第23話 伯爵家の気遣いとやきもち

 なるほど。それはたしかに伯爵領にとっては重大事だ。まぁ、だからといって僕らに関係があるかと聞かれれば、即座に首を横に振るところである。正直「ふーん」って感じだ。


「グラ殿の晴れの舞台を奪うようで、少々申し訳ないのだが……」

「いえ、そういう気遣いは無用です。というより、むしろこれは、あまりグラに耳目が集まらないよう、伯爵家が配慮してくれた結果では?」

「そうなのか? その辺の機微は私にはわからん。ただ、そういえば兄上からは『一応、謝ってきてくれ』と言われていたな。ハリュー姉弟との関係に細心の注意を払っている兄上にしては、ぞんざいな言いようだと思ったが……」

「では間違いなく、それはこちらへの気遣いですね。代替わりの宣言とグラの仕官の発表など、ずらそうと思えばいくらでもずらせますから」


 むしろ、ディラッソ君の晴れ舞台に余計な発表ものが混ざる方が、本来ゲラッシ伯爵家にとっては嫌だろう。せっかく大々的に発表するのだから、家臣らの耳目を後継者に集めて、領内の統制に寄与させたいというのが、偽らざる思いのはずだ。

 だが現ゲラッシ伯爵もディラッソ君も、その代替わりの夾雑物にしてでも、グラの仕官というニュースを希釈しておきたかったわけだ。逆にいえば、そうでなければ余計な事を言いかねない譜代家臣などがいたのだろう。

 特に、現ゲラッシ伯は家臣に対する統制が弱い。仕方がない事ではあるが、いまではディラッソ君の方が発言力が強いまであるところだ。


「ポーラさん、僕らがお礼を言っていたと、ゲラッシ伯とディラッソ様にお伝えください」

「うむ。よくわからんが、そう伝えておこう。だがこれは、父上にも兄上にも言った事だが、ショーン殿にも言い含めておこう。私に言外の意図だの、暗黙の了解だのを交えて伝言役を任せていると、どこかで必ず齟齬が生じるぞ? 私には、君たちの婉曲なやり取りを、正しく翻訳する能力などないのだからな?」


 いや、それは貴族としてどうなのだろう……? まぁ、ある意味遠回しな嫌味や当て擦りが効かないという、貴族令嬢としてスーパーアーマーを有しているという事なのかも知れないが、同時にバカにされるだろうなぁ……。

 こちらとしてもこういう竹を割ったような性格の方が、付き合いやすいからいいんだけどさ。変に切れる人を寄越されると、こっちも探られて痛い腹を持つ身だ。疑心暗鬼から関係がぎくしゃくしかねない。

 そういう意味で、伯爵家の人選は正しい。正しいが……、やはり貴族としてそれはどうなんだという思いもある……。


「ショーン。【深潭】の術式なのですが――」


 唐突に話に割り込んできたグラが、どういうつもりか、僕の膝の上に腰を下ろす。別にいいけど、人前でするような体勢ではない。


「やはり、火の属性と水の属性が反発を起こしています。この二つの制御の為に、かなりの魔力が浪費されていますし、術式全体が重くなる原因ともなっています」

「それはそうだけど、やっぱり【深潭】は水と闇が主体の術式になるから、そこに火を入れるとなると、どうしても反発は起きるんじゃない?」


 水と闇の属性はかなり相性がいいが、その分火とは結構相性が悪い。特に、火と水は、光と闇程ではないが、かなり相性が悪い。もっといえば、別に闇と火の属性も、相性は良くない。あえて【影塵術】の中に組み込むには、やはり負荷の高い属性なのだ。


「火を入れないという選択肢もありますが?」

「そこにあえて火を入れるから意味があるんじゃん」

「ふむ……。まぁ、たしかに……」


 グラの開いた【フェネストラ】に描かれた術式には、【影塵術】の複雑な理が記されている。改良に改良を重ね、先日ようやく実戦向けの試験を行ったわけだが、やはりまだまだ実用に適う性能とは言い難い。とはいえ、触媒なしの杖だけで発動できるようになったのは、かなりの進歩だと言える。

 いっそ、【影塵術】からそれぞれのを分離して、単体の術式として運用するか? いや、それじゃあ意味がないし、魔力消費という観点ではむしろより重くなる。術式をコンパクトにするという観点から遠ざかるアプローチだ。

 幸い、【影塵術】の中核となる闇と土の属性の内、土の属性は火の属性とそこまで相性が悪いわけじゃない。土の属性を緩衝に、他の属性との反発を防ぐのが最善か?

 いや、でもなぁ……。【深潭】は水を主体にした術式なのだ。下手な事をすると、余計に魔力消費が多くなりかねない。


「いっそ、水と風の属性術を組み合わせて、火の属性を――」

「それでは結局、必要魔力量が増えてしまいます。反発が減る代わりに、余計な属性を増やしているだけです」

「たしかに……。だったら、闇と火の属性を――」

「たしかにそれなら、水と火程反発は強くありませんが、理と理のつながりが冗長になりますよ。魔力のロスの割合は……、どちらがいいかは測りかねますね。いっそというのなら――」

「え? そんな事ができるの?」

「理論上は。私もまだ実験していませんので、机上の空論でしかありませんが」

「ふむ……。一回、それ単体で試してみて、実験結果を踏まえて【深潭】に組み込むか否かを考えよう――って、そうじゃなくて!」


 ついつい話し込んでしまったが、お客さんであるポーラさんがいる状況でする話ではない。この体勢も、地下にいるときならともかく、ポーラさんや使用人の前でやるのは、ちょっと気恥ずかしい。


「別に構わないでしょう。イミやウーフーは勿論、ポーラとて我々がなにを言っているのか、理解など及ばないでしょうから」

「だからって、みだりに人前で奥の手について話さないの。なにより、いま話すような内容でもないでしょ」

「あなたとポーラの話も一段落したところでしょう。これ以上、特に話すような事もありませんし、術式の実験結果に関しては早い内に確認を取っておきたかったのです」


 まぁ、それは僕も同じだけど……。そんな僕らのやり取りを、ポーラさんはにこやかに笑いながら見ていた。なんというか、幼い従妹でも見守っているような顔つきだ。


「ふふふ。私は一向に構わんぞ。グラ殿の言う通り、私には君たちがなにを言っているのか、さっぱりだからな。なにより、ショーン殿を独占しすぎるのは、グラ殿の逆鱗に触れる行為だと承知している。そして、姉上を敵に回す行為は、そのまま弟御とも袂を分かつ行為であるともな」


 伯爵家はハリュー姉弟との決裂を、なによりも忌避しているのだと締めて、肩をすくめるポーラさん。まぁ、その言葉は事実なのだろう。貴族である彼らが、僕らに対して破格ともいうべき気遣いをしてくれているのは、ヒシヒシと感じている。

 そうは言っても、僕自身自分の好きな事に夢中になると、周りが見えなくなる自覚はある。下手にここで【影塵術・深潭】の考察を再開すれば、そのまま夜まで話し続ける自信がある。

 ここは、さっさと礼服と装飾品のチェックをポーラさんにお願いして、この部屋に居座る理由をなくしたあとで、じっくりと話し合う事にしよう。グラのご機嫌取りもかねて、イミとウーフーも休ませてからだな。


 なお、礼服はともかく装飾品はグレードが高すぎて、家臣としては不相応という判断が下された。その為、即席で別のものを用意しなくてはならず、材料の収集にかなり時間を取られた……。グラの機嫌がさらなる降下をしてしまったのは、不幸な事故だった……。


 次からは尖晶石スピネルを多用するのは控えよう……。伯爵領の地下から結構産出したから忘れていたが、結構貴重な宝石だった。



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