第51話 王子の評価

 ●○●


 夜も更け、年若いショーン・ハリューの睡眠時間を慮って、会食は深夜に入る前に解散となった。しかし、我々はいま一度同じ部屋に集合し、角を突き合わせていた。

 卓上には、先程とは打って変わって水しか乗っていない。ウッドホルン男爵、ゲラッシ伯、ウーズ士爵の顔にも酒の余韻は残っておらず、ピリピリとした雰囲気が、これから始まる議題の重要性を物語っていた。

 口火を切ったのは、先程の会食と同じくウッドホルン男爵。


「さて……、噂のハリュー姉弟、その片割れたるショーン・ハリューに対し、実際に目にし、会話を交わした所感を、各人聞かせてもらえれば助かります。私の意見としては、彼を貴族として授爵させ、自派閥に取り込みたいとだけ」

「ワシも同意ですな」


 ウッドホルン男爵に同意したのはゲラッシ伯である。


「元々は、ショーン・ハリューが伯爵家の家臣になる予定でした。姉弟の気質的には、その方が適切だったといえましょう。ですが、倅との会話の流れで姉を外部の貴族等から守る為に、そちらを当主として立て、自分を分家の当主としたそうにございます。分家ハリュー家は、今現在アルタンを中心とした畜産業を主導しており、十二分に安泰であり、伯爵領にとっても欠かせぬ産業になりつつあります」

「例の聖杯は、どちらの生業なりわいとなっている?」


 私――否、の問いに、ゲラッシ伯は恭しく頭を下げてから続ける。


「そちらは家臣筋ハリュー家の生業となります。ならばこそ、伯爵家もその生業を守る事ができます。家臣筋ハリュー家の産業としては、他にも板ガラス、武具、マジックアイテム、騎竜育成という産業があります」

「騎竜育成……」


 思わず呻いたのはチャズ――ウーズ士爵だ。まぁ、気持ちはわかる。

 とてもではないが、一貴族家の家臣家が持っているべき職権ではない。騎竜を安定して馴致、飼育できるのならば、それだけで貴族籍を得ていてもおかしくはない。国外に出荷される点を危惧すれば、むしろそうするべきとすらいえる。

 些細な点から身持ちを崩され、資金難に陥って稼業が滞れば、第二王国にとっても大きな損失になるのだ。なればこそ、授爵させて保護すべきなのだが……。

 だが、当のハリュー家が貴族籍など望んでおらず、下手な強要は彼らの出奔を促すだけだというのが、ゲラッシ伯の見立てである。その見立ての根拠となった、次代ゲラッシ伯、ディラッソ・フォン・ゲラッシも同意見であろう。

 それは、実際にショーン・ハリューを目にした余も、とりもなおさず同意見である。あれは、国などにまったく執着していないだろう。嫌になるどころか、利があるのならあっさりと、他国の門戸を叩く。

 いま第二王国に留まっているのは、鞍替えの手間の方が利よりも小さいからだ。なればこそ、我らは彼らがこちらに留まるに足るメリットを提示し続けなければならない。


「殿下……、殿下のご意見はいかなものでしたか?」


 ウッドホルン男爵の問いに、余は暫時黙考する。先程まで、同じ卓で語っていた少年の印象……――


「――化け物だな」


 余は端的にそう述べた。


「余や宮中伯、その臣下である卿ら優秀な官僚たちが、日々頭を悩ませて、それでようやく朧気ながら見えてきた国家の先行きを、なぜ彼の者はまるで見てきたかのように断言できる? さらには、それを客観視して表す単語まで披歴してみせたのだ」

「『絶対王政』ですな……。なんとも、我ら【王国派】にとって都合が良く、地方領主貴族らにとって不快な単語でしょう……。王都に戻ってからこの言葉を【王国派】の面々に伝えるかどうか、非常に悩ましいところです……」


 ウッドホルン男爵が大量の妖精金貨の入った皮袋と、借用書を同時に並べられたかのような険しい顔で呻吟する。それはそうだ。『絶対王政』という単語は、我らの政治思想をあまりにも如実に、端的に、なにより理想的に表してしまっている。

 彼が仲間にすら――むしろ、仲間である【王国派】にこそ、この単語を聞かせたくないという思いもむべなるかなだ。必ずや、単語に感化されて先鋭化する者が現れるし、漏れればその単語だけで敵対派閥を刺激する。


『玉座の主こそが唯一絶対の支配者。聖ボゥルタン王こそが国家である』


 などと言い出す輩が現れれば、それこそ国は四分五裂するだろう。なんとも厄介な手土産を残してくれたものだ。

 だが、余が一番に引っ掛かったのは、その単語ではない。


「ウッドホルン男爵、気付かなんだか?」

「殿下はなにか、私の見落とした点にお気付きでしょうか?」

「ヴェルヴェルデ大公の旧王領奪還作戦に関する話し合いの折りに、ショーン・ハリューはこう言ったのだ。『中央集権を図るにおいても、ヴェルヴェルデ大公と彼の領に住まう民らに、王国の存在を意識させるのは必要でした』とな」

「ふむ。そういえば、たしかに……。しかし――なるほど……ッ! その視点はありませんでしたな……」

「ああ。正直、思わず膝を打つところであった」


 中央集権化の道筋などお前らで考えろと言っておきながら、事もなげにその方策を示してみせるとは、なんとも皮肉でありながら無欲な姿であろうか。もし彼が【王国派】貴族であったならば、その功を誇示し、自らの勢力伸長に使うところだ。

 だが、彼は執拗に『政策はお前らが考えろ』と繰り返していた。つまりそれは、この助言は自分の功ではない、後々蒸し返されても自分は知らないというポーズだろう。

 その為に、余の頭髪事情と寿命にまで言及したのは、流石に踏み込み過ぎだとは思ったが、それだけこの牽制に籠めた彼の思いが強かったという証左でもある。褒美など一切要らぬ。だからこれ以上面倒事を持ち込むな。いざというときはこの僭越をもって、功績など帳消しにしろ、と。


「あー……、殿下。申し訳ないのですが、正直そろそろ話しについていけません……」


 ウーズ士爵が不甲斐なさそうに片手をあげて宣言する。隣では、ゲラッシ伯も面目なさそうに、肩を小さくしていた。まぁ、ショーン・ハリューとしても、伝わらねばその程度の相手とばかりに、言葉を濁して韜晦していた部分だからな。


「わからぬか? つまり彼の者は、彼の地の民の意識をヴェルヴェルデ王国民から、第二王国民へと、徐々に変えてゆけと言っておるのだ」

「それは……、まるで他国を侵略するように……、ではないですよね?」


 ウーズ士爵の、恐る恐るの問いに無言で頷く。


「むしろ、王都の民を遇するように、他領の民を自らの民として遇するのだ。無論、ヴェルヴェルデ王国だけでなく、他領も同様の措置を講じ、徐々に意識改革を進めていく。時間をかけて、民を【領民】から【国民】へと変えていけと、そう示唆しておるのだ。……そうだな、余もショーン・ハリューに倣って名付けるならば――愛国心パトリオティズムとでもするか……。うむ、いいな。そういうものを民らに植え付けられれば、自然と国の形は我らの望む形に変わっていこう」

「なるほど。『国の人パトリオータ』から取っての『愛国心パトリオティズム』ですか。【領民】から【国民】への意識改革……。良い方針かと。少なくとも、選定侯や他の諸侯を説き伏せるよりも、よっぽど穏便で確実です」


 余の名付けに、満足げに頷きつつウッドホルン男爵が同意を示す。ウーズ士爵も得心いったのか、腕を組んで大袈裟に頷いていた。唯一ゲラッシ伯だけが、複雑そうな表情を浮かべていた。


「領主であるゲラッシ伯にとっては、不快な話に聞こえるか?」

「いえ……、その……、いえ……」


 しどろもどろで頭を下げるゲラッシ伯。まぁ、それも当然だろう。領主貴族にとって、自領と領民は文字通り一所懸命に守るのが誇りであり、それを奪われるのは死に勝る屈辱であると聞く。だが――


「中央集権を目指すならば、どの道地方領主らの力を漸減させていかねばならん。この案は、それをもっとも穏便に進める策と余は思うがな」

「は、それはワシも理解するところです。また、殿下やラクラ宮中伯閣下、そしてショーン・ハリューが言う以上、第二王国が存続する為には中央集権化が必要なのでございましょう。であるならば、それも仕方のない事であるかと……」


 そう言ってため息を吐くゲラッシ伯。やはり、人生をかけて領地を守ってきた領主貴族にとっては、なかなか受け入れ難い話ではあるのだろう。それでも、渋々ながら納得してくれる辺り、ゲラッシ伯はかなり譲歩してくれている。

 彼が元々は中央の帯剣貴族である事、そして我々の派閥に属しているからこそだろう。これが代々土地を治めてきた領主貴族となれば……――

 だからこそ、狙うならば彼らの下、その民。しかも、悪質な洗脳や隷属を強いるわけではない。むしろ領主らは、始めは自分たちに対する優遇と捉えるだろう。


「――……まさに、化け物ですな」


 ウッドホルン男爵が関心半分、恐れ半分に呟く。彼はこのうえでなお、ショーン・ハリューを自分の下につけたいと思うだろうか。いやまぁ、忌避するとも問題ない。その場合は余の下に付けるまでよ。


「ああ……――、余は正直、伝記や叙事詩などで、時代の節々に王の前に表れ、その指針を示す賢者の存在には懐疑的ではあったのだがな……。今日ばかりは、そういうものの存在を信じたくなった」

「ハハハ、殿下らしくありませんな!」


 そう言って笑うチャズに、余――私も苦笑いを返す。幼少より私を守ってくれた、気心の知れている騎士の言葉に、重圧と高揚という二律背反の感情に苛まれていた心が、スッと軽くなった。


「――まぁ、勿論即興で考えたわけではあるまい。かねてより、彼なりに国情を調べ、今後の推移を予想し、最良と思われる展開を熟考していたのだろう。そのうえで、最善手として考案していたものを、ああして披歴してみせたわけだ。そう考えると『絶対王政』などという単語は、実に学者然としているとは思わんか?」

「フフフ……。左様ですな。周囲への影響などを一切考慮しない、本質剥き出しの表現が、実に学者的です。そういえば、ハリュー姉弟は学者でもありましたな」


 私の言葉尻に乗る形で、ウッドホルン男爵が柔らかい口調で笑う。お陰で、室内の空気も弛緩し、我々はショーン・ハリューとの会食から続いていた緊張から、ようやく解放された……。



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