第25話 しがらみ形成

 ●○●


 ゲラッシ伯の代替わり発表は、予想通りかなりの驚きをもって家臣団には受け取られた。いかに戦功があるとはいえ、ディラッソ君はまだ三十代と若い。頼りないというわけではないが、伯爵領の全権を担うのは尚早と思う者も多い。

 まぁ、それ以上に現ゲラッシ伯から次期ゲラッシ伯への移行が急すぎて、根回しが終わっていない家臣が多いというのが、動揺の一番の理由だろう。現ゲラッシ伯の側近や重臣の中には、それ程ディラッソ君と懇親を結んでいなかった者もいたようだ。

 今後もそれでは、いまはまだ領内でそれなりの立場があっても、いずれ主流からは外れていく事になる。どのような組織であっても、急激な組織再編や改革というものがもたらす混乱は、誰にとっても喜ばれないものである。

 いやまぁ、僕らとしては喜ばしいけどね。案の定、ディラッソ君の次期当主発表のついでに伝えられた、グラの仕官話など大火の中の蝋燭のようにしか思われていない。


「楽しんでおられるかな?」


 話しかけてきたのは、老齢の紳士だった。家臣団の一人だとは思うが、いまだに自己紹介も交わさぬ内には、どこの誰か見当もつかない。


「いやはや、皆様お忙しい模様でして、どうにも……。初めまして、私はハリュー家当主、グラ・ハリューと申します」


 僕は、堂々とグラを名乗る。その隣で、男装のグラが控えめにお辞儀する。


「……弟のショーン・ハリューと申します」


 まぁ、流石にいきなりグラに応対を任せる程、僕も無謀ではない。問題を起こさぬ為にも、今日ばかりは入れ替わろうという結論に至っていた。なお、伯爵家にも了承を得ての事だ。


「ふぁふぁふぁ。まぁ、いきなり大事が出来しましたからな。失礼、申し遅れ申した。拙者はゲラッシ伯爵家が譜代家臣、ルドフィクス・スタァプと申します。以後、よしなに願いますぞ」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします、スタァプ様」

「ルドフィクスの妻、ラチナ・スタァプと申します。以後、よろしくお願いいたします」

「奥方様も、お見知りおきくだされば幸いです」


 一応、伯爵家家臣という立場は同じだが、譜代家臣で、さらにいえば重臣の一人であるルドフィクス・スタァプに対しては、新参の若輩である僕らは、下手にでなければいけない。他にも、ドラ・デトロとクゥーゼ・カシーラには、きちんと挨拶して、顔を合わせておく必要がある。そうしないと、相手を軽んじたと思われかねない。

 スタァプ、デトロ、カシーラの三家こそ、ゲラッシ伯爵家家臣団における最重要の家臣である。中でもスタァプ家は、現ゲラッシ伯爵家が王都の帯剣貴族だった頃からの家臣であり、伯爵家親族からの信任も厚い。

 そんなスタァプ家のルドフィクスさんは、親切にも新参である僕らが、本日最低限挨拶しておかなければならない相手を教えてくれる。


「ひとまず本日は、あちらのデトロ家当主、そしてあちらのカシーラ家当主への挨拶を欠かさなければ、新参として侮りを受ける事はないでしょう。勿論、ご親族衆にもご挨拶は必要になりますし、その他の家臣の中にも重要人物はおりますが、グラ殿のおっしゃられる通り、皆々忙しそうにしておりますからな」


 柔らかく、まるで孫にでも語りかけるような口調で教えてくれるスタァプさん。もしかしたら本当に、新たに家臣団に加わった僕らを、孫のように感じているのかも知れない。

 逆に、手玉に取っていいように使おうとしているのかも知れない。

 そのどちらなのかは、今後の付き合いで見極めよう。少なくとも、ここでデトロとカシーラの顔が知れたのはありがたい。僕は素直に礼を述べる。


「お気遣い、痛み入ります。お言葉の通り、機を見て挨拶に窺おうと思います」

「それがよろしいでしょう。そういえば、ハリュー家ではアルタンの町で畜産を始めたそうですね。拙者は日頃サイタンにおるのですが、倅がアルタン近くの砦に詰めておりましてな。最近は、食事に肉が増えたと喜んでいましたぞ」

「はい。どうしても、パティパティアの向こうにある伯爵領では、肉の値段が高騰しがちですから……」


 それからもしばし、スタァプ夫妻と世間話をしてから別れる。どうやら他にも機を窺っていた者がいたようで、別の青年とその奥様が次に近付いてきた。

 この人の顔は、見覚えがあるな。たぶん『サイタン郊外の戦い』で、轡を並べた騎士の一人だ。


「お久しぶり、という程の事でもありませんな。先の戦いでは、お世話になりました、グラ殿」


 柔らかそうな栗色の髪の青年が、さわやかに笑いかけてくる。正直、顔は辛うじて見覚えがあるのだが、名前があまりピンとこない。あのときは、何人もの騎士と挨拶したからなぁ……。


「こちらこそ、お世話になりました。間違いでしたら申し訳ございません。騎士ユーラス・エルカム殿でよろしかったでしょうか?」

「ああ、その通りだ。名乗り遅れて申し訳ない」


 どうやら合っていたらしい。ラッキーだ。他の候補も五人くらいいたのだから、一発で当たったのは本当に運が良かった。


「いえ。戦場では、兜の隙間から見えたお顔しか拝見しておりませんでしたので、目の色と背格好、あとは声でしか判断がつきませんでしたので、合っていてホッとしました」

「そうか。こちらは一方的に顔を知っていたが、戦場では終ぞ兜を脱いで顔を合わせる事はなかったな。すまない」


 さて、これはどう判断すべきかな……。初対面ではないのだから、自己紹介をせずいきなり挨拶に入ったのは、それ程おかしな話ではない。その後、こちらが相手の名前を思い出せないとなると、結構な失礼にあたる。同じ戦場を駆けた相手ともなると、なおさらだ。

 彼が、そういう揚げ足取りにきた可能性も否めない。まぁ、顔見知りと考えて、普通に挨拶にきた可能性だって十分にあるが。

 はぁ……、こういう付き合いが面倒臭いから、貴族だのなんだのからはできるだけ距離を取っておきたかったんだけどな。


「いえいえ。謝られるような事ではございません。戦友とお会いできて、少しだけ安心しております」

「戦友か。そう思っていただけるのは幸いだ。今後も戦場を共にする事もあるかも知れないが、そのときはよろしく頼む」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 騎士エルカムとの挨拶はそれで終わり。本当に挨拶にきただけのようだ。あるいは、揚げ足取りが不発に終わったから、早々に退散したか……。

 面倒臭いっ!


「やぁ、ショーン殿、グラ殿。数日ぶりだな」


 次に声をかけてきたのはポーラさんだ。ゲラッシ伯の親族である彼女も、家臣団においては重要な立ち位置である。まぁ、一応は気心も知れているので、この会場では、比較的安心できる話し相手だ。


「ごきげんよう、ポーラ様」


 僕はこれまで通り、グラとしてポーラさんに挨拶する。これまでと違うのは、相手が僕を、グラではなくショーンだと知っている点だろう。そして、ポーラさんは腹芸のような事ができる人ではない。結果――


「ぶふっ!」


 かなりマナー違反的な吹き出し方をした。いや、僕だって好きで女装しているわけじゃないんだぞ? 流石に、まだグラに任せられない事だから、嫌々やってるんだからな?


「人の顔を見ていきなり笑いだすとは、随分失礼ですね、ポーラ様?」


 グラがポーラさんの態度を侮辱と受け取ったのか、かなり棘のある口調で問い質す。なお、彼女がポーラさんに敬称を付けて呼んだのは、僕の記憶ではこれが初めての事だが、目上の者に対する態度としては残念ながら落第点を付けざるを得ない。

 このくらいの事は笑って流せるようにならないと、まだ少し対外的な場所では入れ替わりが必要そうだ。


「ふふ……っ、い、いや、そのとおりだ。し、失礼した。ぷふ……」


 謝ってはいるものの、ちっとも笑いが治められずにいるポーラさん。そして、そんな彼女に対して、ピキピキきてるグラ。呆れてため息を吐く僕という、当主の代替わりという大事に、あちこちで忙しないざわめきが起こっているホール内にあって、ここだけはまったく違う空気が流れていた。

 なお、その後は詫びと称して、ポーラさんにデトロさんとカシーラさんに紹介してもらえた。最低限のタスクはこなせたので、笑いやがった事については許してやらない事もない。


 悲しいかな、年上の女性に女装を笑われる事は、慣れているのだ……。



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