせようと決めた」
「そんな! 閣下はまだまだお元気ではございませんか! 引退などお早くございましょう!?」
「この機を逃すは伯爵家の為にならん。其方のワシに対する忠節には感謝するが、いまが潮であろうて」
重臣の一人が翻意を促そうと提言するも、ゲラッシ伯の意志は強く、にべもない返答で切って捨てる。その態度が、既にゲラッシ伯の引退の意思が固いという事を物語っていた。
そして、現在伯爵の側近である者以外にとっては、ゲラッシ伯のその言葉は頷くにたるものだ。
王国中央から封じられたゲラッシ伯の威令は、王冠領の一部であるゲラッシ伯爵領においては然程強くない。その影響は、家臣団内部の派閥形成や、組織行動にも悪影響を及ぼしていた。
先の戦において、ディラッソ君の招集に応じなかった者が多かったのも、劣勢であったのも理由の一端ではあるが、根本には伯爵家に対する侮りがあったのだろう。
そんな中、ディラッソ君が赫々たる戦果を立て、自らに反発する家臣、土豪をその手で罰して回った。伯爵家に仕える家臣たちにとっては、現ゲラッシ伯よりもディラッソ君の方が『頼りになる』と思われいても、なんらおかしくないのである。
伯爵家の威令を強めるならば、たしかにいましかないといえる。ゲラッシ伯自身も、健康的にはたしかに問題はないものの、それなりに老齢であり、引退をしても然程おかしな年齢ではないのだ。
「しかし閣下……」
「先日、このような事があった」
なおも食い下がろうとした家臣に、ゲラッシ伯が心底疲れたような声音で語り始める。
「重臣でありながら先の戦への参陣を拒んだ者が、ワシにディラッソへの取りなしを依頼してきたのだ。ディラッソはその者の一族郎党を領外追放に処したが、なんとか自らの引退と、倅への当主交代で許してほしい、とな」
ゲラッシ伯が、まるで自嘲するように哂う。その重臣の醜態に対する嘲笑ではない。そのような要請を受けるような、これまでの弱い己の立場に対する、侮蔑とやるせなさの憫笑だ。
「わかるであろう? ワシは領内の重臣にすら、これ程侮られておったのだ」
「…………」
「ワシの倅を蔑ろにし、その命すら危うくした莫迦に、自分の倅を跡取りに付けてくれ、知行地はそのまま残してくれ、罰は形ばかりにしてくれと頼まれるような、軽い神輿であったのだ。無論、愚か者はその場で斬り捨て、その者の一族はディラッソの決定通り放逐した」
静かな口調に、しかしそのときの事を思い出したのか、隠しきれぬ憤怒が覗いていた。
いやまぁ、わかるけどね。よりにもよって、今回の一件の罰の寛恕を、ゲラッシ伯に頼むかね……。一番危険に晒されたディラッソ君を差し置いて、重臣の後継ぎを優先しろというのは、まるで主従が逆転している。
怒りを呑み込んだのか、続けて話し始めるゲラッシ伯。だが今度は、その声に覇気というものが一切感じられない。
「だが、虚しかった……。ワシのこれまでの人生は、統治に費やした苦労は、あのようなバカに伯爵家を侮らせるような真似だったのか? ディラッソを始めとした子供たちを、家臣という名の獅子身中の虫に食い物にされる為だけにあったのか、とな……」
まるで、いまにも落涙しそうな程の弱々しい声音。これまで伯爵家を支えてきた重臣にすら、果断な跡取りより、立場の弱い現当主の方が扱いやすいと思われていたのだ。
己の半生が否定されたような思いだろう。さらに、跡を継ぐディラッソ君や、それ以外の子供たちを、食い物にしようとしている寄生虫に捧げようとしていたともなれば、その憔悴と落胆も仕方がない。
「閣下! 無駄ではありません! 無駄ではありませんぞ!! 閣下のなされた事は、一度亡びた伯爵家を再興し、盤石な土台を築く大事なお仕事にございました!」
「左様!! 我ら家臣一同、閣下と共にこれから営々続く伯爵家の礎となれた事、大変喜ばしく思っております! どうか、そのような悲しい事をおっしゃらないでいただきたい!」
「そうです! なにより、閣下が良き領主であったからこそ、ディラッソ様という良き跡取りがお育ちになられたです! それこそ閣下の薫陶の賜物にございましょう!」
「左様左様! そのような不義不忠の輩と我らを一緒になさいますな! どうかそのような卑下をなさいますな! ご立派なご当主振りにございました。一緒に領内を奔走し、統治に勤めた日々、楽しゅうございました!」
「必ずや我ら家臣一同、一丸となって若を――いえ、新たなご当主様に誠心誠意仕え、節を曲げずに支えていきたく存じます! ご立派にございました!」
家臣団から、ゲラッシ伯に対する激励と賛辞が飛び交い、彼を引き止めようとしていた家臣は肩身が狭そうにしている。他の家臣らから飛んでくる視線は、まるで裏切り者に向けられるような刺々しいものだ。
一度で引き下がっていたら、ここまで白眼視される事もなかっただろうに……。
「父上、皆の言う通りです!」
そこで現れたのは、跡を継ぐはずのディラッソ君だ。元々、あとから呼ばれるはずだったのだろうが、あまりに遅いので登場の機を窺っていたようだ。
服装は、他の客と同じようなスーツである。いまだ伯爵位を継いでいない彼は、ダルマティカを着れないのだ。いや、着れる事は着れるが、空気の読めない子扱いで、白い目で見られてしまうだろう。
「ゲラッシ伯爵領は父上の献身があったればこそ、いまの安定を取り戻せたのです! でなくば、先の蛮族の侵攻からの復興も、帝国とナベニ共和国との戦の際に、スパイス街道からの税収が半減した際にも、この領は崩壊していたでしょう!」
力強く語るディラッソ君の言葉に、多くの家臣たちが頷いている。まぁ、復興事業というのは、地味で時間がかかるくせに、他から評価されるような仕事でもない。それに努め、一代でその痕跡がほとんど見受けられないまでに復興なさしめた点は、たしかに賞賛に値するだろう。
「私はこの目で、父上の働き振りを見てきたからこそ! 次期領主として立つと、己の意志で定めたのです。皆にも宣言しておく! 私は必ずや、父上のような立派な領主となり、ますます伯爵領を盛り立てていくと約束しよう!!」
「「「我ら家臣一同、これまで通り、そしてこれまで以上に、伯爵家を支え、盛り立てていくとお約束いたします!」」」
息子と家臣団の宣言に、ゲラッシ伯は顔を綻ばせ、安堵するようにこぼす。
「……ああ、よろしく頼む……」
感無量といった声音で、言葉を詰まらせるゲラッシ伯の両肩に、労うようにディラッソ君が手をおき、力強く掴む。しっかりとバトンは受け取ったとばかりに。
わっと会場は盛り上がり、歓声と拍手が轟々と鳴り響く。僕とグラも、とりあえず拍手はしていた。
それにしても、ゲラッシ伯もディラッソ君も役者だなぁ……。
僕ら姉弟は、彼らの思惑通り、周囲の喧騒に埋没する事に成功したのだった。
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